「第80回京都大学原爆災害綜合研究調査班遭難者の慰霊の集い」を開催しました

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 1945(昭和20)年、原子爆弾が投下された広島で被爆者調査、診療にあたっていた「京都大学原爆災害綜合研究調査班」は、同年9月17日に西日本を襲った枕崎台風による土石流の被害にあいました。その犠牲となった方々を慰霊する集いを、2025年9月13日に広島県廿日市市の「市民活動センターおおの」および「廿日市市宮浜温泉(旧大野町)米山広場」の慰霊記念碑前にて行いました。

 調査班は、原爆投下直後に軍の依頼を受けて医学部と理学部を中心とした教員、学生、看護婦等で結成され、9月3日からは大野村(現廿日市市)にある大野陸軍病院を拠点に原子病患者の治療および病理学的研究調査が約50名の調査班員により進められましたが、折しも「枕崎台風」と呼ばれる大型台風による大規模な土石流で班員11名を含む156名が犠牲となりました。慰霊は、例年被害のあった9月17日の直近の土曜日に自由参拝により行われ、また、5年ごとに式典を開催していましたが、2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響を考慮し、やむを得ず式典開催を見送ったこともあり、遭難から80年となる今年は10年ぶりの式典の開催となり、遺族をはじめ関係者を含む、約80名の参列がありました。

 式典では、犠牲者への黙祷の後、湊長博 総長、伊佐正 医学研究科長、佐々真一 理学研究科長、竹野幸夫 芝蘭会広島支部長(梶川 博 幹事代読)、松本太郎 廿日市市長が追悼の言葉を述べ、その後に、遺族代表として大井千世 氏が言葉を述べました。湊総長、松本廿日市市長をはじめ参列者全員が献花を行いました。式典の最後には、湊総長から本慰霊の集いに対し永年ご尽力いただいている廿日市市長、廿日市市議会議長、廿日市市大野支所長へ感謝の意をこめて感謝状が贈呈されました。

「市民活動センターおおの」での式典後、慰霊記念碑のある「廿日市市宮浜温泉米山広場」に移動し、慰霊記念碑前において犠牲者への献花と追悼の祈りを捧げました。

 式典の終了後には近隣のホテルにて本学関係者、廿日市市関係者および遺族らによる懇談会が行われました。

 また、翌9月14日に開催された廿日市市主催(京都大学共催)による「廿日市市戦後80年非核平和事業 柳田邦男記念講演・朗読・シンポジウム「枕崎台風による大野陸軍病院の惨禍の伝承」」では、ノンフィクション作家 柳田邦男 氏の講演に続き、久保達彦 医学研究科教授による「大野陸軍病院の惨禍に学ぶ複合災害への対応」と題する講演も行われました。

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追悼の言葉を述べる湊総長
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追悼の言葉を述べる伊佐研究科長
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追悼の言葉を述べる佐々研究科長
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追悼の言葉を述べる梶川幹事(竹野支部長の代読)
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追悼の言葉を述べる松本市長
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遺族代表として言葉を述べる大井氏
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黙祷の様子
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献花の様子
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感謝状の贈呈
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米山広場での献花・追悼の様子