ガス分子が情報をON-OFFする -光・磁気メモリー、高感度センサーの革新にむけた新しいスピントロニクス化学の展開-

ガス分子が情報をON-OFFする -光・磁気メモリー、高感度センサーの革新にむけた新しいスピントロニクス化学の展開-

2009年3月27日

京都大学
独立行政法人 理化学研究所

 京都大学(総長:松本紘)、独立行政法人 理化学研究所(理事長:野依良治)は、ガス吸着現象を利用して、物質の磁性を吸着されたガス分子がコントロールする、まったく新しいナノ物質の化学合成に成功しました。これは、ナノサイズ細孔を持つ多孔性金属錯体の一種で、我々の身近な鉄を材料元素として導入したことが、この新しいスピントロニクス化学という概念の起点となりうる今回の材料設計を成功に導きました。

 京都大学物質-細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス)副拠点長の北川進 教授(理研放射光科学総合研究センター 空間秩序研究チーム チームリーダー、JST ERATO 北川統合細孔プロジェクト研究総括兼任)、京都大学大学院工学研究科 大場正昭 准教授(理研放射光科学総合研究センター 空間秩序研究チーム 客員研究員、JST CREST 研究員兼任)らの研究グループは、スペイン バレンシア大学の Jose A. Real 教授らの研究グループと共同で多孔性金属錯体の開発と化学物質への応答を研究し、京都大学大学院工学研究科 榊茂好 教授らと共同でそのメカニズムを解析しました。

 二価の鉄イオンを含む化合物の一部は、磁性を持つ常磁性と磁性のない反磁性の間でスピン状態が変化する「スピンクロスオーバー」と呼ばれる現象を示します。この鉄を用いて、室温において常磁性で黄色および反磁性で赤紫という、磁性と色が異なる2つの状態を取り、かつ規則的な細孔構造をもつ新しい化合物を作り出しました。この細孔内に種々のガス分子を吸着させると、ベンゼンやアルコール類などほとんどの化学物質は常磁性状態を安定化し、二硫化炭素を吸着させた時のみ反磁性状態が生じることを見出しました。このスピン状態はガス分子の種類により室温で相互に「書き換え」可能であり、ガス分子により光および磁気情報を自在に制御することに初めて成功しました。このガス分子による磁性の変換は、分子情報を用いた新しい概念のスピントロニクスと言え、新しいタイプのメモリー材料やセンサーへの応用が期待されます。

 今回の成果は、理化学研究所 量子秩序連携研究、JST戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究「北川統合細孔プロジェクト」(研究総括:北川進 教授)、および同事業 チーム型研究(CREST)の研究領域「ナノ界面技術の基盤構築」における研究課題「錯体プロトニクスの創成と集積機能ナノ界面システムの開発」(研究代表者:九州大学大学院理学研究院 北川宏 教授)によるものであり、6月8日(ドイツ時間)に化学分野において世界で極めて影響力が大きい科学学術誌「Angewandte Chemie International Edition(応用化学誌国際版)」の表紙として掲載されます。これに先駆け、3月17日にオンライン版で公開されました。

1.研究の背景

 私たちの身の回りにはさまざまな磁石が存在し、日常生活において広く深く使用されています。その中でも、メモリーやスイッチング材料としての磁石は、磁場や電気で磁性をON-OFFすることができます。電子は、電荷と磁石としての2つの性質を持っています。最近では、この2つの性質を活用し、新たな材料や物理を研究する「スピントロニクス」と呼ばれる分野が活発になっています。スピントロニクス材料は、新しい機能や高性能化を実現し、次世代メモリーや量子コンピューターへの利用が期待されている先端材料です。これまでに、温度や光を用いてこの磁石としての性質をうまく制御する研究はありましたが、今回新しい試みとして、ガスや蒸気の分子を用いた制御を検討しました。そのような材料は、化学物質センサーとしてのみならず、分子レベルの情報により書き換えが可能な新しいスピントロニクス材料となることが期待されます。しかし、従来の磁石では分子を吸着できないので、磁性の制御は困難です。
  同研究グループは、新たな機能性吸着材料として注目されている、ナノメートルサイズの孔を持つ多孔性金属錯体と呼ばれる物質を用いて、化学物質により磁性が変化する化合物を開発しています。しかし、これまでに報告された化合物はすべて、化学物質を室温で出し入れできるものの、磁気特性はマイナス200度以下の低温でのみ発現するという、作動する温度にギャップがあるという問題があり、その解決が大きな課題でありました。同研究グループは、新たにスピンクロスオーバーと呼ばれる電子状態が変化する現象に注目し、「室温」で、「分子」による「スピントロニクス」を目指しました。

