吉川 忠夫

吉川 忠夫

吉川 忠夫 名誉教授が日本学士院会員に選ばれる

吉川忠夫名誉教授の写真

吉川 忠夫 名誉教授

吉川忠夫名誉教授は、昭和34年に京都大学文学部史学科を卒業、東海大学文学部講師、本学教養部助教授を経て、同49年に人文科学研究所助教授に配置換、同59年教授に昇任、平成3年より2年間人文科学研究所長を兼任され、同12年停年により退官、京都大学名誉教授の称号を授けられました。

吉川名誉教授は、後漢時代から隋唐時代に至る中国史および中国思想史の諸分野において、数多くの優れた業績を挙げてこられました。その業績は大別して次の二つに分けられる。第一は、六朝貴族制社会の研究。南朝宋の創始者である劉裕を例として、武人と貴族とが合体融合して権力機構を形成していくという南朝政権の本質を明らかにした『劉裕』、東晋期に文化的優位を保ちつつも、河北を異民族支配に委ね、南北対峙の情况を受け入れざるを得なかった南朝政権が、梁末に起こった侯景の乱を契機として、軍事的にも北朝にたち打ちできなくなり、やがてその終焉を迎えるに至る過程と、そこにあらわれた南朝貴族社会の特質を解明した『侯景の乱始末記―南朝貴族社会の命運』などは、その代表的な業績です。

第二は、『六朝精神史研究』や『中国人の宗教意識』などの六朝精神史を中心とする思想史研究。中国思想史上における六朝時代の特質は、漢代以来の伝統を継承する儒教、西方から伝来した仏教、中国人の民族宗教として成立した道教、これら三者が並存し、その間で相互の浸透、反発、融合が繰りかえされた、中国史上他に例を見ない宗教の時代であったという点にあります。吉川名誉教授は、このような儒教・仏教・道教が複雑に錯綜した時代の人々の生活と精神の営みとを、広汎な資料を駆使し、かつ綿密な文献批判のもとに生き生きと描きだすことによって、従来の歴史研究や思想史研究の枠に収まらない、独創的な観点と方法とを打ち立てられました。

また、人文科学研究所で組織された共同研究班の成果である『真誥研究(訳注篇)』や近年刊行された『後漢書』全10冊などの訳注類は、深い学識に裏付けられた、余人の追随を許さぬ古典の読解力を遺憾なく発揮されたものであり、内外の学界から高い評価を得ています。今回の学士院会員への選出は、吉川名誉教授のこれまでの一連の業績が評価されたものです。

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