平成22年度 学部入学式 式辞 (2010年4月7日)

第25代総長 松本紘

松本総長 本日、桜舞うこの「みやこめっせ」にご参集いただきました3,013名のみなさん、京都大学にご入学おめでとうございます。ご来賓の沢田敏男元総長、西島安則元総長、尾池和夫前総長、名誉教授、列席の副学長、各学部長とともに、今日の佳き日をお祝いしたいと思います。みなさんはこれまで長く厳しい受験の道を辿ってこられたと思います。これまでの精励に敬意を表します。また、みなさんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも心よりお祝いを申し上げます。

 さて、本学に入学されたみなさんに、まずお話したいことがあります。それは、本学の自由についてです。本学の基本理念は次のような前文で始まります。是非一度本学の基本理念を読んでいただきたいと思います。
  「京都大学は、創立以来築いてきた、自由の学風を継承し、発展させつつ、多元的な課題の解決に挑戦し、地球社会の調和ある共存に貢献するため、自由と調和を基礎に、ここに基本理念を定める。」としています。
  この前文の根底を流れるのは「自主自立」の精神であり、それは、本学の学生諸君には、一人の成人として、自らに責任を持ち、自ら主体的に勉学に励んでほしいということを意味しています。言うまでもないことかもしれませんが、くれぐれもこの「自由」を履き違えないでください。自由は、勝手気ままで無責任な態度や行動を意味するいわゆる「気まま、気随」ではありません。私の理解する本学の自由というのは、己の内外にある既成概念にとらわれることなく、発想を巡らし、己を大切にして、個人が自ら光るという概念です。また、個人が既成概念や既存のシステムに縛られることなく、自由な発想に基づいて行動しつつも、常に社会や周辺の人々を思いやり、責任ある態度を貫く。さらに、自由な選択を一度した後には、選択したものに自ら責任を持ち、やり遂げるまで頑張りぬく。これをすべて備えた自由こそ本学の自由ではないでしょうか。自由の学風は、そうした責任ある自由を身につけた諸先輩を輩出し、それらの諸先輩が各界で活躍し、独創的な業績や仕事を成し遂げることによって形作られてきたものです。

 これまで、受験生としてのみなさんの生活は確かに厳しいものであったと思いますが、それでも安全なレールの上を走ってきた側面があることもご承知のことでしょう。しかし、それだけでは本学の自由を謳歌することはできません。大学生活では今までの自分をもう一度見つめなおし、必要とあらば、これまでの学びのスタイルを組み直す、いわゆるアンラーニングが必要と思います。

 

会場の様子 これから大学での学びが始まりますが、それは高校までのものとは大きく異なり、戸惑われるかもしれません。これまでの学びは、いわば先人の教えをしっかりと学び取ることだったと言えるでしょう。したがって常に答えがありました。この段階は「聞慧(もんえ)」即ち聞き取ることによって「知識」を得ようという段階です。しかし、大学で学ぶ学問においては、その段階を超えなければなりません。すなわち「聞慧」によって得られた知識の基礎の上に、「思慧(しえ)」「修慧(しゅうえ)」を通して思索と行動を続け、自分自身の思惟を展開しなければなりません。答えは一つとは限りません。答えは存在しないかもしれません。課題の多くは、少なくとも現在未知であり、それをどのようにとらえ、解いていくかも自明ではありません。しかし、文明の黎明期から積み重ねられてきた、この諸学芸の方法論「聞思修」の智慧の段階的教育法は1,200年も前の伝教大師、最澄も叡山の教育に取り入れていました。この方法論はみなさんにとって大いなる力となります。今のみなさんにはその力を一日も早く我が物とすることが必要です。また、受け身の姿勢のままでは、真の学問を身につけることはできません。みなさんは、いずれ日本のみならず、世界のリーダーとして、様々な分野で活躍していくことになると思います。そのためには、自らが専攻する学問分野の基礎と応用にかかる知識や技術を身につけるだけではなく、一見関係のないように見える他の幅広い素養や周辺知識を教養として貪欲に吸収し、それをもとに多元的に判断し、物事の本質を見抜く力量を備えてほしいと願います。

