日中大学学術フォーラム基調講演挨拶 (2006年12月9日)

尾池 和夫

尾池総長

 日中学長会議は、2000年10月にその第1回が東京で開催されて以来、本年5月に西安で開催されるまで計4回開催されてきました。この間の6年間にわたる日本、中国両国の主要な大学の学長の間で交わされた率直な議論は、双方の大学の参加者の間で大きな財産として引き継がれております。また、その間に築かれたお互いの友情も末永く続くものであると確信しております。

 日中両国の大学に課せられた使命は、この交流において培われた学長間の相互の理解や友情を礎としながら、学長個人の枠を越え、大学として地球規模で生じる様々な問題の解決や地球社会の持続的な発展のための努力にあります。現在、アジアを含む世界は大きく変動し、また新たな問題も生じています。例えば中国における急激な経済発展は、新たな需要を生み出し、日本および他のアジア諸国の経済的な好循環をもたらしましたが、同時にかつて日本がその経済発展の途上で経験した環境への影響も、アジア諸国が一体となって解決すべき問題として浮上しつつあります。そして両国の大学は、このような新たな問題に対し、相互の協力による解決の努力を惜しんではならないと考えます。

 大学は、広く言われるように知を創出する場です。そこで産み出される知は単に生活に便利な機械や道具を作り出したり、経済的利益を生んだり、人々の病を治療したりするといった直接的な成果を得ることに留まらず、人間が本来備えている知的な探求心を満たし、人々の心を豊かにするものでもあると考えます。そしてこの大学がもたらす知は、地球上の異なった歴史文化を持つ人々の間の相互理解や共通の利益に向けた協力を促すものであり、京都大学がその基本理念として示す「地球社会の調和ある共存」に貢献するものでもあります。

 中国で言われているように、地球社会の調和ある共存のためには、物質文明、精神文明、政治文明、生態文明が融合発展する必要がありますが、先日、王生洪学長をはじめとする復旦大学代表団が京都大学に来られたときの討論では、これらに第5の文明として、「学術文明」という考えを加えるのがいいという意見が出て、大いに議論がはずみました。そこに両国の大学が協力して果たすべき大きな役割があるという点で、私たちは共通の理解を得ました。

 よく言われるように、20世紀には、地球の持つ物質資源とエネルギー資源を使って、文明が発達しました。知財の観点からは、その文明の発達のために、長期間にわたる人類の知的活動の蓄積が十分に活用され、とくに物理学や化学、20世紀の後半に生物学が活用され、生命科学という人類史上でも画期的な学問体系が確立されました。そのような文明の発達と観測技術の発達とともに、オゾンホールの発見などに始まる地球環境の危機が明確に認識されることとなり、エネルギーと資源の貯蔵量の限界の認識とともに、21世紀の人類に多くの課題が存在するという世界の人々の共通認識がもたらされました。食料、エネルギー、環境に関する問題、固体地球内部の資源、水資源、地上の木材資源など、あらゆる資源の問題などがありますが、中でも水や植物資源の問題は日中両国にとっても、とくに重要な問題であろうと思います。

 例えば、2002年に世界で伐採され回収された木材は、33億 8439万立方メートルでした。先進国では、製材、パルプ材、ベニヤ材などの産業用材が主であり、途上国では薪炭材として消費されています。世界の木材生産量の順位を見ると、1位アメリカ、2位インド、3位中国です。輸入量では1位はアメリカ、2位が中国、3位が日本です。世界の森林は、1990年から 2000年の間に、約9400万ヘクタールが減少しました。その96パーセントがアフリカと南米だといわれます。世界の森林の95パーセントが天然林で、人工林は5パーセントですが、世界で消費される木材のほとんどが、人工林で賄うことができる量だと言われます。世界の人類に与えられた課題は、要するに人工林の管理をうまくやることによって、世界の天然林を守るということであります。それは一つの例ですが、このような日本と中国の両国に共通に存在する問題の認識とそれに対する解決が、日中両国の大学に与えられた研究と教育の課題であると思います。そのために両国の大学が情報を共有しながら教育と研究を協力して進めていくことが重要です。

記念写真

 また、経済の観点からは負の要因となる自然災害についての情報を共有し、21世紀の自然災害の軽減に努めることが必要であると考えます。例えば、地震や火山噴火、洪水の災害を世界の記録で見てみればわかるように、世界史上最大規模の地震災害は1556年に西安の近くに発生した地震による、83万人の死者であります。また20世紀最大の震災も中国で、1976年の唐山地震であり、24万2千人の死者を出しました。2位も中国の海原地震、3位は関東大地震です。中国も日本も、プレートが集まってきて、岩盤が圧縮され、変動帯が形成される地域にあり、また中緯度の気候に影響を受ける地域にあります。一方に水害があれば、他方には旱魃の被害があり、一方に火山噴火があれば、他方に震災があるというような地域です。黄河や長江の洪水も大きな被害をもたらせます。噴火災害の最も大きい影響を受けるのはインドネシアですが、日中両国の大学はこのような東南アジアなどの地域との連携も発展させていく努力をしなければなりません。

