ボート部、医学部ボート部 合宿所および艇庫竣工式 祝辞 (2007年4月8日)

尾池 和夫

尾池総長京都大学ボート部、医学部ボート部の新しい合宿所および艇庫の竣工式にあたり、京都大学を代表して、お祝いを申し上げます。ボート部は1906年に創設され、昨年100周年を祝われました。

そのお祝いにぴったりと合わせるように、ボート部現役の皆さんの目覚ましい活躍がありました。全日本選手権では、舵つきペアで優勝されました。全日本選手権での優勝は全種目で初めてであり、京都大学からも、この目覚ましいご活躍に、創設したばかりの総長賞をさし上げてお祝いしました。同じ全日本選手権で舵なしペアも4位に入りました。また、朝日レガッタでは、対校エイトで3位、しかも学生では1位、東大戦では、ジュニアエイトで4連勝の優勝、全日本軽量級エイトで5位、これは学生では3位、関西選手権の対校エイトが優勝、ダブルスカルも優勝、フォア、1X、W2Xがそれぞれ3位というような、みごとな成績であります。

感謝状の贈呈お祝いにあたって歴史を振り返ってみました。オリンピックにボート競技が導入されたのは1900年でした。日本でのボート競技は、1883年に初の学生対抗レースが開かれ、1905年には早稲田大学と慶応義塾大学の早慶レガッタが始まったというように聞いています。そしてオリンピックに初参加したのは 1928年だったそうです。

このような日本のボート競技の歴史の早い段階から、京都大学ボート部が登場し活躍してきたということが、京都大学にとってたいへん誇りとすべきことであると思います。

1897(明治30)年、京都帝国大学が創立され、東京帝国大学から多くの教授が赴任してきた中に競漕の経験者がたくさんいて、学生とともに、三保ヶ崎近くの第三高等学校の艇庫を借りてボートを漕ぎました。1900年のレースでは、木下 廣次初代総長が舵手として出場したと歴史にあります。

合宿所1906年には京都大学の運動会規則の改正で、春に水上運動大会、秋に陸上運動大会を開催することが決定されという記録があります。この年4月に大津三保ヶ崎で第 1回水上大会の競漕が開催されました。このとき3里(約12キロ)の山道を歩いて琵琶湖に行き、帰りは琵琶湖疏水の乗合船で、デカンショ節を歌いながら1 時間半で下ったということです。今ちょうどその疏水を、三井寺から花筏が京都に向かって流れています。

新しい艇庫と合宿所は、ボート部百周年記念事業の一環として、諸先輩の寄付を中心にして集めた浄財により建設されました。目的の一つには、医学部ボート部と京都大学ボート部が合同で合宿し、練習できるような環境作りにあると聞きました。多くの医学部の運動部は、京都大学の運動部と独立に活動をしていますが、同じ京大生として切磋託磨し、京都大学の学生として共通の自覚をもって、技術の向上等に取り組むことは極めて重要であるという認識だとうかがいました。

艇庫艇庫 新しい艇庫は、スカル、ダブルスカルなど、1人あるいは2人で漕ぐ小艇を収納するために建設されました。ボートの花形は舵付きエイトで、8人で漕ぐものですが、カリキュラムの関係上、8名が揃って何時も漕ぐことが難しいのです。また、ボートの基礎技術の向上のためにも、スカルなどの小艇で漕ぐことが重要視されるようになっています。このような努力の成果が、昨年の全日本選手権の舵付きペアの優勝につながったと思います。

現在、1936(昭和11)年に建設された艇庫があり、これはエイトやフォア等の大きな艇を収納するように設計されていて、小艇用の艇庫を持つのがボート部の大きな願いでした。今回の新艇庫と合宿所の建設は、ボート部のこれからの百年のために、きわめて重要な一歩となることでしょう。

新しい艇庫と合宿所ができて、当面の目標は、全日本学生選手権(インカレ)の舵付きエイトで優勝することにあると聞きました。近い将来、学生の頂点に立ったというご報告を確信して、皆さまのご検討を祈り、新艇庫と合宿所竣工の、私のお祝いの言葉といたします。

本日は、誠におめでとうございます。

当日の様子