医療技術短期大学部閉校式 挨拶 (2007年4月25日)

尾池 和夫

尾池総長京都大学医療技術短期大学部の閉校式に当たりまして、一言ご挨拶を申し上げます。

本日の閉校式に、多くの卒業生や修了生、そして本校の発展を支えてこられました教職員や関係各位の方々のご列席をいただきましたことを厚く御礼申し上げます。

1975(昭和50)年4月に開設されました医療技術短期大学部は、卒業生3,997名、修了生617名という多くの優れた医療技術者を世に送り出し、本年3月をもって、その32年の歴史に幕を降ろすこととなりました。

医療技術短期大学部設置の経緯を振り返ってみますと、昭和30年代後半から昭和40年代にかけて、医療技術は急速に進展・高度化し、医師とともにそれぞれ専門分野を担当する医療技術者の育成とその質的向上が求められるようになりました。医療技術者教育は、それまでの各種学校・専修学校における教育から短期大学教育への移行が検討され始めたのです。

このような社会的要請に対し、当時の文部省は国立大学に医療技術短期大学部を併設する構想を打ち出し、1967(昭和42)年、大阪大学に最初の医療技術短期大学部が設置され、その後に数校設置されることになりました。

そこで、京都大学におきましても岡本 道雄総長を中心に医療技術短期大学部設置への機運が高まり、1974(昭和49)年4月には医療技術短期大学部設置準備促進委員会、1975(昭和50)年2月には、創設準備委員会が設置され、村地 孝医学部教授が中心となって具体的な作業が進められました。

1975(昭和50)年4月、初代学長に岡本 道雄総長、また初代主事に村地教授が就任し、看護科(入学定員80名)と専攻科助産学特別専攻(入学定員20名)が認可され、教授5名、助教授6名、助手2名の陣容で医療技術の知識・技術を教授研究し技術者を育成する新しい教育体制がスタートしたのであります。その後、1976(昭和51)年4月には衛生技術学科(入学定員40名)が設置され、また、看護科は看護学科と改称されました。さらに、1982(昭和57)年4月にはリハビリテーション専門職の教育機関として入学定員20名の理学療法学科と作業療法学科が新設され、これにより医療技術短期大学部は4学科1専攻科となり、幅広い教育と研究の展開が可能となったわけであります。

医療技術短期大学部は、ユリノキをシンボルとし、そのユリノキの花、葉、幹から連想される奉仕、協調、健康を教育の基本理念として、豊かな人間性と優れた技術・知識を兼ね備えた看護師、助産師、臨床検査技師、理学療法士、作業療法士などの医療技術者を育成してまいりました。

その一方で、医療技術の高度化、疾病構造の複雑化の中で医療技術短期大学部の4年制移行の必要性が高まり、1986(昭和61)年には大塚哲也主事の発議により、4年制化の準備が開始されました。この方針は歴代の主事・部長に引き継がれ、4年制移行に向けた活動は継続され、2003(平成15)年10月医学部保健学科の設置により、医療技術短期大学部が果たしてきた役割は保健学科に引き継がれることとなりました。ユリノキは成長の早いこと、みごとな花を咲かせることを特長とする木です。そのシンボルの通り、基本理念は発展的に引き継がれるのです。

医学部保健学科は、新しい学問としての「健康科学」を提唱し、医療技術短期大学部の理念・目的をさらに発展させ、高度先進医療を支える優れた医療専門職を養成するとともにヒトのからだとこころの健康作りを追求してまいります。

また、本年4月には大学院医学研究科に医学部保健学科を母体として「人間健康科学系専攻」が設置され、高度先進医療に対応できる、また高齢者から小児までの健康を構築する高度医療専門職の養成を目指して、教育・研究が開始されました。

閉校により、医療技術短期大学部はその役目を終えましたが、その精神は医学部保健学科、大学院人間健康科学系専攻へと引き継がれ、ヒトの健康を支え発展させる優れた人材が数多く育ってくれることを願ってやみません。

最後になりましたが、本校の卒業生・修了生の皆様、本校をこれまで支えてこられました教職員の皆様に心から感謝を申し上げ、大いなる発展を祝いながら、閉校の挨拶とさせていただきます。

ありがとうございました。