平成26年度学部入学式 式辞 (2014年4月7日)

第25代総長 松本 紘

松本総長 本日、疏水の碧に映える満開の桜に彩られたここ「みやこめっせ」に参集の3,024名のみなさん、京都大学に入学おめでとうございます。ご来賓の井村裕夫 元総長、長尾真 元総長、尾池和夫 前総長、列席の副学長、学部長、部局長、および教職員とともに、みなさんの入学を心よりお祝いいたします。同時に、みなさんの日々の研鑽が見事に実を結びましたことに敬意を表します。そして、これまでみなさんを支えてこられましたご家族や関係者のみなさまにお祝いを申し上げます。

 2011年3月11日に起こった東日本大震災による国難は、3年を経て、今なお続いています。国を挙げての復旧や復興はいまだ途上に過ぎず、福島第一原発事故はその収束の目途すら十分にたっているとはいえません。被災地から離れた京都においても、長く心を寄せ、被災地の苦難を我がこととし、復旧と復興を積極的に支援し続けていかなければなりません。今日、本学に入学するみなさんはこのことを肝に銘じ、自ら行いうる貢献を改めて考え、主体的に行動することを希望します。

 さて、みなさんは、入学後の様々な可能性に心躍らせ、今日を迎えていることでしょう。多くの京都大学OBの皆さんが、好きなことに贅沢に時間を使えたのが大学時代であったとその自由を懐古します。サークル活動やボランティア活動や趣味などに没頭できることは大学生活の一つの側面です。しかし、いま勉強することはそれにもまして重要なのです。

 世界で活躍している本学の卒業生と話をすると、みなが異口同音にいわれます。「大学でもっと勉強しておけばよかった」。みなさんは厳しい学力検査を経たばかりで、勉強なんてもうこりごりと思っているかもしれません。また、長い人生のうちで勉強などその気になれば、いつでもできると思っているかもしれません。先輩方もまたそう思ったのでしょう。しかし、それならどうしてやがて同じような後悔を多くの人が口にするのでしょうか。

 そもそもみなさんはなぜ勉強しなければならないのでしょうか。勉強している最中にはその理由はなかなかわかりにくいものです。一つには次のように考えられます。大学で学ぶことは将来を通じて学ぶ基礎となる。すなわち、人間の歩みとともに蓄積されてきた人類の英知の宝庫を開く鍵を手に入れることが、これまで受けてきた教育以上に、大学での学び、とりわけみなさんの直ちに受ける教養教育によって可能となります。そして、そのような基礎作業は頭が柔軟なうちに体系的に済ませておくことが極めて効果的で、その過程は樹木が時間をかけて徐々に生長することに似て、それなりの時間と集中を要するのです。確かに現代社会においては一生学び続けなければ、日々変わりつづける社会の動きについていくことすら難しいでしょう。そして、大学生活を除いては、この学びの基礎を築く時間は、実はほとんどないことが、年を経るにつれしみじみと痛感されるといったところではないでしょうか。

 しかし、私は学問をするということはそれだけではないと思っています。江戸時代の教育について書かれた本を繙(ひもと)くと興味深い事実に気がつきます。それは日本各地に存在した寺子屋の多さです。昨年度の学校基本調査によると現在小学校は全国に21,131校ありますが、江戸時代の末期にはこの数を優に超える寺子屋が我が国にあったと推測されています。これはある意味不思議なことです。科挙制度のあった中国とは異なり、勉強したからといってそのことで日本では直ちに自己の立身出世に役立つわけではなかったのです。なのに、民間の寺子屋が我が国の津々浦々にあった。そして、寺子屋では、立身出世といった何かの「ため」に学問をするのではなく、他の大事な機能が期待されていたのではないでしょうか。最近、江戸時代の中期に活躍した思想家石田梅岩の「都鄙問答」に「仏老荘ノ教エモ、イハバ心ヲミガク、磨種ナレバ」という文章があることを知りました。すなわち「仏陀や老子や荘子の教えも、いわば心を磨くための材料、磨ぎ種なので」といっているのです。すなわち、勉強することには、学問によって自分を磨くことが期待されてきたというわけです。この教育観は、武術や芸術といった様々な技芸にすら理想形への道のりである道を見出し、その道を求め、求道し、人として完成することを志向する我ら日本人の姿にうまく重なります。

 また、読み・書き・そろばんや人としての矜持といった当時の初等教育の充実が、明治維新後に西洋の先端技術を直ちに吸収同化できた素地でもありました。そして、西欧列強に肩を並べるために、急速に進めざるを得なかった教育体制の整備は、健全な競争を通じ、適材を広く集めることに当初は成功してきました。しかし、一方で学問によって身を立てるという風潮をもたらしてしまいました。この傾向は大学が大衆化した現在、その勢いをさらに増しているように感じられます。いまこそ、江戸時代から連綿と続く、学問によって心を磨くという日本人の大切にしてきた考えを思い起こすときです。みなさんにも大学において学問を通じ、心を磨き、人として成長していただきたいと思います。

 さらに、みなさんは時代が要請する国際性を養う必要があります。それは単に外国語ができるということではなく、歴史に学び、自国の文化や日本人の矜持をしっかり背景に持ちながら、自分の考えを国際社会で主張できる論理的な思考能力、発信能力、自分の意見を恥ずかしがらずにいえる積極性や自主性を備えることにほかなりません。そのためには練習や経験も必要です。ぜひ大学時代に、十分に練られた計画と準備のもと、海外留学も経験してほしいと思います。大学として体制を整備、充実させ、みなさんの雄飛をできる限り支援したいと思います。

 最後に、伝統を基礎とし革新と創造の魅力・活力・実力ある京都大学を目指して、大学の教育・研究環境を一層充実させていきます。本日ご臨席のご家族や関係者のみなさまには、引き続き、本学へのご支援や応援を切にお願い申し上げます。

 入学生のみなさんには、芭蕉の次の句をお贈りします。

としどしや 桜をこやす 花のちり

 今日から始まる大学生活において素晴らしいときを過ごすとともに、自身の経験を肥やしとし、美しい花を毎年咲かせ、その繰り返しによって大木となられんことを祈念し、私の入学式の式辞とさせていただきます。

 京都大学への入学、誠におめでとうございます。

会場の様子

関連リンク

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