博士学位授与式 式辞 (2008年1月23日)

尾池 和夫

尾池総長 今日、新たに、115名の京都大学博士が生まれました。まことにおめでとうございます。ご列席の、副学長、各研究科長、学舎長、教職員とともに、課程博士73名、論文博士42名のみなさんに、また、参列されたご家族に、およろこび申し上げます。

博士学位を授与されたということは、学問を志した皆さんにとって深い意味があります。今日から一生、世界のどこにいても研究者として認められるという世界に通用する資格を得たということです。京都大学博士という学位に特別の誇りを持って、これからも研究に励んでいただきたいと思います。

皆さんの学位論文は、それぞれの関連分野に新しい知識を加え、知財として蓄積され、活用されることとなります。京都大学は、創立以来の111年の歴史の中で、35,313名の博士を送り出してきました。皆さんの研究成果がまた新たな研究を生み出す動機付けにもなることと思います。博士学位の論文は国会図書館に納められ、京都大学にも保管されます。京都大学の総合図書館では、博士学位論文の内容を、京都大学学術情報リポジトリ(外部リンク)として公開するプロジェクトを始めました。これにもぜひご協力をお願いします。

私も今日の学位論文の内容を少し拝見しました。その中の多くは自然科学の分析手法で自然科学のものの見方をしていますが、一方、哲学的な見方、考え方をした論文もいくつかありました。さまざまの眼で世界を見つめながら思索を深めていくことが何よりも私たちには必要なことです。

京都大学大学院文学研究科博士課程を修了した大峯 顕さんと、慶応大学文学部哲学科を卒業した池田晶子さんの対談をおさめた『君自身に還れ-知と信を巡る対話』という本が昨年出版されました。その中で、池田さんは「最終的に謎だということを科学者自身が忘れてしまうからおかしなことになるんです。科学によってすべてがわかると思っていますからね」と述べ、それに対して大峯さんが「それはもう科学ではなく科学主義という疑似哲学ですね。だから、現代の哲学的理性が警戒しなければならないのは、宗教の独断的な主張に対する警戒と同時に、科学者の科学主義の独断に対する警戒ですね。この両方を理性は批判しなくてはいけないと思う」と受けています。

このような対談にも、ときには触れてみて、自らの研究の道筋をたどり直し、得られた結論の意味を問い直してみるということも、学位論文を完成した機会に試みてはいかがでしょうか。

本日博士学位が授与された論文の中から、動物や植物の生態に関連するものなどをいくつか取り上げて、その審査報告書を読んでみました。それは、博物学と呼ばれていた分野に、私が最近、今の眼で関心を持ちながら、ものを考える機会があったからでもあります。

理学研究科生物科学専攻の渕側 太郎(ふちかわ たろう)さんの論文題目は、「ニホンミツバチ Apis cerana japonica における概日リズムの研究」です。主査は清水 勇(しみず いさむ)教授です。

この論文で申請者は、トウヨウミツバチの一亜種であるニホンミツバチ(Apis cerana japonica)を研究材料として、概日的な体内時計の同調機構や、調節の基本的仕組みを明らかにするために、体系的な実験研究を行いました。例えば、明暗サイクルによる同調機構には、光の連続的な作用と、非連続的な作用の両方が関わっているということや、温度環境が歩行活動リズムに影響を与えることなどを論じました。また、複数を同時に飼育して、ミツバチの個体間に相互作用が働き、活動時間を集団レベルでそろえる仕組みが存在するという可能性を論じました。これは、社会性昆虫のリズムを考えるために重要な知見と評価されました。

 
学位授与の様子直接関係ないですが、昨年、京都市四条烏丸交差点の信号の青に、ニホンミツバチの分蜂群が群れて交通を混乱させたことを思い出します。

理学研究科生物科学専攻の本郷 儀人(ほんごう よしひと)さんの論文題目は「カブトムシ雄の二型の進化に関する研究」です。主査は今福 道夫(いまふく みちお)教授です。

本郷さんは、野外観察に基づいて、雄の闘争には4つのステージと3通りのシークエンスがあることを明らかにしました。カブトムシの闘争は、まず「角の突き合わせ」から始まり、決着が着かない場合には「取っ組み合い」にエスカレートしました。「角の突き合わせ」の段階では角のサイズがより重要であり、「取っ組み合い」になると体のサイズのみが勝敗に効いていることを確認しました。この一連の闘争行動のルールには、大型雄と小型雄の間で、とくに差のないことを明らかにしました。カブトムシでは形態的には二型性がみられるものの、闘争行動も含めて、それに対応した明確な行動の違いはないことが示され、これらのことから、カブトムシにみられるアロメトリーの二型性は、これまで考えられていたような分断性淘汰によって進化したのではなく、ある程度以上で相対成長が抑止される連続的なリアクションノームによって発現するという結論を導きました。詳細な野外観察に基づく緻密なデータがいかに重要かということを示したことにも、この論文の価値があると私は思います。

農学研究科応用生物科学専攻の田中 晋吾(たなか しんご)さんの論文題目は、「寄生蜂アオムシコマユバチによる侵入寄主への適応に関する進化生態学的研究」です。主査は藤崎 憲治(ふじさき けんじ)教授です。

