平成20年度 修士学位・修士(専門職)学位・法務博士(専門職)授与式 式辞 (2009年3月23日)

第25代総長 松本 紘

会場の様子

 本日、京都大学修士の学位を授与された2,123名の皆さん、修士(専門職)の学位を授与された124名の皆さん、法務博士(専門職)の学位を授与された187名の皆さん、誠におめでとうございます。ご来賓の沢田敏男元総長、長尾真元総長、尾池和夫前総長、名誉教授ならびにご列席の副学長、部局長、教職員とともに、皆さんの学位取得を心からお祝い申し上げます。
  人間健康科学修士、薬科学修士は今回が初めての授与となります。
  これまで京都大学が授与した修士の累計は、皆さんを含め、59,110名、修士(専門職)の累計は326名、法務博士(専門職)の累計は、701名になりました。皆さんは、私が総長として初めて世に送り出す修士・専門職修士・法務博士となります。また、本日この学位授与には、607名の女性と142名の海外からの留学生が含まれています。
  皆さんにとって修士課程の2年間はどのような日々だったのでしょうか。修士課程修了のいま、自らを振り返るということは非常に大切なことです。フランスの作家アンドレ・モーロワはこう言っています。
  「精神というものは、時々洗い清めて、新しく繕いなおすことが必要である。」
  これまでには嫌な思い出、苦しい経験やほろ苦い失望もあったでしょう。これについてもモーロワは、「忘却なくして幸福はありえない」とも言っています。とても味わい深い言葉です。自己の修士課程での学問研究とともに、人間として自分はどのくらい成長したのだろうかと問うてみるよい機会だと思います。
  学部の4年間は教養教育および専門分野の基礎教育の学習が中心であるのに対して、大学院修士課程は、自らが選んだ専門分野をさらに深く修め、その分野の専門家として自立しうる人材となる教育を受けたところです。しかし単に専門的知識を身につけたというだけでなく、専門的知識を身につけた人の果たすべき責任も負わねばなりません。すなわち、いろんな局面において、社会を導く専門家の卵として適切な判断を行い、発言し、また行動しなければなりません。こういったことは、真理や学理の探求を旨とする研究を通じて、一定程度、可能となってきたことと思いますが、修士修了のこのときに、それぞれが自身に厳しくそのことを問うていただきたいと思います。

松本総長  修士課程において、教育を通じて多様な知にふれ、さらに最先端の研究を自ら実践することで、新たな課題をいかに設定すればよいのかという課題設定能力や、それを解決するためにどう取り組めば良いのかという問題解決能力を身につけられたことと思います。すなわち、この度、皆さんに授与された学位は、専門家の登竜門をくぐり抜けたということの証なのであります。
  皆さんの中で約4分の1の人は、これからさらに研究者や専門家になるべく、博士課程に進むことを選択され、残りの皆さんは社会で活躍することを選択されました。いずれの道に進もうとも、本学の修士課程で学んだことを基盤にして、それぞれの道で果敢に挑戦し、凛とした気概を持って、活躍していただきたいと思います。
  本日の修了式にあたり、贐(はなむけ)として皆さんに三つの言葉をお贈りします。
  一つ目は、「自得自発」という言葉です。1897年、京都大学初代総長の木下廣次先生は、京都大学のはじめての入学宣誓式において
   「大学学生に在ては自重自敬を旨とし以て自主独立を期せざるべからず。故に諸君は既に後見を脱したる者として吾人は諸君を遇する也。因て平素の事は細大注入の主義に依らず自得自発を誘導することを務めんと欲す」
と述べておられます。木下初代総長の式辞のこの言葉が、今でも変わらず京都大学が大切にする自由の学風のひとつの源なのです。これからの困難な時代にこそ、自得自発を旨とし、自主独立を重んじ、自ら問いを発し、常に挑戦していただきたいと思います。
  二つ目は、「自鍛自恃」という言葉です。自鍛とは自らを鍛え、自恃とは「自らに恃むべし」ということで、江戸時代の昌平坂学問所の名塾長として知られる佐藤一斎は「士は当に己に在る者を恃むべし」と述べています。これからも多くの試練や困難が皆さんを待ち構えています。困難を厭わず、困難を乗り越えて、それを自らを鍛えるチャンスと捉えてみてください。今まさに米国発の未曾有の金融危機・経済不況にみまわれ、基本的な価値観や労働観、そして私たちの生活環境が大きく揺れている状況です。日本が培ってきたものづくり技術の伝統や、高い科学技術力、共生を重視する「和」の考え方、そしてその中で生まれてきた価値観の良い面、強い面を今一度思い起こすときが来ているように感じます。新しい価値観を見出し、生活の質を問い直すような、考え方の大転換が必要な時代に我々は生きているのです。この困難な状況においても、自由な発想のもと、皆さんには日本あるいは世界で指導的な役割を果たしていただきたいと思います。
  三つ目は、「楽天知命」という言葉です。天与の才や境遇を楽しみ、天から自分に課せられた使命や運命を知るということです。これは易経の「自由に生きて流されず、天を楽しみて命を知る。さすれば憂うることはない」という考えで、 詩人白居易はこの言葉を好み、自らを白楽天と称していました。私の総長就任直前に、長尾真元総長からこの「楽天知命」と揮毫された書をいただきました。困難な時代でも、先人の教えに習い、己を信じ、仕事や文化や生活を楽しむゆとりを持つことは大切だと思います。

  最後になりましたが、112年の歴史のもと、京都大学では、個性豊かな「彩なす(colorfulな)人材」が、綾織(warp and woof)の如く縦横に結ばれた「綾なす人間模様」をなし、その特徴としています。また、文化、文人、人文に使われる「文(ぶん)」は学問、芸術、教養を表す「あや」とも読めます。この「文(あや)」も京都大学の学問の源流であります。京都大学ではこの三つの「あや」が混然一体となって、独特の雰囲気を生み出してきました。この「あやなす大学」、京都大学と、1,200年の歴史都市、京都において学んだことを日々の生活の中に活かして、人生を生き抜いてほしいと思います。
  皆さんが人生の困難に直面したとき、一層の知識や経験が必要となるでしょう。その場合には、皆さんが学んだこの京都大学を思い出してください。そして気軽に大学を訪れてください。京都大学との縁は、同窓会や生涯の学びを通じてこれからも続きます。この大学で出会った多くの友人や教職員が人生の基軸として皆さんの力となること忘れないでください。
  本日学位を得られた2,434名の皆さんが、それぞれの目的に合った場所を見つけ、自らの学習や研究の成果を生かして、いきいきと活躍することを願い、私のお祝いのことばとします。本日は、誠におめでとうございます。

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