相互作用が競合する三角格子上の量子スピン液体が超低温で示す新しい自発的対称性の破れの発見-スピンの「超」液体状態-

相互作用が競合する三角格子上の量子スピン液体が超低温で示す新しい自発的対称性の破れの発見-スピンの「超」液体状態-

2010年7月12日


左から伊藤助教、小山田助教、前川教授

 伊藤哲明 人間・環境学研究科助教、小山田明 同助教、前川覚 同教授(低温物質科学研究センター長併任)の研究グループは、加藤礼三 理化学研究所主任研究員と共同で、相互作用の競合と量子力学的揺動により絶対零度までスピン秩序化が起こらない量子スピン液体において、超低温で自発的対称性の破れが起こり、新奇な「超」量子スピン液体状態が現れることを発見しました。本研究成果は英国科学誌「Nature Physics」に掲載されました。

  • 論文名:
    Instability of a quantum spin liquid in an organic triangular-lattice antiferromagnet (有機三角格子反強磁性体における量子スピン液体の不安定性)
  • 著者: 
    伊藤哲明、小山田明、前川覚、加藤礼三

研究の背景

 絶対零度でも量子効果により超流動液体であるヘリウムを除いて、あらゆる物質は高温では気体であり、温度が下がると液体になり、さらに温度が下がると固体になります。高温では原子や分子は大きな熱的運動エネルギーを持って乱雑に空間を動き回っており、これが気体状態です。ところが温度が下がり、熱的運動が納まってくると、粒子間の相互作用が効きだし粒子がくっつき、液体そして固体という秩序状態に落ち着いていきます。

 原子や分子が持つスピンと呼ばれる微小磁石の集合体である磁性体においても、スピン間の磁気的相互作用と熱的揺らぎとの強弱により同様の状態の変化が起こります。磁性体はそもそも固体であり、熱的に揺らぐのはスピンの方向です。温度が下がり、熱的揺動が納まると、スピン間相互作用が勝って、スピンの秩序状態が形成されることになります。

 ところが、隣り合うスピンが互いに反対方向を向き合おうとする相互作用(反強磁性相互作用)を持つスピンが三角形の関係で配置していると、相互作用が競合し、温度が低下しても安定な秩序状態をとることができません。このような現象はフラストレーション効果と呼ばれ、新奇な現象が現れてきます。さらに原子や分子のミクロな世界では量子力学的不確定性原理が働き、熱的揺動とは異なる量子力学的揺動が存在しています。この量子効果が強く働いている場合、絶対零度までスピンの秩序化が生じず、スピンがバラバラの方向を向いて揺らいでいる量子スピン液体状態が生じる可能性があります。もしこのような量子スピン液体が存在した場合、通常の古典力学的観点では想像もできない、液体ヘリウムで起こる超流動や、金属中の伝導電子の超伝導のような特異な「神秘的」状態に移行することがあるのだろうか、という問いかけがあり、物理学の未解決の根本的問題として残されています。

研究の成果

 実際の物質でスピン液体が実現している理想的物質はこれまでほとんどなく、上記問題は実験的に未解決のままでした。このような状況下で、理化学研究所の加藤礼三が図1のような三角格子構造を持つ有機磁性体EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2を近年合成しました。隣り合う[Pd(dmit)2]2分子が持つスピン間には互いのスピンの向きを反対方向に向けようとする相互作用が働いており、量子スピン液体になる可能性が高いと期待されます。この物質に対し、人間・環境学研究科の伊藤哲明、小山田明、前川覚らの研究グループが核磁気共鳴法という実験手段を用いて、スピン間相互作用240Kの1万分の1以下の0.019Kという超低温までスピンの秩序化が起こらず、この物質が確かに量子スピン液体状態にあることを明らかにしました。 

    

  1. 図1:三角格子有機磁性体EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2
    (a)EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2を横から見た図。[Pd(dmit)2]2分子とEtMe3Sb分子が交互に積層した二次元構造を持つ。 
    (b)[Pd(dmit)2]2層を上から見た図。電子スピンを持つ[Pd(dmit)2]2分子が三角格子を組んでいる。

 さらに重要なこととして、この量子スピン液体は1.0K以下で性質の全く異なる新奇スピン液体状態に変化することを見出しました。図2は核スピン緩和率とよばれる量で、スピンの揺動の強さを表す尺度です。1.0Kを境として、それ以下の温度でスピン液体状態でありながらスピンの揺動が急激に失われていくという現象が明確に見いだされました。1.0Kにおいて、高温側の通常の量子液体状態から、質的に異なる新奇量子スピン液体状態に移行していることが結論できます。このようなスピンの「超」液体状態の可能性について理論的な議論はあったものの、実験的には初めての発見です。

    

  1. 図2:EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2における核スピン緩和率(スピン揺動の強さ)の温度依存性。1.0K以下で揺動が急激に失われていき、質的に異なる液体状態に移行している様子が確認できる。

将来的な波及効果

 量子スピン液体状態は、高温超伝導体の発現機構と密接に関連している可能性が議論されてきています。実際、今回見つかった低温でのスピンの「超」液体状態におけるスピン揺動の温度依存性は、銅酸化物高温超伝導体のスピン揺動と酷似しており、高温超伝導発現機構への解明にも繋がると考えられます。

 また、スピン液体は相互作用の競合が重要な役割を演じており、このような物質は一般にわずかな外力で状態の制御が可能であり、新しい磁気制御素子や磁気記憶素子への応用の可能性を秘めています。

関連リンク

  • 京都新聞(7月13日 31面)、日刊工業新聞(7月12日 18面)および日経産業新聞(7月13日 11面)に掲載されました。