博士学位授与式 式辞 (2005年3月23日)

尾池 和夫

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 本日、京都大学博士の学位を得られました課程博士514名、論文博士97名の皆さん、おめでとうございます。ご列席の副学長、各研究科長、教職員、ご家族のみなさまとともに、今日この日まで研究を続けてこられた、そしてその成果をまとめて見事に京都大学博士になられた皆さんの努力を讃え、心からお祝い申しあげます。今日の学位授与で、京都大学の学位の数は、全部で、23,453名になりました。その内訳は、16分野で、課程博士累計11,763名、論文博士累計11,690名であります。その中に、京都大学博士(地球環境学)の初めての5名が含まれています。また、他にも京都帝国大学での旧制博士学位、 9,651名があり、これらを総計すると京都大学の108年の歴史の中で生まれた博士は、33,104名となります。

 今年2月、地球から約127億光年の距離にある、生まれて間もない銀河団が発見されたというニュースがありました。ハワイのすばる望遠鏡で観測されたものです。知られている銀河の集団として最も遠く、つまり最も古いという銀河です。宇宙の年齢は137億年と言われており、宇宙の誕生から約10億年後の姿をとらえたわけです。

 基礎研究の分野はさまざまですが、ときどきこのようなニュースが伝わると、世界の人々が注目し、宇宙の時間の流れに思いを馳せています。

 この宇宙の時間の流れの中で、今日博士学位を得られた皆さんの学位論文の中から、そのいくつかを紹介してみたいと思います。

 理学研究科、物理学・宇宙物理学専攻の高橋 労太(たかはし ろうた)さんの論文題目は、「重力レンズで探るブラックホール時空とバリオン的ダークマター」です。主査は嶺重 慎(みねしげ しん)教授です。

 高橋さんは、ブラックホールが光学的に薄い降着流中に存在する場合や、光学的に厚く幾何学的に薄い降着円盤中に存在する場合であっても、ブラックホールのスピンをブラックホールの影から決定することが可能であることを、世界で初めて見いだしました。次に、ブラックホールの影を使って、ブラックホールの電荷も測定できることを示しました。一連の仕事は、超強重力場における物理過程という、天文学の中心課題の一つに大きな指針を与えるものであり、高く評価されるものです。

 同じ専攻の植野 優(うえの まさる)さんの論文題目は、「X線で選択した超新星残骸-銀河系宇宙線加速への寄与について」です。主査は小山 勝二(こやま かつじ)教授です。

 超新星残骸は、銀河系内における宇宙線加速源の最有力候補であるにもかかわらず、知られている220天体のうち、加速の証拠が得られているのは10天体程度に限られています。この植野さんの研究で、新たに加速の証拠であるシンクロトンX線を示す超新星残骸の候補が10数個発見され、2天体で確実な成果が得られました。この結果は、シンクロトロンX線が期待される超新星残骸は、どのような天体かを明確にしたものであり、今後の研究に道筋をつけたものとして重要であります。

 理学研究科、地球惑星科学専攻の小出 雅文(こいで まさふみ)さんの論文題目は、「暴浪イベント指標としての前浜堆積物中の生痕化石の重要性」です。主査は増田 富士雄(ますだ ふじお)教授です。

 過去の生物の生活の痕跡がよく地層に記録されています。生物の巣穴や食べ歩いた痕が残されるのです。これらを生痕化石といいます。生痕化石は環境の指標として重要視されます。小出さんの論文は、とりあげた、これまで甲殻類のヒメスナホリムシがつくったとされてきた生痕が、多毛類のオフェリアゴカイによって形成されたものであることを明らかにして、不規則に屈曲したものと直線的に平行に配列したものとがあることを見いだしました。現世のゴカイの観察から、屈曲したものは平常時の摂食痕で、直線状のものは暴浪時に陸側に避難したあと平常時の生活場所に戻るときにつくられた生痕であることを明らかにしました。遠い昔のそのような環境までがこの研究によってわかったことに私はあらためて感銘を受けました。

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 人類の歴史に入りますが、次は文学研究科で審査された論文博士のものです。丹下 和彦(たんげ かずひこ)さんの論文題目は、「悲劇の世紀-前5世紀アテナイ精神史としてのギリシア悲劇-」です。主査は中務 哲郎(なかつかさ てつお)教授です。

 ギリシア悲劇は紀元前6世紀後半に興り、5世紀の間に千を数えるほどの作品が生み出されました。ギリシア悲劇は科白の他に歌と踊りが占める割合も大きく、何よりもまず劇場で見て楽しむものであったのですから、見る芸術から精神史を読みとることができるのかという疑念が湧くのですが、丹下さんはこの作業を支えるのにふさわしい指標を見つけだしました。法と自由と叡智が三大悲劇詩人の作品の中でどのように扱われているかを跡づけることにより、悲劇解釈に基づく精神史という構想を成功させたのであります。