2.研究の手法

 今回、研究グループは、スピンクロスオーバーを示す二価の鉄錯体で構築した多孔性骨格を開発し、その細孔内での分子と骨格間の相互作用を利用して、室温で分子による磁性の可逆的変換に初めて成功しました。この変換メカニズムは、分子吸着と磁性の同時測定、X線構造解析および高精度の量子化学計算により明らかにしました。(図1)

図1.ガス分子による磁性変換の模式図
立方体はガス分子のない空の多孔性構造のユニットを示し、黄色と赤紫色の球はそれぞれ常磁性と反磁性の鉄原子を表している。反磁性Aの状態にベンゼンを吸着させると、ユニットが膨張して常磁性Bになる。常磁性Cに二硫化炭素を吸着させると、ユニットが収縮して反磁性Dとなる。また、ガス分子の交換により、常磁性Bと反磁性Dの状態も直接変換可能。

 まず、京都大学とバレンシア大学のグループが、多孔性金属錯体の合成を行いました。鉄ミョウバンに、メタノール中でピラジンとテトラシアノ白金酸カリウムを加えて数日間静置することで、 (Fe=鉄、pz=ピラジン、Pt=白金、CN=シアン化物イオン)の組成を有する多孔性金属錯体を結晶として得て、その構造を決定しました。(図2)さらに、磁気測定により、この化合物が室温で常磁性と反磁性の2つの状態を取りうる「双安定」化合物であることを見出しました。(図3)

図2.鉄を含有する多孔性金属錯体の構造
(a)は4つの鉄原子(オレンジ)と4つの白金原子(ピンク)を頂点に配置した直方体の構造ユニットであり、ユニットの内部に分子が取り込まれる。このユニットが連なって(b)に示す3次元の多孔性骨格を構築している。

図3.多孔性金属錯体とベンゼン及び二硫化炭素吸着体の磁気挙動
青色のプロットは、分子吸着前の多孔性金属錯体の磁気挙動を示す。20℃前後で、縦軸の値が約4の常磁性とゼロの反磁性の両方の状態を取る。温度を上げていく過程では30℃付近から状態が移行し、温度を下げる過程では10℃付近から移行する。この温度域を双安定領域と呼ぶ。ベンゼンを吸着させたものは常磁性(黄色のプロット)、二硫化炭素を吸着させたものは反磁性(紫のプロット)に変化する。右は常磁性および反磁性状態の化合物の写真。視認性の高い色の変化を示す。

 次に京都大学の北川グループは、この細孔内へのガス分子の吸着性能を評価し、さまざまなガス分子の吸着に伴って、化合物の色と磁性が変わることを発見しました。また、小分子を吸着させた状態の結晶化にも成功し、それらの構造を決定しました。さらに吸着と磁性の同時測定により、吸着に伴う双方向の磁性変換(図4)、およびガス分子による可逆的な磁気記録を明らかにしました(図5)。

図4.分子吸着と磁性の同時測定結果
常磁性の割合の時間変化を示す。矢印の点で飽和蒸気圧の10分の1以下の量のガス分子を導入すると、ベンゼンの場合は常磁性の割合が増加し(黄色のプロット)、二硫化炭素では常磁性の割合が速やかに減少した(紫のプロット)。

 

図5.分子による可逆的な色と磁性変換スキーム
それぞれの状態のサンプル写真を示す。各状態を示すアルファベットは、図1のものと対応している。Aの状態は、反磁性の空の多孔性金属錯体。Aにベンゼン を吸着させると常磁性Bになる。Bからベンゼンを抜いたCも常磁性を保持する(記録)。BとCの色の違いは、ベンゼンによるもの。Cに二硫化炭素を吸着さ せると反磁性Dになり、二硫化炭素を抜くと初めの状態Aに戻る。常磁性Bと反磁性Dの間は、それぞれベンゼンおよび二硫化炭素の雰囲気に曝して、直接変換 できる(書き換え)。

 

 さらに、京都大学のグループは、小分子の電子状態への影響を3つのグループに分類し、高精度の量子計算を用いて、化学物質と構造骨格間の相互作用を解析し、電子状態変換において、細孔内のピラジンおよび白金との相互作用、及び分子の形状とサイズが重要であることを明らかにしました。

