低酸素濃度培養によるiPS細胞樹立効率の改善 -効率的な樹立方法開発に貢献する知見をCell Stem Cellに報告-

低酸素濃度培養によるiPS細胞樹立効率の改善 -効率的な樹立方法開発に貢献する知見をCell Stem Cellに報告-

2009年8月28日

 人工多能性幹細胞(iPS細胞)は、体細胞に多能性誘導因子を導入することで樹立され、ES細胞(胚性幹細胞)に似た形態、遺伝子発現様式、高い増殖能と様々な組織の細胞に分化できる多能性を併せ持ち、将来、細胞移植治療などの再生医療への応用が期待されています。iPS細胞の重要な課題の一つとして、樹立効率の改善があげられます。

 吉田善紀助教と山中伸弥教授(京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター/同再生医科学研究所)らの研究グループは、このたび、4因子(Oct3/4, Klf4, Sox2, c-Myc)をレトロウイルスベクターを用いてマウスおよびヒトの線維芽細胞に導入し、5%の低酸素濃度で培養するとiPS細胞の樹立効率が改善することを見出しました。マウス線維芽細胞にc-Mycを除く3因子でも同様の結果が得られました。また、レトロウイルスのみならず、プラスミドピギーバック・トランスポゾンをベクターとして用いた場合でも、マウスiPS細胞の樹立効率が上昇しました。

 この研究成果は、低酸素濃度の培養環境が細胞のリプログラミングを促進することを示唆しており、今後、最適なiPS細胞の樹立環境条件を研究し、効率的な樹立方法の開発に寄与することが期待されます。

 また、iPS細胞研究センターは、昨年10月にトロント大学(カナダ)と研究協力の覚書に署名しており、この協定に基づき、本研究のために、トロント大学からピギーバック・トランスポゾンを提供していただきました。

 本論文は、8月27日(木曜日)正午(米国東部時間)に科学誌Cell Stem Cell オンライン速報版で発表されました。

  • 論文名
    "Hypoxia Enhances the Generation of induced Pluripotent Stem Cells"
    「低酸素環境がiPS細胞樹立を促進」
    Yoshinori Yoshida, Kazutoshi Takahashi, Keisuke Okita, Tomoko Ichisaka and Shinya Yamanaka

研究の背景

 iPS細胞は、山中教授らの研究グループがマウスの線維芽細胞(mouse embryonic fibroblasts: MEF)に4つの遺伝子(Oct3/4, Klf4, Sox2, c-Myc)をレトロウイルスベクターで導入することにより、世界で初めて樹立し、2006年に発表しました。同様に2007年には、ヒトiPS細胞の樹立成功を報告しています。

 iPS細胞を難病や外傷の患者さんの体細胞から作製することにより、患部細胞に分化誘導し、in vitro(生体外)での病態の解明、毒性や副作用の試験などが可能になり、将来的には細胞移植治療に貢献することが期待されています。しかし、低い樹立効率やがん原遺伝子c-Mycを導入することによる腫瘍形成の危険性が指摘されており、iPS細胞技術の臨床応用の障害となっています。これらの課題を解決するために、低分子化合物を用いるなど、さまざまな細胞のリプログラミング方法が報告されています。本研究では、培養環境に視点を転じて、酸素濃度の低減がiPS細胞の樹立に与える影響を調べました。

研究結果

マウスiPS細胞の樹立効率の改善

 成体幹細胞は体内のニッチと呼ばれる微小環境に存在し、酸素圧の変化などが幹細胞の機能や分化に影響することがわかっています。また、低酸素濃度培養でES細胞の分化を防ぐ効果があることも知られております。そこで私たちは、低酸素状態が細胞のリプログラミングを促し、iPS細胞の樹立を促進するのではないかという仮説をたてました。

 まず、マウスの線維芽細胞(mouse embryonic fibroblasts: MEF)に4因子(Oct3/4, Klf4, Sox2, c-Myc)、またはc-Mycを除く3因子を、レトロウイルスベクターを用いて導入しました。それらを、導入後5日目から14日目まで、酸素濃度21%、5%、または1%の条件下で培養しました。酸素濃度5%で培養され、4因子を導入したMEFから樹立されたGFP陽性iPS細胞株数を、導入後21日目に数えたところ、通常酸素濃度で培養されたiPS細胞株数の7.4倍になり、28日目には、3.1倍でした。3因子を導入したMEFで同様の実験をしたところ、5%酸素濃度で培養したiPS細胞株数は、21日目に20倍、28日目には7.6倍に達しました。上記のことから、低酸素濃度下で4因子または3因子導入によるiPS細胞の樹立効率がともに改善されることを確認しました。

 また、4因子を導入したMEFでは、有意な増殖効果とOct3/4とNanogの発現レベルの上昇が観察されました。さらに、MEFを低酸素条件下に置くことにより、遺伝子発現パターンが全体的にES細胞に似たパターンに変化しました。これらのことは、低酸素条件が細胞核のリプログラミングに影響がある可能性を示唆しています。

2因子(Oct3/4, Klf4)導入によるiPS細胞樹立効率の改善

 マウスiPS細胞は、Sox2が発現している神経幹細胞を用いるとOct3/4とKlf4の2因子導入で低効率ではありますが、樹立されることが知られてます。また、低分子化合物を用いると、MEFにOct3/4とKlf4の2因子を導入することによりiPS細胞を樹立できます。そこで、我々は低酸素濃度の下、上記の2因子を導入しMEF-iPS細胞の樹立を試みました。5%酸素濃度の条件で培養すると、21%酸素濃度で培養された時と比べてiPS細胞の樹立効率が高まりました。低酸素濃度処理は、ある種の低分子化合物と同様に2因子でのマウスiPS細胞の樹立を可能とすることを確認しました。