 次は今の瞬間を取り扱うもので、理学研究科、地球惑星科学専攻の佐藤 和彦(さとう かずひこ)さんの論文です。題目は、「地震の初期過程と複雑さの地震規模依存性」です。主査は、MORI, James Jiro(モリ・ジェームズ・ジロウ)教授です。

 地震はある点から始まる破壊の成長で起こる現象ですが、佐藤さんの研究の重要な結果の一つは、どのような地震も、始まりの大きさはおよそ同じサイズだということであります。M3.5からM7.9の地震では、最終的な大きさにはそれぞれ数キロから数百キロという差があるのですが、始まりのサイズは12mから96mとあまり違わないという結果が得られました。つまり、中規模から大規模地震は同じような破壊過程で始まり、最終的なサイズと始まりのサイズの間に相関関係はないということを、この結果は示しています。地震の始まりのサイズに加えて、申請者は地震の始まりにおける破壊の複雑さについても調べました。どの地震も始まりのサイズはほぼ同じであるという結果と、破壊の複雑さを結びつけて、大規模地震の震源過程を理解する上で重要な結果を得たものであります。

 論文博士の山本 敏哉(やまもと としや)さんの論文題目は、「琵琶湖の水位変動とコイ科魚類の初期生態」です。主査は遊磨 正秀(ゆうま まさひで)助教授です。

 琵琶湖のヨシ群落におけるコイ科魚類の初期生態を、餌の現存量の変動、ヨシ群落内での底質の分布状況、水位の変動との関係で着目した研究です。水位調整の影響に関する研究成果が、直接に国土交通省の政策の論拠として採択された研究として特筆できるものです。最大水深が100mにもおよぶ琵琶湖での、わずか20ないし30センチの水位変動が、魚類の個体群維持に大きな影響を与えていることが明らかとなりました。水位の低下調整が強化された1992年以降、琵琶湖の多くの魚種で漁獲量の急な減少がみられており、本研究は、他の魚種への研究展開の基礎となる先駆性に富む成果といえるものです。

 理学研究科、地球惑星科学専攻の名倉 元樹(なぐら もとき)さんの論文題目は、「インド洋における年々変動に伴う海面水温偏差の季節発展とエルニーニョ-南方振動との関係に関する研究」です。主査は淡路 敏之(あわじ としゆき)教授です。

 熱帯海洋に見られる顕著な年々変動現象は、全球規模の気候に影響を与えることから、その役割と変動メカニズムの解明が注目され、これまでに様々なアプローチにより調べられてきました。名倉さんの研究は、モンスーンの強い季節シグナルを背景場としたインド洋の年々変動の特殊な条件に着目して、インド洋の海上風偏差に影響を与える物理過程を研究したものであります。

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 海洋研究開発機構(JAMSTEC)は、世界で最も高速のスーパーコンピュータを持っています。それは「地球シミュレータ」と呼ばれ、1秒間に40兆回という計算速度を持つスーパーコンピュータです。この地球シミュレータを使って大気循環のシミュレーションが行われ、現在の炭酸ガス排出量の増加がつづくと、ある程度まで増加したとき、不可逆過程に入って気温の上昇は止められなくなってしまうという結果が出ています。このシミュレータは私たちの社会の未来を設計し制御できる可能性を示しています。

 また、JAMSTECは地球深部探査船「ちきゅう」をほぼ完成してテストを行っています。これによって私たちは初めて7,000メートルまで掘削できるようになり、例えば300万年の間の地球環境変動を分析し、さらにさかのぼって生命の起源を知る資料を得る期待もあります。このような分野にも、京都大学で学位を得た多くの研究者たちが参加して活躍しており、また皆さんの学位論文の成果が応用されています。

 今日の焦点は、基礎研究の分野に当ててみましたが、基礎研究を元にして、科学技術は市民の夢を具体的な形で育ててきました。1901年の初頭に報知新聞に掲載された「二十世紀の豫言」の中には、技術の進歩に関して、未来をかなりうまく予想したものがたくさんあります。予想は電信電話に始まり、東京にいてロンドンやニューヨークの友人と自由に対話できると書いてあります。この夢は十分に実現しました。夢の中には7日間世界一周や鉄道の速度もあり、自動車の夢も100パーセント達成されたといえるでしょう。

 今世紀、真の科学技術立国へ向かうためには、科学と技術を自分の関心で考える市民を育て、その参加のもとに次の世代を育てる必要があります。大学がその役割を果たすためには、大学の中身を市民によく理解してもらうことが重要です。大学で行っている研究とそれによる知の蓄積をもとにした教育は、どの分野をとっても実に面白いものです。この学問の面白さを多くの人々に伝えて、その中から学問に熱中する研究者を育てることが京都大学の重要な役割の一つでもあり、私は、それを、本日新しく京都大学博士となった皆さんにも期待するのであります。

 今日までに身につけた知識と、研究を進める能力を発揮して、皆さんがさらなる活躍をされるよう願って、博士学位の祝辞といたします。

 おめでとうございます。