京都大学水泳部百周年記念祝賀会 挨拶 (2008年12月6日)

第25代総長 松本 紘

松本総長 京都大学水泳部が百周年を迎えられましたことに、心からお祝い申し上げます。

 水泳部は、ボート部(当時「水上運動部」)の兄弟部として産声を上げましたが、正確な創部年は最近まで不明のままでした。水泳部の創部年を確定しようという機運がOB会で高まったのは、平成18年にボート部が創部百周年祝賀会を時計台記念館国際交流ホールで行い、記念誌を発刊したことがきっかけだそうです。OB会では、ボート部の名簿と水泳部の名簿等を突合せ、その他の状況証拠を勘案し、ボート部創部の2年後の明治41年(1908年)を水泳部の創部年とすることが最も合理的だという判断を行い、正式に創部年を確定されました。

  しかし、その後の記録の追跡は困難を極め、水泳部の正史を編纂するために現在も追跡を続けておられます。そのため、現在の正確な記録は戦後以降のもののみで、詳しくは、本日、いただいた「創部百年の歩みと思い出」に記載されております。

 そこにある戦後の水泳部長の変遷を見ますと、ボート部OBで理学部生物化学の田中正三教授が水泳部部長を務められ、昭和35年に化学研究所の教授であられた稲垣博先生(昭和59年から化学研究所所長、評議員を歴任、昭和63年ご退官)に水泳部部長を引き継がれました。この当時、後にノーベル生理学・医学賞(昭和62年)を受賞する利根川進博士も田中先生の教室に学生として在籍していたということです。

当日の様子 稲垣先生は、昭和59年に農学部教授の村上浩二先生(平成4年より評議員、平成7年ご退官)と部長を交代されるまで、ほぼ四半世紀に渡って水泳部の部長として水泳部の発展にご尽力されてこられました。その間、昭和39年(東京オリンピックの年)に現役・OB交流誌である『京泳』誌を創刊され、昭和47年には京都大学創立70周年記念事業の一環として現在の場所に50メートルプールの建設を推進されてこられました。さらに、昭和53年に水泳部のOB会として京泳会を発足させ、当時野村證券・副社長の高野 孝氏(昭和31年卒)を会長に据えられ、現役水泳部に対する経済的な後援体制を作られました。

 平成5年に村上先生から医学部助教授の笠木寛治先生(昭和44年卒)に部長が引き継がれ、その後、平成12年の9月に笠木先生が高松赤十字病院に転出されたため、小田先生(昭和53年卒、現在農学部教授)に部長が引き継がれ現在に至っています。

 その間に、平成14年に村上先生が、平成19年に稲垣先生が他界されましたが、本日は、両先生の奥様も出席されておられます。水泳部における稲垣先生、村上先生のご功績をたたえ、京都大学を代表して感謝の意を表すとともに、水泳部の今後の健闘をお祈りして、私のお祝いの言葉といたします。

 本日は、誠におめでとうございます。