尾池 和夫
本日、京都大学博士の学位を得られた139名の方々、まことにおめでとうございます。7月23日の授与が49名、そのうち海外からの方が3名です。9月 25日授与が90名で、うち海外からの方が41名います。お気付きのように海外からは10月入学で来られる方がたくさんいて、9月の博士学位授与式には海外からの方が多いのです。日本人は4月入学が多いのですが、海外ではさまざまの国がそれぞれの制度を持っており、京都大学はそれに合わせて多様な受け入れを可能にしているのです。本日は課程博士108名、論文博士31名の方々に学位を授与しました。ご列席の副学長、各研究科長、学舎長とともに、心からおよろこび申し上げます。
京都大学の基本理念の冒頭には「創立以来築いてきた自由の学風を継承し、発展させつつ、多元的な課題の解決に挑戦し、地球社会の調和ある共存に貢献するため、自由と調和を基礎に、ここに基本理念を定める」とあります。この「自由の学風」という言葉は、誰が言い出したというものではなく、いつの間にか京都大学に与えられた、たいへん貴重な言葉です。自由という言葉は今、私たちは比較的簡単に使いますが、ときにはこの自由という言葉さえ使えないこともありました。例えば、日本の悲劇である沖縄での集団自決の場面を語った市民が、「戦争になると自由が犯罪になる」と言われたのを聞きました。自由という言葉の重みを、私たちはいつも噛みしめて考えていなければなりません。
基本理念の教育の項目には、「多様かつ調和のとれた教育体系のもと、対話を根幹として自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめる。京都大学は、教養が豊かで人間性が高く責任を重んじ、地球社会の調和ある共存に寄与する、優れた研究者と高度の専門能力をもつ人材を育成する」とあります。
京都大学は毎年、初秋の2日間、京都大学教育シンポジウムを開催します。京都大学の教職員の中から200名ほどの教職員が集まって、京都大学の教育に関する熱心な議論を集中的に行います。今年もその第11回が「京都大学における教育の将来像を問う-第II期中期目標の策定に向けて学部・大学院教育の現状と課題を考察する」と題して9月6、7日に兵庫県立淡路夢舞台国際会議場で行われました。そこでは基本理念にある「自学自習」が成り立つかどうかという議論も活発でした。
京都大学はまた、フィールドワークの伝統を大切にしている大学です。今年の夏、私はインドネシア、島原、熊本、釧路、ボストン、東京、ベトナムなどへ行きました。都会での会議もありましたが、その他はみな京都大学の学生や教員が現地でフィールドワークに取り組む現場であります。これだけ休まずに旅行すると身体はくたくたに疲れますが、心には現場に立ったことから来る感動が残ります。旅行の記録は京都大学のメールマガジンに載せてありますから、ウェブサイトから配信を申し込んで読んでほしいと思います。
京都大学メールマガジン
ベトナムの古都フエからラオスの国境に近いホンハ村に行って、集まってきた300人ほどの少数民族の村人たちと交流し、京都大学の国際教育プログラムに参加してその村に来ている学生や、地域研究でベトナムに滞在する大学院生や教員の方々に会いました。京都大学の自学自習の伝統は、そこで立派にしっかりと受け継がれているという確信を持って帰ることができました。
地球社会の調和ある共存という理念を掲げて京都大学は具体的にどのように教育と研究と社会貢献をすすめていくかを、自分自身が参加してきたという意識で皆さんにもぜひ考えてほしいと思います。
地球環境学舎のアドミッション・ポリシーには、「地球環境を持続可能な形態で改善・維持・管理する能力を有し、地球レベルから地域レベルにわたる具体的問題を解決しうる高度な実務者や高度な研究者の養成を目指す」という内容が書かれています。また、嘉門雅史学舎長の挨拶には、「これからの複雑化する社会における人間の無限の欲望を押え、地球社会の調和ある共存に向けての明確な哲学と倫理の概念を作ることが不可欠です」とあり、「このような新しい考え方の学問分野は、分析的に物事を評価する西欧近代科学的な考え方を乗り越えて、総合的に物事を把捉する東洋的科学が必要で」あると述べられています。
ベトナムを訪れた機会に地球環境学堂がベトナムで進めているプロジェクトの「プロジェクト便り」を、第1号 (2006年3月10日発行)から読み返してみました。今回私たちが現地でお世話になった小林 正美さん、田中 樹(うえる)さん、柴田 昌三さんたちの熱い思いが語られておりました。第2号にもお世話になった吉積 巳貴さんの報告があります。また、国際交流科目の報告も充実しており、学生たちの報告には毎日の驚きの連続が描かれています。
