令和8年度学部入学式 来賓祝辞

令和8年度学部入学式 来賓祝辞(辻本泰弘 国立研究開発法人 国際農林水産業研究センター プロジェクトリーダー)

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辻本泰弘 国立研究開発法人 国際農林水産業研究センター プロジェクトリーダー

 新入生の皆さん、京都大学へのご入学おめでとうございます。今日からいよいよ大学生活のスタートです。思いっきり楽しんでください。大学では、これまでとは違った世界が待っています。はじめて触れる学問や、異なる価値観との出会い、そして、答えの見つからない問い。「自分は何をしたいのか」、「何ができるのだろうか」そんな葛藤を抱えながら、大学生活を歩まれることと思います。でも、心配しないでください。なぜなら、未知の世界に挑戦し、答えのない問いや異なる価値観とぶつかることこそが、大学で得られる最も大きな価値だと、思うからです。今日は、私自身の経験を通して、皆さんのそんな挑戦をほんの少し、後押しできればと思い、準備をしてきました。

 私は、中学生のときに、俳優の黒柳徹子さんが書かれた『トットちゃんとトットちゃんたち』という本を読んで、大きな衝撃を受けました。そこには、ユニセフの親善大使として、黒柳さんが出会われた戦争や貧困に苦しむ子どもたちとの交流が描かれていました。「将来はこうした子どもたちの役に立ちたい。そのためには、まず、空腹を満たすことが何よりも大切だ」。そう考えたのが、私が京都大学の農学部に進んだきっかけです。そして、学部、大学院と、京都大学で9年間を過ごし、今は、つくば市にある国際農林水産業研究センターという研究所で働いています。『地球と食料の未来のために』、そんなヴィジョンを掲げ、開発途上地域の持続的な農業の発展に繋がる研究に取り組む職場です。

 中でも私が深く関わってきたのが、学生時代から夢見たアフリカの農村地域です。アフリカでは、今なお5人に1人が慢性的な栄養不足にあります。そして、2030年には世界の飢餓人口の半分以上が、アフリカに集中すると予測されています。アフリカでは、農地の拡大にともなう森林破壊も深刻です。食料が足りないからこそ、新たな農地を求め、森を切り開かざるを得ないのです。森林破壊は、生物多様性の消失を招き、地球規模の気候変動を加速しています。そして、高温ストレスや旱ばつ、洪水、土砂災害など、気候変動の影響を最も受け易いのもアフリカの農業と言われています。そうした中で、私たちが開発した新しい稲の品種や施肥技術などの研究成果が、貧しい農家に受け入れられ、少しずつではありますが、彼らの生活改善に役立っています。そんな、世界を少し明るくする仕事に誇りとやりがいを感じています。

 しかし、こうした食料や環境の問題は、決して、遠いアフリカだけの話ではありません。例えば、この会場のすぐ近くにある清水寺で、毎年発表される「今年の漢字」。皆さん、2025年の漢字を覚えていますか? … 答えは、1位が「熊」、そして、僅差の2位が「米」でした。毎年のように更新される「観測史上最も暑い夏」、「記録的な水不足」。気候の変化は、生態系や農業を通して、私たちの日常生活に、直接的に、そして、確実に影響を及ぼしています。何より、気候変動や食料問題のような地球規模の課題は、原因も結果もとても複雑で、簡単に答えが見つかるものではありません。私自身も、アフリカでの仕事を通して、これらの問題を解決するためには、多くの学問分野、そして国境や事業の垣根を越えて、様々な力を結集する必要があると、痛感しています。特に、これからの時代を生きる、新しい感性に溢れた皆さんの力が必要です。

 京都大学の基本理念には、こんな一文が書かれています。「多元的な課題の解決に挑戦し、地球社会の調和ある共存に貢献する」。今日から、皆さんも京都大学の一員です。ですので、大学生活の中で、地球社会の問題に、少し意識を向けてみてください。そして、専門分野を深めると同時に、幅広い知識や経験、ネットワークを築いて欲しいと思います。京都大学には、全国、そして世界中から学生が集まっています。恥ずかしがらず、色んな人に話しかけてみてください。そして、「面白そうだな」と感じた講義があれば、自分が所属する学部や学科でなくても、ぜひ受けてみてください。京都大学には、ノーベル賞を取るような凄い先生や、なんだかよく分からないけど、楽しそうなことをやっているユニークな先生が沢山います。きっと、皆さんの視野を広げてくれるでしょう。ありがたいことに、沢山授業をとっても、あまりとらなくても、授業料は変わりません。私自身も、1年生で受けた文化人類学の講義の中で、「夢をもつことだけは平等、というのは嘘だよね」、「アフリカの子どもたちは、宇宙飛行士やケーキ屋さんといった職業自体を知らないこともあるよ」、そう言われた先生の言葉が、20年以上たった今でも心に残っています。

