慢性痛の原因となる神経炎症応答の増悪機構を解明-新しい鎮痛薬開発の可能性-

慢性痛の原因となる神経炎症応答の増悪機構を解明-新しい鎮痛薬開発の可能性-

2012年3月15日


左から金子教授、中川准教授

 金子周司 薬学研究科教授、中川貴之 同准教授、原口佳代 同共同研究員らの研究グループは、慢性痛の原因となる末梢神経系や中枢神経系の神経炎症応答の増悪機構に、イオンチャネルの一つであるTRPM2が関与することを解明しました。このことは、TRPM2を標的とした新しい鎮痛薬の開発につながるかもしれません。

 この研究成果は、3月14日、米国科学雑誌「The Journal of Neuroscience」に掲載されました。

研究の背景と目的

 痛みは、生体に危害を加えうる危険からの回避、傷害部位の警告等、人が安全に生きていくためにとても重要な感覚で、正常状態の体に生じる警告的な一時的な痛み(急性痛)は、生理的な痛みとも呼ばれています。一方、慢性痛は、長時間持続する痛みで、場合によっては組織の損傷が治癒し、明らかな原因がないにもかかわらず長期間持続することもあり(病態的な痛みとも呼ばれています)、もはや生体警告系としての役割を果たしているとは言えません。それどころか、患者のQOL(生活の質)を低下させるだけでなく、長く続く耐え難い痛みは患者の生きる気力さえ奪うこともあります。そのため、慢性痛は積極的に治療することが必要とされていますが、神経にまで損傷が及んだ際などに生じる神経障害性疼痛など、既存の鎮痛薬が効力を示さない難治性の慢性痛も少なくなく、新たな作用機序を持った次世代鎮痛薬の創製が切望されています。

 痛みのシグナルは、末梢神経である一次知覚神経を通って脊髄に入り、中枢神経である脊髄後角神経へと伝達され、さらに上位中枢(脳)において痛みと認識されます。ところが、組織や神経の損傷等により末梢神経の周囲に炎症が生じると、好中球やマクロファージといった免疫系細胞が一次知覚神経周囲に多数浸潤し、様々な炎症性メディエーターを放出します。これら炎症性メディエーターの中には、痛みの発生あるいは増強に関わる因子も含まれ、一次知覚神経に作用して、その反応性を増強することが知られています(末梢神経感作)。さらに、末梢神経の損傷部位とは離れた脊髄(中枢神経系)内においても、中枢神経系内で免疫応答を司る細胞の一つであるミクログリアと呼ばれる細胞が活性化され、様々な炎症性メディエーターの産生を介して、脊髄後角神経の過敏化(中枢神経感作)を引き起こすことが知られており、特にこの中枢神経系での炎症応答が、痛みの長期化および難治化に関わっていると考えられています。

 今回、私達は、好中球、マクロファージやミクログリアといった痛みの慢性化に関わる免疫系細胞に存在し、活性酸素種のセンサーとして機能しているイオンチャネルであるTRPM2(トリップエム2)の働きに注目し、TRPM2を遺伝子操作により欠損させたマウスを用いて、慢性痛、特に炎症性疼痛や神経障害性疼痛との関連を検討しました。

研究成果の概要

 まず、TRPM2遺伝子欠損マウスを用いて、圧や熱による痛みに対する正常時の応答(侵害受容応答)を検討しましたが、いずれも変化は見られませんでした。このことは、TRPM2は生理的な痛み(急性痛)には関与しないことを示しています。ところが、炎症を引き起こす物質をマウスの足の裏に投与した時に見られる炎症性疼痛や、マウスの末梢神経(坐骨神経)を細い糸で結紮し、人為的に損傷させた時に見られる神経障害性疼痛は、TRPM2遺伝子欠損マウスでは消失することを発見しました。このとき、炎症部位や神経損傷部位周辺では、TRPM2の量が顕著に増加していること、また、通常ならば多数の好中球やマクロファージが浸潤し、炎症応答を引き起こしているのですが、TRPM2遺伝子欠損マウスでは、マクロファージの数は変わらないものの、好中球の数が減少しており、さらに、好中球の浸潤を促すケモカインと呼ばれる因子の一つであるCXCL2の量が減少していることを見出しました。また、このCXCL2は主にマクロファージから産生されており、TRPM2が関わっていることも確認しています。すなわち、TRPM2は、炎症時あるいは末梢神経損傷時にマクロファージから産生されるCXCL2の産生、およびそれに引き続く好中球の浸潤に関与し、末梢神経の過敏応答(末梢神経感作)に関わっているのではないかと考えられます。さらに、神経障害性疼痛時に脊髄内で見られるミクログリアの活性化も、TRPM2の遺伝子欠損により消失することも明らかにしました。

 これらの結果は、慢性痛の発症の基盤となる末梢神経系および中枢神経系での神経炎症応答の増悪機構にTRPM2が関わっていることを示すものです。現在最も汎用される鎮痛薬である抗炎症性鎮痛薬(アスピリンなど)の抗炎症作用は部分的であり、また最も強力な鎮痛薬として知られる麻薬性鎮痛薬(モルヒネなど)は、痛みの伝達を抑制することで鎮痛作用を発揮する(生理的な痛みをも抑える)、いわば対症療法的ものであり、両者とも神経障害性疼痛に対しては無効あるいは効果が弱いことが知られています。それに対し、TRPM2は、病態的な痛みである慢性痛の発症の元凶となる神経炎症応答そのものを、末梢および中枢レベル双方で抑制できるため、慢性痛を治療できる、いわば「慢性痛治療薬」とも呼べる新たな作用機序を持つ鎮痛薬の標的となり得ると考えられます。残念ながら現状では、TRPM2の活性を強力かつ選択的に阻害できる薬物は存在しませんが、現在、私達はそのような薬物を探索しようとしているところです。

発表論文

TRPM2 contributes to inflammatory and neuropathic pain through the aggravation of pronociceptive inflammatory responses in mice.
Kayo Haraguchi1, Ai Kawamoto1, Kouichi Isami1, Sanae Maeda1, Ayaka Kusano1, Kayoko Asakura1, Hisashi Shirakawa1, Yasuo Mori2, Takayuki Nakagawa1,*, and Shuji Kaneko1
1Department of Molecular Pharmacology, Graduate School of Pharmaceutical Sciences, Kyoto University and 2Department of Synthetic Chemistry and Biological Chemistry, Graduate School of Engineering, Kyoto University
The Journal of Neuroscience, 14 March 2012, 32(11):3931-3941;
doi:10.1523/JNEUROSCI.4703-11.2012

関連リンク

本研究は、科学研究費補助金基盤研究B 21390022(研究代表者 金子周司)および若手研究B23790641(研究代表者 中川貴之)より資金的支援を受け、実施されました。

 

  • 朝日新聞(3月17日 33面)、京都新聞(3月17日 27面)、産経新聞(3月17日 30面)、読売新聞(4月1日 14面)および科学新聞(4月6日 4面)に掲載されました。