   

  1. 図表A
    a: 酸素濃度別 4因子を導入したMEFにおけるGFP陽性細胞コロニー数の比較。□は導入後21日目の数を、■は導入後28日目の数を表している。
    b: 酸素濃度別3因子を導入したMEFにおけるGFP陽性細胞コロニー数の酸素濃度別の比較。□は導入後21日目の数を、■は導入後28日目の数を表している。
    c: 酸素濃度別 4因子を導入したMEFにおけるGFP陽性細胞コロニーの割合の酸素濃度別の比較。(導入後21日目に算出)
    d: 酸素濃度別 3因子を導入したMEFにおけるGFP陽性細胞コロニーの割合の酸素濃度別の比較。(導入後21日目に算出)
    e: 酸素濃度別2因子を導入したMEFにおけるGFP陽性細胞コロニー数の酸素濃度別の比較。(導入後28日目にカウントした。)

低酸素濃度環境で樹立されたiPS細胞の解析

 2因子、3因子、4因子を導入したMEFをランダムに選択して、低酸素濃度培養でiPS細胞を樹立し、多能性を調べたところ、いずれもES細胞の形態を示し、核型も正常でした。また、mRNAの発現パターンもES細胞のパターンと類似していることを確認しました。これらのiPS細胞をマウスの皮下に注入したところ、いずれも奇形種を形成しました。この奇形腫を解析すると三胚葉の細胞が確認できました。さらに、2因子で作製されたiPS細胞は、キメラマウス体内の体細胞形成に寄与しました。しかし、論文発表段階においては、いずれの2因子で作製されたiPS細胞由来のキメラマウスでも、多能性の厳格な評価指標であるジャームライントランスミッションを確認できていません。これらのことから、低酸素濃度環境で得られたiPS細胞の多能性の程度の検証はさらに必要であると考えられます。

プラスミド、トランスポゾンを用いたiPS細胞樹立効率の改善

 外来遺伝子のゲノムへの挿入をなくすためにプラスミドやピギーバック・トランスポゾン(PB)を用いたマウスiPS細胞の樹立が報告されています。低酸素濃度培養でこれらのベクターを用いた時にiPS細胞の樹立効率の改善が見られるか検証したところ、プラスミド、PBともに樹立効率の改善を確認しました。この結果は、低酸素濃度処理による樹立効率改善効果は、様々な樹立法によるマウスiPS細胞で有効であることを示しています。

ヒトiPS細胞の樹立効率の改善

 ヒトiPS細胞においても低酸素濃度培養による樹立効率改善効果が確認できました。成人の線維芽細胞(human dermal fibroblasts: HDF)にレトロウイルスベクターを用いて4因子を導入しました。5%酸素濃度で14日間培養すると、遺伝子導入後24日目に、iPS細胞株数が通常酸素濃度で培養した場合の4.2倍、32日目に2.8倍、40日目に2.6倍でした。21日間培養した場合、iPS細胞株数は、24日目に4.2倍、32日目に3倍、40日目に2.5倍となりました。樹立されたヒトiPS細胞は、ES細胞に類似した形態を示し、多能性を持つことを確認しています。

   

  1. 図表B
    a: 4因子をHDFに導入して樹立されたES細胞様コロニー数の酸素濃度別の比較。(導入後24日目)
    b: 4因子をHDFに導入して樹立されたES細胞様コロニー数数の酸素濃度別の比較。(導入後32日目)
    c: 4因子をHDFに導入して樹立されたES細胞様コロニー数数の酸素濃度別の比較。(導入後40日目)

     

今後の展開

 本研究は、通常酸素濃度と低酸素濃度で培養した場合のiPS細胞樹立効率を比較検討したものです。5%酸素濃度で培養すると、より効率的にマウスおよびヒトのiPS細胞を樹立できることを見出しました。

 また、極度の低酸素濃度環境は、細胞毒性があります。本研究では、MEFと比較すると、HDFは低酸素の細胞毒性の感受性が高く、1%酸素濃度で培養された場合、HDFの増殖が抑制され、数日間内に細胞死を招くケースも確認しました。

 この研究結果を受けて、低酸素濃度培養によるiPS細胞樹立促進に最適な酸素濃度と培養期間をさらに検討していきます。また、低酸素による樹立促進効果の知見は細胞のゲノム改変を伴わないiPS細胞樹立法の開発に大きく役立つと期待されます。

本研究への支援

本共同研究は、下記機関より資金的支援を受け実施されました。

  • 独立行政法人科学技術振興機構(JST)「山中iPS細胞特別プロジェクト」
  • 文部科学省「再生医療の実現化プロジェクト」
  • 独立行政法人医薬基盤研究所(NIBIO)「保健医療分野における基礎研究推進事業」
  • 独立行政法人日本学術振興会(JSPS)
  •  朝日新聞(8月28日 36面)、京都新聞(8月28日 29面)、産経新聞(8月28日 29面)、日刊工業新聞(8月28日 24面)、日本経済新聞(8月28日 42面)および毎日新聞(8月28日 3面)に掲載されました。