 私が、アフリカでの仕事を志すきっかけになった黒柳さんの本にも、「将来は学校の先生になりたい」、「お医者さんになりたい」と、夢を語る子どもたちの姿が描かれています。しかし、その講義を通して、夢を描くこと自体にも、知識や経験の不足、という二重の不平等があることに、初めて気づかされたのです。そして、「実際にアフリカに行き、自分の目で確かめてみたい」。そんな思いが、私の中で、より一層、強くなりました。大学4年生で研究室を選ぶときも、アフリカで食料問題に取り組めそうな先生を探し、「アフリカに行きたいです」と、しつこく迫りました。最初は、「君なんかがアフリカに行っても役に立たん」と、突き放されていました。でも、目の前の課題に懸命に取り組んでいると、ある日、「君、マダガスカルに行ってみる気はあるか?」という話になり、その後、3年半にわたって、マダガスカルの電気もガスも携帯の電波さえない農村地域で暮らすことになりました。

 初めてマダガスカルに出発する日、先生から、使い古したバネばかりとモノサシを渡されました。今どき、中学校の理科の授業でも、もう少し高度な実験器具を使いませんか? でも行ってみたら電気がないわけですから、実はそれが正解でした。何もないところで何かを生み出すのも研究の醍醐味です。何より、「モノサシ1本で論文を書く学生がいるらしいぞ」。そんな評判が、その後、今の研究所に職を得るきっかけにもなりました。与えられた研究テーマは、「生きて帰ってこい」。

 まさに、京都大学が誇る自由の学風と自学自習の精神です。

 最初は住むところもなく、修道院の門を叩いて、その屋根裏部屋に住まわせてもらいました。農村部では当然、英語もフランス語も通じず、マダガスカル語を一から勉強しました。「イヌナイティ?」、『これは何?』という意味のマダガスカル語を覚え、片っ端から「イヌナイティ?」と指をさして、単語を拾いました。衛生環境も悪く、何度もお腹を壊したり、マラリアに罹ったり。そうして過ごすうち、どんなところでも生き抜く忍耐力が身についたように思います。何より、マダガスカルで過ごした経験は、今の仕事に繋がっているだけではなく、あらゆる物事の捉え方について、多くの学びがあったと感じています。マダガスカルの農村地域のように、自分がこれまで育ってきた環境の外に出ることは、逆説的に、自分の強みや弱み、アイデンティティを客観的に見つめ直すことに繋がります。

 SNSなどを通して、ときには、エコーチャンバー効果のように、偏った考え方が増幅されがちな現代において、物事を多角的、客観的に捉えられる能力、別の考え方があるのではと、一歩立ち止まれる思考回路は、研究だけではなく、社会のあらゆる場面で大きな力になるはずです。また、自分がマイノリティーになるような環境で暮らす経験は、異なる他者への寛容さ、優しさを育ててくれます。

 絵本作家であるヨシタケシンスケさんの『みえるとかみえないとか』という絵本では、主人公の男の子が宇宙を旅し、色んな特徴をもつ宇宙人と出会う比喩を通して、文化や立場により『当たり前』は変わること、違いを恐れたり排除したりするのではなく、お互いの失敗や工夫を教えあうことで、新たな価値を創造できることについて、ユーモアを交えて、再発見させてくれます。ヨシタケシンスケさんの絵本は、5歳の息子にいつも読まされているのですが、子ども向けといいつつ、ハッとするような学びが隠されています。皆さんも生協の本棚で見たら、ぜひ手に取ってみてください。『当たり前を疑う視点』は、大学生活の中で、大事な武器になると思います。そして何よりも、感受性の豊かな学生時代に得た未知の世界での体験は、自分を突き動かす強い原動力を与えてくれます。

 私自身、マダガスカルで農家の人々と暮らしをともにする中で、食事情がひっ迫する雨季には、白米がお粥になり、お粥がキャッサバ芋になり、そしてある日、夕食を待っていますと、「おやすみ」と無情にも蠟燭が消されてしまい、「あ~、今日から一日二食か~」という、厳しい現実に直面しました。そんな強烈にひもじい思いをした胃袋の記憶は、書物やインターネットから得られる知識では到底かなわない、心の底からの仕事のモチベーションに繋がっています。それに、こうした実体験は、どんなに優れた生成AIにも生み出すことはできません。

 学生時代の海外での経験は、振り返ってみると、楽しいことよりも、むしろ辛いことの方が多かったかもしれません。でも、過去の苦労や失敗は、いつか笑い話に、そして、「挑戦してよかった」と思える大切な宝物になっていきます。それに、皆さんが何かに真剣に向き合い、一生懸命取り組んでいると、必ず、手を差し伸べてくれる人が現れます。マダガスカルでは、「日本という遠い国から貧しい若者がやってきた」と言って、毎日の食事や寝る場所まで、農家の人たちが無償で提供してくれました。こうした農家の温かさや寛容さへの感謝は、今も忘れません。ですので、皆さんも、失敗を恐れず、自分が育ってきた環境とは少し異なる場所で過ごす時間を意識してみてください。マダガスカルの農村地域は極端かもしれません。でも、勇気をもって一歩外に踏み出せば、きっと、素敵な出会いと五感が震えるような体験に繋がると信じています。

 ときには、異なる価値観とぶつかるかもしれません。皆さんが、これから京都大学で過ごす時間が、そんな挑戦に溢れ、世界と繋がるスタートになることを心から応援しています。

 そして、5年後、10年後、皆さんの中からアフリカの食料問題や環境問題に一緒に取り組める仲間が現れると、これほど心強いことはありません。そんな日を楽しみに待っています。

 本日は、ご入学、本当におめでとうございます。