地域研究を課題の一つとするアジア・アフリカ地域研究研究科のアドミッション・ポリシーには、「アジア・アフリカ地域に関する深い理解と国際的・総合的視野をもつ先導的な地域研究者および地域実務者の養成を目指しています」とあり、「長期にわたるフィールドワークを教育方針の基本に据えています」という説明があり、さらに「臨地研究と臨地教育の融合」「学際的、あるいは文理融合」「世界的視野に立った地域の理解」「基礎研究と応用研究の結合」「地域密着型のフィールドワーク」というような言葉が出てきます。
さらに京都大学には「地域研究統合情報センター」が新設され、「京都大学アフリカ地域研究センター」があります。さまざまの組織が有機的に協力して、これからも京都大学のフィールドワークの伝統を伝えていってほしいと私は願っています。
今日学位を授与された博士の方々の論文の中から、地球環境学や地域研究を中心に審査報告を読ませていただきました。その中のいくつかを紹介したいと思います。
地球環境学舎地球環境学専攻の藪下 義文(やぶした よしふみ)さんの論文は、「循環型社会への課題と実現への道-ドイツとの比較における基礎研究」です。主査は、小川 侃(おがわ ただし)教授です。
本論文は、循環型社会の実現が日本においてなぜうまく機能しないのかを解明した日本の将来にとってたいへん重要な論文です。日本では、2000年に循環型社会形成推進基本法を中心とする法的スキームが整ったのですが、7年経っても大量消費・大量廃棄の社会システムが続いています。ドイツを良き先例としての比較から、日本の設計図に問題はないかを点検し、現地調査に基づいて、ドイツの制度設計の特長を8点に集約し、ドイツと日本の法的枠組みの比較を行い、循環型社会構築の枠組自体の改革、市場化へ道筋を付けることを中心とする新たな循環型社会の可能性を、日本の将来のビジョンとして打ち出しました。
地球環境学舎地球環境学専攻の塩飽 孝一(しわく こういち)さんの論文は、「学校防災教育の新たな展開:ネパール・カトマンズを事例として」です。主査は、ショウ・ラジブ准教授です。
本論文は、多様な自然災害の発生があるネパールのカトマンズ盆地で実施されている防災教育の構成要素を分析したものです。学校のカリキュラムと教師と生徒の災害リスク認知の調査・分析を通じて、学校における効果的な防災教育を推進させる重要な要素は、教師のトレーニングと、カリキュラムの開発であることを明らかにした論文であり、ネパール・カトマンズ盆地における防災教育促進のための戦略を提案したものですが、これは、世界及び日本で実施されている学校防災教育の問題にもつながる今後の展開が期待される成果です。
アジア・アフリカ地域研究研究科アフリカ地域研究専攻の安岡 宏和(やすおか ひろかず)さんの論文は、「アフリカ熱帯雨林の狩猟採集生活-その生態基盤の再検討」です。主査は、市川 光雄(いちかわ みつお)教授です。
この論文は、カメルーン東部州の熱帯雨林に住む狩猟採集民バカの生活と森林環境の関係についての研究成果をまとめたものです。2001年から2005年の間に計24ヶ月にわたって実施されたフィールドワークで得られた詳細なデータをもとに、生活の場としての熱帯雨林の潜在力と、その持続性について考察したものです。乾季におけるバカの人びとの長期の狩猟採集に同行し、雨季における狩猟採集活動や定住集落周辺での小規模な農耕などを記録して分析した研究は、過去の蓄積の空白部分を埋める貴重な成果を残しました。
アジア・アフリカ地域研究研究科東南アジア地域研究専攻の小泉 都(こいずみ みやこ)さんの論文は、「インドネシア東カリマンタンのプナン・ブナルイの民族植物学」です。主査は、小林 繁男(こばやし しげお)教授です。
この論文は、インドネシア東カリマンタンの熱帯雨林地域に住む元狩猟採集民プナン・ブナルイを、2002年から2007年にかけて、長期フィールドワークによって調査・参与観察したデータをもとに、かれらの野生植物についての民俗知識を考察した研究です。プナン・ブナルイは1950年代半ばから定住し始め、現在では農耕と狩猟採集により生業が成り立っているという人びとです。植物知識に関する変異と習得についての記述がとくに面白く、30歳ぐらいまでに多くの森林植物を知るようになり、男性のほうが女性よりも知識量は豊富であるということ、子供から青年にかけて、親や村人から植物に関する知識を習得し、さらに個人が森林での経験からより多くの知識を習得するという結論付けを面白く思いました。さらに、本申請論文には、(1)プナン・ブナルイ語の音韻学的情報、(2)野生植物に関する民俗知識、(3)サゴヤシに関する知識、(4)植物名、(5)植物に関する用語の、それぞれについて広範かつ詳細な記載が 47ページにわたって収録されている点にも大きな価値を見いだすことができます。
このような皆さんの学位論文は、京都大学図書館や国会図書館に保存されて次の研究の手がかりや動機付けに役立つことになります。研究成果の積み重ねで人類の知的財産が蓄積されていきます。皆さん自身も、今日得られた学位をもとにさらに深く専門の分野での仕事をされることでしょう。何よりも心身の健康に気をつけて、ますます活躍されることを祈って、博士学位授与式の式辞といたします。
博士学位まことにおめでとうございます。