電子状態の違いを検知する新しい分子吸着現象を発見-酸素と窒素の超高効率分離技術の開発-

電子状態の違いを検知する新しい分子吸着現象を発見-酸素と窒素の超高効率分離技術の開発-

2010年6月7日

京都大学
独立行政法人 科学技術振興機構
財団法人 高輝度光科学研究センター
独立行政法人 理化学研究所


左から松田特任准教授、北川教授、秋山JST技術参事

 このたび、京都大学、独立行政法人 科学技術振興機構(JST)、財団法人 高輝度光科学研究センター(JASRI)、独立行政法人 理化学研究所の研究グループは、大阪府立大学、大阪大学と協力し、電子のやり取りの可能な多孔性物質を合成して選択的な分子吸着特性を発現することに成功しました。

研究成果の概要

 北川進 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス)副拠点長・教授、松田亮太郎 科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業ERATO型研究「北川統合細孔プロジェクト」グループリーダー・iCeMS特任准教授、下村悟 工学研究科・iCeMS特別研究員らの研究グループは、電子のやりとりが可能なナノメートルサイズの細孔物質を合成し、大型放射光施設SPring-8の高輝度放射光を用いて多様なガスが吸着された材料の結晶構造を詳細に分析しました。その結果、電子のやり取りの可能な細孔の性質を用いることで従来の多孔性物質では実現困難であった選択的な分子吸着特性を発現させることに成功しました。これにより様々なガス(窒素、酸素、二酸化炭素など)の効率的な分離技術開発のための新しい知見が示されました。本成果を応用する事により、大気中の有害ガスなどを効率的に除去する事が可能になると期待され、人類の健康と地球環境に貢献する材料開発につながるものと期待されます。

 今回の研究は、独立行政法人 科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業ERATO型研究「北川統合細孔プロジェクト」(研究総括:北川進)の一環として行われ、ロンドン時間6月6日18時(日本時間7日2時)に英国科学雑誌「Nature Chemistry(ネイチャー・ケミストリー)」のオンライン速報版で公開されました。

  • 論文名:
    "Selective Sorption of Oxygen and Nitric Oxide by an Electron-Donating Flexible Porous Coordination Polymer"
    Satoru SHIMOMURA, Masakazu HIGUCHI, Ryotaro MATSUDA, Ko YONEDA, Yuh HIJIKATA, Yoshiki KUBOTA, Yoshimi MITA, Jungeun KIM, Masaki TAKATA, Susumu KITAGAWA

背景

 大気中から、純粋な窒素、酸素、アルゴン等のガス分子を得ることや、二酸化炭素や窒素酸化物(NOx)、硫黄酸化物(SOx)などの環境汚染物質を除去することは、産業的な側面や環境問題において重要な課題であります。ナノメートルサイズの細孔(以下、ナノ細孔)を有した化合物は、上記の分子を化合物中に大量に取り込めることから、様々なところで使用されています(例えば消臭剤など)。特に助燃性ガスである酸素を空気中から分離精製することは産業的に非常に重要な課題です。

 しかしながら、空気中からの酸素分離は非常に難しいといえます。ガス分子の分離を従来の一般的な多孔性材料で行う場合、ガス分子のサイズの違いを利用することが一般的(図1)です。空気の主成分は窒素と酸素ですが、それぞれの分子サイズは、0.36nm、0.35nm、であり、まったくと言っていいほど差がありません。したがって、分子のサイズの違いを利用して分離を行うという従来の方法では、空気中の酸素と窒素を効率的に分けることはほぼ不可能なものといえます。

    

  1. 図1.分子の大きさで分離できるナノ多孔体の特徴 -分子ふるいー

研究内容と成果

 今回私たちは、サイズでガス分子を分離するのではなく、酸素と窒素との電子的な特徴の違いに着目し、従来の問題を克服することを試みました。専門的には、分子は原子核とその周りにあるいくつかの軌道上を回転する電子によって構成されています。その中でも最高被占軌道と最低空軌道と呼ばれる2種類の軌道の電子状態は、フロンティア軌道理論に基づいた反応性や酸化力などの観点から非常に重要な役割を担っています。