 1998年の日本、朝鮮半島、中国の水害は大規模でした。1998年9月10日発行の中国の「水害救援」切手は、50分の切手に50分の寄付金タブが付いていました。1991年の洪水では死者が2300人に達し、そのときには、握手する手とハートが描かれた80分切手が発行されました。その切手には「一方有難、八方支援」という文字が入っていました。この標語は、中国で震災の街を歩いたときにもよく見かけました。

 世界の他の地域にはない例もあります。今年、2006年の春の黄砂現象は大変なものでした。中国、日本、韓国、モンゴルの協力で、黄砂に対する対応の研究を進めることが必要であり、そのような動きを大学として支援していかなければならないと思っています。

 水を確保することは中国にとっても、日本にとっても、大変に重要な問題です。水を日本は大量に輸入しています。間接水という呼び方がありますが、食料や木材の形で水を大量に輸入しているのです。中でもアメリカからは、427億立方メートルの水を毎年輸入していて、大変目立っています。その次がオーストラリアの、105億立方メートルで、いずれも牛肉を生産するための小麦の栽培に使う大量の水であります。日本人は、生活用水の直接の給水量も多く、毎日1人あたり322リットルの水を使います。アメリカの425リットルに次いで多い国です。ちなみに、エチオピアでは、たった9リットルです。例えば、このような水の問題だけをとり上げてみても、大学にとって考えるべきことはいくらでも出てくるのです。

 平和と平等の問題や、人のこころの問題の認識と、それに基づく教育と研究も重要な課題です。それには自然科学の進歩だけではなく、社会科学と哲学の発達が必要であり、また歴史に関する研究成果の情報の共有と議論が必要です。それらをリードしていくのが大学の役割であろうと思います。

 日本と中国は漢字圏の文化を共有しています。かつて遣唐使は、海外情勢や中国の先進的な技術や仏教の経典等の収集を目的として日本から中国へ派遣されました。第一次遣唐使は、630年でした。それ以来たびたびの派遣で、日本は中国から多くのことを学び、それは日本人の思想の背景として定着しています。その文化には西洋の思想にはない独特のものを持っていると思います。日本と中国の大学では、両者の協力によって、その東洋の思想をしっかりと踏まえつつ、西洋の文明と東洋の伝統的な考えの融合をリードしていくことが重要であろうと思います。

 例えば、自然科学を論じるとき、現在の国際語となっている英語で討論する技術を教えることも重要ですが、漢字圏の文化として、漢字で自然科学の先端の知識が表現できるように、常に先端の科学の成果を自国語でも易しく表現して、自国の市民に伝える努力を専門家に求めていきたいと思っています。それとともに、日中両国の大学が協力して科学の新しい知見を漢字で表記するよう、共通の表現を求めていくことが重要であろうと思います。

 京都大学が鋭意取り組んでいる「21世紀COEプログラム」の23課題の中の1つに「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」というのがありますが、そこでは、「激しい移行過程にある現代世界を批判的に再検討し、新たな指針を模索するというグローバル化時代の総合的、かつ多元的な人文学的知の形成という課題に、歴史学を中心に、哲学、文学研究を組み合わせて挑むことを最大の目的とする」と述べられています。

当日の様子

 1897年に創立された京都大学も、この復旦大学も、ともに100年以上の歴史を持ち、東アジアの主要大学として活動しています。京都大学への最初の外国人留学生は1903年に中国から来た学生だったと言われています。私自身が上海を初めて訪問したのは、まだ日中間に直行便の飛んでいない1974年でした。それ以来の上海の発展には目を見張るものがあります。

 世界の大学は新たな局面を迎えています。アメリカ合衆国においては国を挙げて競争力を高める論議が交わされ、連邦政府の研究開発投資や科学・工学分野における人材育成のための施策が強化されており、また外国人留学生の獲得に政府が力を入れています。また、ヨーロッパにおいてもそれぞれの国の伝統に立脚する形で大学の教育研究水準を高める様々な試みがなされるとともに域内の学生の流動性を高める努力が行われています。最近では、高等教育を輸出産業として国策に位置づける国も現れるようになりました。

 目をアジア諸国に転じますと、米欧諸国との間の人材の流動性の高まりやアジア域内の教育制度の拡充により多くの優れた研究人材が育成され、またそれらの人々の活躍の場としての大学の役割が益々重要となっています。そして大学の組織も大きな変革を経験しつつあります。日本における国立大学の法人化、そして中国における985工程といった大学改革の努力は世界から注目されています。

 日中大学学術フォーラムは、このような情勢を背景に両国の主要な大学の研究者が率直に問題を討議することを目的として開催されます。「イニシアチブとパートナーシップ-日中大学の新しい使命」という標題に示されるように、両国の大学は知の創出と地球的規模の問題の解決のために主導的な役割を担い、相互に連携していくことが求められています。本フォーラムにおいてはアジア太平洋地域の経済発展のための知の創出と、日中友好における大学の使命と役割について論議が展開されます。両国の主要大学から多くの卓越した研究の成果が報告され、その成果が日中両国の友好と世界の安定した発展に結びつくことを心より願っております。

 最後に、主催者の一人として、多忙な時間を割き出席いただいた参加者の皆様に深く御礼申し上げますとともに、本フォーラムの開催に尽力された王生洪学長をはじめとする復旦大学の皆様に心から感謝いたします。

 ありがとうございました。