 これと関連して、青春の真ただ中におられる皆さんに言っておきたいことがあります。青春の時期は人生において最も尊く、最も価値のある時期の一つでしょう。しかし同時に最も危ない時期の一つでもあります。かつて本学の教授を務められた哲学者・和辻哲郎先生が二十歳代の末期に書かれた随想をまとめられた「偶像再興」という名著があります。その中に「すべての芽を培え」という作品があります。その珠玉の小品において、先生は青春のみずみずしさ、しなやかさという精神の特性に加えて、肉体の絶頂期に伴い、頭がぐらぐらし、心が沸き立つような直接的な人間の欲望に制圧されうる危うさの同時性を指摘しておられます。青春時代のこれらの勢いを萌えいでたばかりのいろいろな樹の芽に例えておられます。これらの芽の成長が、日常的にかつ内在的に存在する刺激の追及のみによって、歪んでしまわないようにして、その芽の成長を助ける滋養分だけを与えることが肝要と言っておられます。この滋養分こそが人類が築いてきた芸術、哲学、宗教、歴史であり、これらの精神的な宝によって偏らない教養が得られる、と説かれています。つまり、青春時代に学問を志すと同時に違った次元で青春時代を象徴するすべての芽を培え、と諭しておられます。全く同感です。中高年になって光り輝く教養も京都大学で身につけてください。

 京都大学における学びの機会は、真理探究の道を自らすすむ者にあまねく開かれています。しかし、そこには、ときとして、濃密で激しい考え方のやりとりが必要となることもあります。決してあきらめず、「活達な対話」と相手の立場、考え方も尊重することを忘れず、あわせて自らも重んじるよう、すなわち自重自敬をこころがけてください。本学の教員は、未知のものを学ぼうとする者に対して、同じ道を歩む先達として真剣に向き合います。また、大学として必要かつ多彩なカリキュラムを準備しています。決して安易な勉学の道はとらないでほしいと願います。ここでフランスの詩人・ジャン・コクトーが言った「青年は決して安全な株を買ってはならない」という言葉をみなさんに贈っておきたいと思います。

 みなさんは国際的知識人としての教養を身につけると同時に、専門家としての知識だけではなく、複眼的に今後の世界を見る能力を得てほしいと思います。そのためにも、みなさんが経験するこれからの大学生活では、読書にも多くの時間を費やすことを希望します。それも多読によって視野を広げ、精読によって深く思索し、自らを磨き、複雑で多元的な問題に対処できるようになってほしいのです。インターネットで安易に情報にアクセスするだけではなく、文理を超える読書によって頭を耕し、時空を越えてほしいと思います。読書によって、いにしえの賢者に相まみえ、世界中の先達を友としてください。そのためには、語学もまた大事であり、この機会に是非様々な外国語の習得にも努力してほしいと思います。真の国際人にはどうしても国際語は必要とされます。若いときにチャレンジした外国語はたとえ忘れることがあっても、再度必要なときにその語学の勉強を再開する上で非常に役立ちます。

 現在、大学にはおよそ3,000名の教員と2,500名の職員、22,000名の学生がいます。京都大学在学中に出会い、そこで生まれる人間関係は、将来きっとみなさんの人生を彩り深いものにすることでしょう。学習や研究で出会う人のみならず、クラブ活動やその他の出会いを大切にして、自ら進んで人間関係の綾を織りなしてほしいと思います。我々教職員は、伝統を基礎とし革新と創造の魅力・活力・実力ある京都大学を目指して、大学の教育・研究環境を充実させていきます。本日ご臨席のご家族や関係者の皆様には、引き続き、本学への支援や応援を切にお願い申し上げます。

 みなさんは難関を突破し、今日ここに集まっています。みなさんの多くは今後どの方向に自分の才能を伸ばしていけばよいのかを決めていることと思います。しかしながら、まだそのことを定め得ず悩んでいる人もいるかもしれませんし、入学したものの、違う方面に才能があるかもしれないと思っている人もいるかもしれません。学力の発揮だけが才能ではありません。比喩的にいえば、平面角の2πではなく、立体角の4πのどこかにみなさんが大きな樹に成長するような方向がきっと存在します。それも、華麗な花をつける樹木だけでなく、むしろ逆境においても常に変わらずみずみずしい緑を保つ「歳寒の松柏」となれるよう、あわてることなく京都大学の在学中にその方向を見つけていただきたいと思います。

 最後になりましたが、みなさんには、何よりも自らの健康を大切にし、体とこころを鍛え、学業に励んでいただきたいと思います。そして、新たな友人と出会い、語らい、課外活動やボランティア活動等様々な可能性に目を向け、力一杯活躍されんことを祈念し、私の入学式の式辞とさせていただきます。
  京都大学へのご入学、おめでとうございます。

動画は以下のページをご覧ください

関連リンク