 酸素分子と窒素分子に着目すると、それぞれの最高被占軌道上の電子の状態は大きく異なっており、酸素分子のそれは窒素と比較して活性な状態になっています。本研究の成功の鍵はその分子の電子状態に着目したことです。

 私たちはまず、酸素が電子的に活性である特徴を生かすために、ナノ細孔物質を酸素に対して電子的に相互作用可能なTCNQ(テトラシアノキノジメタン)という分子を用いて合成しました(図2)。TCNQは電子的に酸化還元活性な分子です。分かりやすくいうと、酸素は電子的にプラスの要素があり、TCNQはマイナスの要素を有しているといえます。したがって、酸素はこのTCNQと電子のやり取りを行うことによって、ナノ細孔中に取り込まれることができます。一方、窒素にはそのような特徴がないためにナノ細孔へは取り込まれません。また、一酸化窒素は酸素と同様の特徴を有しているためにナノ細孔へ取り込まれます(図3)。

    

  1. 図2.TCNQ分子の構造(左)とTCNQナノ細孔物質へのガス吸着メカニズム(右)

    

  1. 図3.酸素(O2)と一酸化窒素(NO)のみが吸着される様子

 この特殊な吸着メカニズムを明らかにするために、金廷恩 高輝度光科学研究センター研究員および高田昌樹 理化学研究所放射光科学総合研究センター量子秩序研究グループディレクターらのチームと協力し、大型放射光施設SPring-8の高輝度・高分解能な放射光X線(粉末結晶構造解析ビームラインBL02B2)を用いて粉末X線回折測定を行うことにより、ナノ細孔物質が酸素または一酸化炭素を取り込む前後の結晶構造状態を確認しました。その結果、TCNQ分子を用いた多孔性物質は酸素と一酸化窒素を吸着したとき構造が膨張し、結晶にもかかわらずソフトな構造変化をともなう事も明らかとなりました(図4)。

    

  1. 図4.SPring-8 のBL02B2 ビームラインにおける放射光粉末X線回折測定実験によって、ガス分子がナノ細孔に取り込まれる様子を確認した。

 このような電子的な相互作用を利用した吸着材料はこれまでになく、今回の研究で発見した物質は空気から容易に酸素を分離できるという点において産業的に重要であるばかりでなく、従来のサイズによるガス分離の概念を覆したことは学問的にも非常に大きな成果であるといえます。

今後の期待

 今回の物質で実現できた酸素ガス分離技術は空気から容易に酸素を分離精製することが可能となり、産業的に大きな貢献をすると期待されます。さらに、ナノ細孔とガス分子の間の電子やり取りで開閉する細孔を作製した技術を応用すると、既存の分子サイズによるガス分離技術を越えてさまざまなガスをより選択的にガス分離できることから、高精度ガスの吸着や分離技術の向上に寄与するものと期待されます。

用語解説

多孔性物質

多数の微細な孔をもつ物質。吸着剤や触媒などに利用される。ガスや水などの選択性分離と反応などに広く用いられている。

大型放射光施設(SPring-8)

兵庫県の播磨科学公園都市にある大型共同利用施設で、SPring-8という名称はSuper Photon ring - 8 GeVから由来する。その管理運営は理研およびJASRI が行っている。放射光は光速で進む電子が、その進行方向を磁石などによって変えられると接線方向に発生する電磁波のことである。SPring-8の放射光は、物質科学・地球科学・生命科学・環境科学・産業利用などの幅広い分野で利用されている。

助燃性ガス

燃焼を促進するガスで酸化力のあるガス。

フロンティア軌道理論

故福井謙一教授がノーベル化学賞を受賞したフロンティア軌道理論に基づく。

粉末X線回折測定

試料を破壊せず内部構造を調べられる方法の一つ。粉末の試料にX線を照射するとさまざまな方向に回折X線が現れる。この回折角度の強度を解析することから、試料内部の原子配列を調べることができる。

関連リンク

 

  • 朝日新聞(6月7日夕刊 9面)、京都新聞(6月7日夕刊 10面)、産経新聞(6月7日夕刊 10面)、日刊工業新聞(6月8日 28面)、日本経済新聞(6月8日 42面)、読売新聞(6月13日 33面)および科学新聞(6月11日 4面)に掲載されました。