3.研究の成果

 今回の研究成果は、「新しいスピントロニクス材料の開発につながる新概念を化学的手法により実現した」点にあり、以下の3点が重要な結果です。その1つ目は、電子配置を変換可能な二価の鉄を用いて多孔性骨格を構築し、その構造を明らかにした点です。テトラシアノ白金酸を構築素子として鉄と白金による2次元シートを形成し、ピラジンにより2次元シートを連結して、4つの鉄と4つの白金を頂点に配置した直方体のユニットが連なった3次元細孔構造を構築しました。(図2)合成においては、窒素雰囲気下で鉄とピラジンの溶液およびテトラシアノ白金酸カリウムの溶液を一定温度で拡散させることで、これまでは困難であった結晶化に成功しました。また、同一の結晶を注意深く熱処理することで、同一温度で2つの電子状態の構造をそれぞれ決定し、2つの状態間で細孔容積が約30%変化することを明らかにしました。

 2つ目は、この多孔性骨格内に室温でベンゼン、アルコール、水などの20種類以上のさまざまな化学物質を吸着させることが可能であり、その吸着に伴い化合物の色と磁性に変化することを見出した点です。この柔軟な多孔性骨格は、分子を吸着すると構造を変化させることができ、ほとんどの場合は構造が膨張します。この化合物の場合は、分子を吸着すると構造が膨張し、さらに鉄のまわりの環境が変わることで常磁性(黄色)の状態が安定化しますが、二硫化炭素を吸着させる場合には例外的に骨格が収縮して反磁性(赤紫)の状態が安定化しました。(図3)吸着した分子の情報が、骨格構造の変化を通じて磁気信号に変換されたと言えます。我々は、特別に作製した分子吸着と磁性の同時測定装置により、飽和蒸気圧の10分の1程度の希薄なガス雰囲気下において、分子の吸着と同時に磁性が変化することを明らかにしました。(図4)この変換過程は可逆的であり、例えば反磁性(赤紫)の状態にベンゼンを吸着させると常磁性(黄色)となり、真空にしてベンゼンを抜いてもその状態は保持されます(メモリー効果)。(図5)また、ベンゼンを吸着させた状態を二硫化炭素雰囲気に曝すと、ベンゼンと二硫化炭素が自然に入れ替わり、常磁性(黄色)から反磁性(赤紫)に変化します(書き換え)。これにより、「室温」で「ガス分子」による電子状態の「可逆的変換」に初めて成功しました。

 3つ目は、化学物質を吸着させた構造の決定と高精度の量子化学計算により、分子と多孔性骨格間の相互作用を解析し、電子状態変換に重要な要因を明らかにした点です。それぞれの分子を吸着させた際の電子状態の変化に注目して、電子状態に影響しない(グループ1)、常磁性状態を安定化(グループ2)、反磁性状態を安定化(グループ3)に分類しました。ここで、グループ2に属する分子は、分子のサイズが大きく、骨格内のピラジンと、電気的に強く引き合う相互作用をすることがわかりました。また、グループ1の二酸化炭素とグループ3の二硫化炭素は、同様の分子形状であることに注目して、ピラジン、及び白金との相互作用を精密に計算すると、どちらとも二硫化炭素の方が強く相互作用していることが明らかとなりました。これらの結果により、細孔表面を形成するピラジンと白金が特異なサイトを形成し、吸着分子と相互作用することで、構造の変化が誘起されて電子状態が変化するメカニズムを提唱しました。

 このように、多孔性骨格とスピンクロスオーバーという現象を融合させることで、化学物質の吸着を利用した磁性の自在制御に成功しました。分子と骨格の相互作用と磁性変化の相関を明らかにして、新しい概念のスピントロニクス材料開発の指針を示したことで、今後さらに「選択性」、「感度」、「色相」などのファインチューニングも期待されます。

4.今後の期待

 今回得られた設計指針に基づき今後さらに研究を進めることで、化学物質に応じて敏感に磁性が変化するスピントロニクス材料を作成することができます。また、白金をパラジウムやニッケルに置き換えても同様の機能を発現でき、さらには鉄を別の金属に置き換えることも可能であるため、用いる金属の組み合わせにより、その応答性や色、磁性の制御が期待されます。また、ナノ粒子化や薄膜化することで、分子メモリーや化学物質センサーとしての実用化も見込まれます。

 

  • 科学新聞(4月10日 4面)および京都新聞(3月27日 3面)に掲載されました。