エゴからエコへ(びっくり! エコスポ! 2006) 挨拶 (2006年6月5日)

尾池 和夫

尾池総長

 浅利さんからお茶を飲みに来るように、と言われて、彼女のやることになら、間違いないという絶対的信頼感があるものですから、どんな行事をやるのか、よくわからずにOKしました。しかし、結局よくわからないままで先週も終わり、昨夜、今までに到着した情報をもとに一所懸命考えました。

 まず、エコというキーワードですが、これはたった2文字に大変な意味の含む言葉です。コの字に点を2つ打つだけで、20世紀まで、我々の自然環境に与えた大きな付加を表す言葉「エゴ」になります。しかし、エゴをエコに変えるためには、2つの点を消すための大きなエネルギーが必要です。

 私たちはお茶を飲みます。そのためにはエネルギーが必要です。しかし、ここで考える必要があります。電気のような上等のエネルギーは、エゴをエコに変える、あるいは戻すために大切に使っていかなければなりません。私たちがお茶を飲むには、ローカルな、あるいはソフトなエネルギーを使う工夫が必要になります。今日わざわざお越しいただいている長田 達也さんの「ナチュラルエナジー」も同じだと思います。

 ここでもう少し考えると、京都大学の構内でお茶を飲むとすると、低質のエネルギーといえば、私たちの身体の脂肪があります。特に私は、血糖値が上がって運動しなければならないのですから、低質のエネルギーの代表的なものが提供できる立場におります。

 本当は、最も効率のいいエネルギーの使い方は、「臍で茶を沸かす」というように昔からの知恵があります。しかし、それでは皆さんが集まる場所では、ちょっとまずいでしょう。それで自転車をこいでローカルに変換するという方法が考えられたのであります。

発電機付き自転車をこぐ

 火力発電で37%が電気エネルギーになり、供給された電力のかなりの部分が、また熱に変換されて暖房や給湯に使われます。電気という質の高いエネルギーを使うのは、いかにももったいないやり方だという考えがあります。このイベントではそんなことまで理解できる仕組みがあるのだと思います。そのために、私も頑張って自転車を漕ぐことにしたいと思います。

 これでやっと納得して、ゆっくり寝ることができました。このように、「孤立したシステムにおけるエントロピーは減少しない」という法則の理解にまで及ぶ、このイベントの意味は実に奥の深いものであり、さすがと感心しました。

 たくさんの方のご参加、ありがとうございます。