京都大学庭球部100周年記念祝賀会 祝辞 (2005年4月2日)

尾池 和夫

尾池総長

 京都帝国大学の最初に設立された運動部の一つである庭球部が100周年を記念して祝賀会を開かれることになりました。百周年を迎えられたこと、心からお祝い申し上げ、ご来賓の方々にお礼を申し上げ、ご挨拶いたします。

 実は庭球部の歴史がよくわからなくて、ここへ来てからも庭球部員に聞いたり、林会長に尋ねたりしているのですが、よくわかりません。私が調べたことを報告して祝辞に代えたいと思います。

 京都大学の百年史によりますと、1897年(明治30年)には、
6月18日、京都帝国大学設置に関する勅令制定
6月22日、京都帝国大学設置に伴い従来の帝国大学を東京帝国大学と改称
6月28日、文部省専門学務局長木下廣次、京都帝国大学総長に就任
とあり、
9月3日、分科大学通則達示(達示3)。「学年学期休業」「入学」「在学」「休学及退学」「試問」「卒業」「聴講生」「特待学生」「授業料及用品料」「懲戒」の全10章51条。
入学受験料5円、入学料2円、授業料1か月2円50銭。
翌年、1898年(明治31年)
3月か4月頃、運動会結成
そして、1899年(明治32年)
4月3日、第1回運動大会開催
とあります。

 一方、柔道部の記録によりますと、京大柔道部の誕生の記述の中で、「明治31年(1898年)3月の京都帝国大学運動会仮規則は、野球部と庭球部の創設を認めています.翌明治32年(1899年)月運動会規則ができ第1部テニス、第2部弓術、第3部野球、第4部以上に属せざるものが認められていますが、柔道部の名は見当たりません.一方、弓道部百年史によれば「昭和18年(1943年)の京都帝国大学史では、明治31年3月に運動会の創設が認められ、庭球、野球、弓道、剣道、柔道、端艇、馬術、の僅か7つの部が認められた」とあります。

 今、庭球のコートの近くで練習している京都大学弓道部の百年史、年譜によりますと、明治30年(1897年)京都帝国大学創立の直後、11月に弓道部(弓術部)設立の出願があり、明治31年(1898年)3月に設立が認可されたとあります。

 その中に、
「本学の同学会の歴史は、本学創立の年にまで遡る。三〇年一一月、教授学生有志数名から「運動会」の成立認可を総長に出願し、翌年三月認可されて、ここに同学会の前身運動会は成立した。かくて翌三二年四月三日神武天皇祭の日を期して、第一回大会を開くに到った。しかし創立当時の運動会は僅かに庭球部・野球部・弓道部・剣道部・柔道部・端艇部・馬術部の七部があるに過ぎなかった。」とある、ということです。

 いずれにしても、庭球部の名は京都大学の歴史の初期から登場することに間違いありません。そして長い、かつ輝かしい歴史を辿ってこられたことは、今日お集まりの皆さまの思い出の中にしっかりと刻まれているのであります。

 最近では、私が学生部担当の副学長だったときのご活躍がありました。京都大学が連続3年1位となった国立七大学総合体育大会では、そのまさに3年目の東京で開催された第40回(2001年)で、硬式庭球の男子が1位という輝かしい成績で全体の優勝に貢献しました。また、第42回(2003年)では女子が優勝しました。

 189団体の公認学生団体の中で、庭球部の部員は、男子28名、女子8名だそうです。一時は50名を超えていたと思いますので、今、やや少ないかなとは思いますが、東大戦、七大戦、名大戦、九大戦、阪大戦と、多くの年間行事が予定されております。大学としても施設の充実など、できるだけの支援をはかっていく所存であります。庭球部先輩の皆様方からも、大いにご支援を賜るよう、お願いします。

 京都大学庭球部、京大テニスクラブのさらなる発展を祈り、世界のコートでのご活躍を祈って、私のお祝いといたします。

 おめでとうございます。