南開大学創立90周年記念式典 挨拶 (2009年10月17日)

第25代総長 松本 紘

当日の様子 南開大学創立90周年、おめでとうございます。
  外国から出席させていただいた大学を代表いたしまして、心よりお祝いを申し上げます。

 近代中国を代表する名門大学の一つとして、南開大学の名声は日本にも聞こえております。1919年に設立されて以来、90年の間には時代の大きな嵐に遭遇し、苦難の道もあったことと思います。
  特に1937年、抗日戦争により中国各地が戦場となり、南開大学も北京大学や清華大学とともに長沙に難を逃れ、翌年には昆明に移転し、国立西南聯合大学と改称されました。そして、日本の敗戦により1946年に天津の地に戻られ、国立大学として南開大学に改称されました。その間、苦難の道を歩まれたことにつきましては、誠に遺憾に思いますとともに、不屈の闘志でその10年間を耐えられたことに対し、同じ大学人として、心より尊敬の念を表すものであります。

 その苦難の時代に国立西南聯合大学で学ばれた二人の物理学者、楊振寧先生と李政道先生が、1957年に揃ってノーベル物理学賞を受賞されたことは、誠に慶賀の極みであります。

 中華人民共和国建国以降今日に至るまで、脈々と伝統が受け継がれ、南開大学は近代中国における名門総合大学として発展を重ねられたことは、教職員・卒業生をはじめ、関係各位の努力の賜物と、深く敬意を表するものであります。

当日の様子 南開大学はまた、毛沢東主席、江沢民主席など近代中国の多くの政治家ともゆかりの深い大学であり(注1)、温家宝現首相(国務院総理)は南開中学の卒業生と伺っております。

 多くの大物政治家の名前の中で一際大きな存在は、南開中学の卒業生であり、後年南開大学文学部で学ばれた周恩来首相であります。

 1972年、日本の田中角栄首相と日中共同声明に調印され、両国の国交回復に尽力されたことが、今日の両国の平和交流、学術交流の礎となっており、当時の厳しい状況下で国交回復のご英断を下されたことに、改めて深い敬意を払うものであります。

 周恩来首相は、若き日に京都帝国大学で経済学を学ばれ、1918年頃に河上肇教授の説くマルクス経済学の講義を聴講されています。

 京都滞在中に景勝の地「嵐山」で、祖国の将来に思いを馳せて詠まれた「雨中嵐山」の詩碑が、日中友好の象徴として1978年に嵐山の亀山公園に建立され、今も多くの人々が訪れています。

  1. 雨の中を二度嵐山に遊ぶ
    両岸の青き松に いく株かの桜まじる
    道の尽きるやひときわ高き山見ゆ
    流れ出る泉は緑に映え 石をめぐりて人を照らす
    雨濛々として霧深く
    陽の光雲間より射して いよいよなまめかし
    世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも
    模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば
    真にいよいよなまめかし
  2.   訳 蔡子民先生

 この詩は、日本の京都でマルクスに触れ、祖国の将来に光明を見出した青年の希望の声を感じます。
  中国と日本、南開大学と京都大学を結ぶ大きな架け橋として、周恩来首相は誠に大きな存在であります。
  中国には「水を飲むときは井戸を掘った人のことを忘れてはいけない」(吃水不忘打井人)という素晴らしい言葉があります(注2)。先人の苦労があるから今の繁栄がある。今日の日中両国の友好関係と繁栄に鑑みると、井戸を掘った人に感謝するとともに、井戸水が枯れないように守り続けることこそが我々の使命ではないでしょうか。

 南開大学90年の歴史は苦難と栄光の90年でした。
  これからは栄光の学府としての地位を着実に歩まれていくことと確信いたします。
  南開大学の今後一層のご発展を祈念して、私のお祝いの言葉といたします。

※ 注1:毛沢東主席は「南開大学」の扁額を揮ごうしている。江沢民主席は
題字 の題字を寄せている。
※ 注2:「欽水思源」 上海交通大学のモットーの一つ

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松本紘 総長が中国・南開大学創立90周年記念式典に出席しました。(2009年10月17日)