在来種群集が外来種を受け入れる過程は、従来は頻度依存的捕食などの一時的な生態反応によるものと思われていましたが、近年では在来種による適応進化が生じている可能性が指摘されているそうです。しかし、短期間の適応進化について在来群集全体としての反応を明らかにしたものはほとんどないそうです。この論文では、オオモンシロチョウの侵入を受けた在来寄生蜂群集を材料にしました。寄生蜂アオムシコマユバチは、日本ではモンシロチョウを利用してきました。 1990年代半ば頃に北海道にオオモンシロチョウが侵入し、その後個体数を爆発的に増加させました。アオムシコマユバチによる産卵数や生理的利用能力を調べたところ、当初はオオモンシロチョウを利用できなかったアオムシコマユバチが、わずか30世代程度で適応したことが明らかになりました。この迅速な適応を促した要因として、アオムシコマユバチはオオモンシロチョウに寄生することによって、良質の資源と、天敵に対する防衛を一挙両得で獲得していたことが明らかになりました。

農学研究科応用生物科学専攻の本間 淳(ほんま あつし)さんの論文題目は、「捕食回避戦略が捕食者-被食者間の相互作用に与える進化的・生態的影響」です。主査は藤崎 憲治(ふじさき けんじ)教授です。

休耕田に生息するトノサマガエルとその潜在的被食者の関係を明らかにするために、存在する被食者相とカエル捕食者が利用している餌とを比較することを試みました。その結果、同じ所に生息する被食者ほど利用されず、あまり出会わない被食者や、自身が捕食者でもある被食者の方がより利用されていることを明らかにしました。これをもとに、常に高い捕食圧にさらされている被食者ほど、効果的な防衛戦術を進化させるので、実際の捕食が起こらなくなるためであるという仮説を提唱しました。また、トゲヒシバッタがカエル捕食者に襲われた際に見せる擬死行動の機能は、「死んでいる」という偽情報を用いてカエルをだますことではなく、擬死時の特徴的な硬直姿勢によって、物理的に防衛効果を高めているということを明らかにしました。このように、擬死、自切、擬態といった被食者の対捕食者戦略の意義に関する実験的および理論的研究を通して、捕食者と被食者の関係という課題で独創的な研究成果をまとめたものであります。

岡本 章秀(おかもと あきひで)さんの論文題目は、「生殖的隔離機構の解明に基づく常緑性黄花ツツジの作出に関する研究」です。主査は、農学研究科の矢澤 進(やざわ すすむ)教授です。

中小輪系の常緑性ツツジ園芸品種群であるクルメツツジは、近年、生産量が漸減していて、市場からは新規性の高い黄花品種が求められているそうです。本論文は、常緑性ツツジと、黄色花色の提供親である落葉性のキレンゲツツジとの亜属間交雑で問題となる生殖的隔離機構の解明および正常な成長を示す実生を効率的に得られる種子親の遺伝的特性の解明、さらに新規に育成したクルメツツジとキレンゲツツジの交雑実生の特性を評価し、暖地栽培向きの常緑性黄花ツツジを作出するための方策を提案したものです。

ここにあげた論文は、自然の生態を観察してその特質を明らかにするという立場からの研究や、自然の中で起こる変化を進化という眼でとらえようとする立場での研究、あるいは植物を利用する社会の立場からの研究など、さまざまの視点で動物や植物が研究の対象となることを示しており、それらがまた京都大学の広い教育と研究の場で実際に行われていることを示しています。

総合地球環境学研究所の初代所長をつとめ、京都大学名誉教授である日高 敏隆さんは、『帰ってきたファーブル』という本で、「今、なぜナチュラル・ヒストリーか」という章に、「だいじなのは、動物でも植物でも、個人でも集団でも、あるいは国家でも、どういう論理で組み立てられているかを知ることである。論理の間には、どっちが進んでいるとか遅れているとかいうことはない」と書いています。このような考え方を参考にしながら、動物や植物の生態を論じた論文の内容に接すると、それぞれの立場がわかってきて、たいへん面白く読むことができました。

京都大学は、今年4月1日の予定で、新しく「野生動物研究センター」を設置しようと計画しています。そのセンターの目的は、動物園などと協力して、動物のこころを知り、地球社会の調和ある共存の道を求めることにあります。動物園生まれの動物が生き生きと暮らすための動物福祉などを研究する動物園科学部門、動物のこころを知る比較認知部門、絶滅の恐れがある動物の研究を進める保全生物学部門などを設置します。どちらかというと出発点は、類人猿などを中心に絶滅の可能性のある動物に関連する課題から始めますが、一方では、サル・シカ・イノシシ・クマなどが、人間の生活領域に常時出没するようになり、中山間地や山間の人びとが昔から悩んで来た、野生生物とどう付き合っていくかを考えることも、地球社会の調和ある共存をめざす京都大学の私たちにとって大きな課題であります。

本日、博士の学位を得られた皆さんは、これからさらに学問の世界に進んで、世界を驚かすような研究成果を発表する可能性を持っています。また、社会人として新たな職場で目覚ましい活躍をされる方もいると思います。今日の学位授与に至る課程での経験を生かしながら、さまざまの形でのご活躍を祈っています。皆さんが学位論文をまとめる課程で得た多くの知識を広く市民に伝えるということも、また皆さんにとってこれから大きな仕事になるということも忘れないでいただきたいと思います。世界の平和と人類の福祉に貢献するという基本を忘れることなく、こころとからだの健康を大切に、大いなるご活躍をなさることを願って、お祝いの言葉といたします。

博士学位、まことにおめでとうございます。