末梢神経の発生研究から明かされる難病の謎:最新研究の総説

末梢神経の発生研究から明かされる難病の謎:最新研究の総説

2013年8月23日

 高橋淑子 理学研究科教授らの研究グループは、末梢神経系の発生研究から、ハンセン病を含むさまざまな難病の原因究明へと繋がる最先端の研究成果について、幅広い読者を対象とした総説を発表しました。

 本研究成果は、米国科学雑誌「Science」電子版に2013年8月22日(木曜日)(米国東海岸標準時)に掲載されました。

概要

 痛い、熱いといった感覚を司る末梢神経は、神経堤細胞と呼ばれる特殊な細胞群から作られます。神経堤細胞は胚内を広く移動しながら、少しずつ分化します。移動中、近くの細胞や組織からさまざまなシグナルを受け取ると同時に、神経堤細胞もシグナルを送り返します。つまり神経系と非神経系との間には、これまで考えられたよりもはるかに複雑な相互作用が働いています。そしてこれらの相互作用の理解が、原因不明のまま放置されていた難病の解明に結びつくという道筋が見えてきました。本論文では、神経系-非神経系の間ではたらく相互作用によって明らかになったさまざまな難病の原因に関して、世界の最先端の研究成果をまとめました。サイエンス誌に掲載される総説論文の理念に則り、幅広い読者層にも理解できる内容となっています。ハンセン病や新生児にみられる先天性異常などの治療法開発を支える、学術研究の方向性が示されています。

総説内容

 末梢神経系とは、脳・脊髄以外のすべての神経系のことをいいます。痛い、痒い、冷たいなどの感覚に加え、恒常性を司る自律神経系や腸を調節する神経も末梢神経系です。卵から発生が進む過程では、末梢神経は「神経堤細胞」と呼ばれる特殊な細胞群からつくられます。神経堤細胞は、できたばかりの脊髄から遊走を始め、その後、胚内を広く移動しながら分化します。神経堤細胞は末梢神経(神経細胞とグリア細胞)に加えて、体表の色素細胞にも分化する幹細胞です。「神経堤細胞が関与しない器官形成は存在しない」といわれるほど重要ですが、実際に胚内を動いている時の様子は謎でした。しかし最新の研究(高橋らScience, 2012, を含む)によって、移動中の神経堤細胞を詳しく解析することで、原因不明の難病解決への道筋がみえてきました。

 まず、神経堤細胞の移動と分化には、血管が重要な働きをすることが示されました(Saito, et al., Science, 2012)。血管が神経堤細胞の移動をコントロールするとともに、血管近くに辿り着いた神経堤細胞のその後の分化も、血管からのシグナルが決定します。このことは、循環器系の異常が末梢神経系の疾患を引き起こす可能性を示します(神経系疾患の原因を探る際、神経系ばかりをみていてはいけない、ということ)。他の研究グループからは、神経堤細胞が組織と組織の間を「ジャンプ」するという全く新しい現象が報告されました(Nishiyama et al., Nat Neurosci, 2012)。細長い腸の上を移動する神経堤細胞のうち一部の細胞群は、曲がりくねった腸の間を「近道」します。高頻度にみられる先天性小児疾患であるヒルシュスプルング病の理解に大きく貢献しました。

 幹細胞である神経堤細胞が、未分化→分化と分化→未分化を繰り返す様子も見えてきました。たとえば、グリア細胞が神経にまとわりつくとき、その力が弱いと神経から離脱します。そして離脱したものは、その後未分化状態に戻った後、色素細胞へと転換します。つまりある条件下では(手術のときなど)、体の奥深くに潜んでいたグリア細胞が色素細胞へと変化して体表に現れるのです。表皮のみを対象としてきた色素細胞の研究に、一つの革命をもたらしたといってもいいでしょう(Adameyko et al., Cell, 2009)。

 さらに特筆すべきは、ハンセン病の発症機構が、神経堤細胞の研究によって明らかになったことです。ライ菌(ハンセン病の原因となる細菌)が末梢神経系をターゲットにしていることは以前より知られていましたが、それがどのようなしくみで筋肉や結合組織にまで伝播されるのかは謎でした。最近の研究から、グリア細胞がライ菌に感染すると、その後グリア細胞がリプログラミングを起こし、ライ菌をもったまま筋肉系の細胞へとその姿を変えることが示されました (Masaki et al., Cell, 2013)。神経堤細胞が本来備えている多分化能が、ライ菌によって「ハイジャック」されたのです。

 


図: 神経系と非神経系との間にはたらく相互作用を理解することは、難病の原因究明に大きく貢献する。特に神経堤細胞は、その発生過程で多種多様の組織と関わるため、それら相互作用の破綻は多くの先天性異常を引き起こすと考えられる。

波及効果

 差別の歴史をもつハンセン病の発症機構が、科学的に解明されたことの社会的意義は非常に大きいです。神経堤細胞に特有の多分化能が、有効活用される場合と悪用される場合があるという「二面性」の発見は、今後の難病原因の究明に大きく道を開くことになります。また、血管あるいは腸組織(どちらも中胚葉系)によって神経堤細胞のふるまいがダイナミックに制御されるという発見は、末梢神経系の異常として認識される病気であっても、その原因は中胚葉系の組織にあるというケースが少なくない可能性を意味します。

 神経堤細胞は、正常胚において働く「組織幹細胞」として発見され、現在の幹細胞研究の素地を築きました。このように、神経堤細胞の研究から得られる発見は、そのままiPS細胞研究や再生医療にも応用されうるものです。

 異なる組織間にはたらく相互作用を深く知るためには、生きた胚/生体をまるごと扱い、かつ異なる組織を区別して検証するなど、より総合的なアプローチが求められます。今回の総説は、基礎研究と応用研究を結ぶための新たな方向付けが示されています。

今後の予定

 今回の論文では、さまざまな疾患を神経堤細胞の視点から明らかにするテーマで論じましたが、同様の研究は、他の組織にも当てはまります(例:神経系と免疫系、血管と各臓器など)。多臓器の間に見られる連関を視野にいれた、統合的研究の重要性が増すでしょう。

 

書誌情報

[DOI] http://dx.doi.org/10.1126/science.1230717

Takahashi Yoshiko, Sipp Douglas, Enomoto Hideki.
Tissue Interactions in Neural Crest Cell Development and Disease.
Science 23 August 2013: 341 (6148), 860-863.