修士学位授与式 式辞 (2005年3月23日)

尾池 和夫

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 今日、京都大学修士の学位を得られた2,068名、社会健康医学修士(専門職)の学位を得られた20名の方々、まことにおめでとうございます。ご来賓の沢田元総長、ご列席の副学長、各研究科長、教職員とともに、心からおよろこび申し上げます。また、ご家族の皆様に心からお慶び申しあげます。皆さんを入れて、京都大学修士は累計50,489名になりました。また、社会健康医学修士(専門職)は初めての修了生20名を送り出すことになりました。

 今、日本の第3期科学技術基本政策に関する議論が行われています。そのような時期に向けて、いくつかの報告がありますが、今年に入って出された報告書などの中で、いくつかのものに私は注目しています。その中の1つは、1月28日に記者発表された三菱総合研究所による「有識者オピニオン調査(科学技術分野)」の『社会の発展に貢献するための科学技術のあり方』に関する9つの提言であります。

 それによると、まず、これからの科学技術のあり方、および科学技術政策の進め方では、環境との共生や心の豊かさの実現などへの貢献が期待され、それを目指す将来の姿について広く社会から理解を得るようにするということがあります。同時に政策立案側の伝える努力だけではなく、市民の側も関心を高めて、政策決定にも多様な形で市民が参画する必要があるとしています。

 科学技術の発展を支える人材の育成においては、広範な見識から科学技術と社会との関係を捉える人材を育成することが必要と述べており、また、子どもたちの科学技術に対する理解を促すこと、研究者や技術者が、科学技術を伝える技術の向上にも取り組もうと提言しています。

 これらの結果は、学界や産業界、行政などの分野の有識者にアンケートして得られたものであり、それらの人々が現在どのような考え方を持っているか知る手がかりとなるものであり、これからの大学の教育と研究を考える上に、参考にすることのできる資料の一つとしてとらえることができます。

 20世紀は資源やエネルギーを利用して開発を進め、急速な発展を目標としてきた社会でしたが、京都大学の基本理念にもあるように、21世紀は地球社会の調和ある共存を課題としていくことを、私たちは望んでいます。人々が豊かな暮らしを求めるのは、調和ある共存を前提とした希望なのであります。また、人々がさまざまな情報を正しく共有して、そのような暮らしを実現していくことが大切であり、そのためには知の創造と蓄積を役目とする大学が、その持っている知識を広く伝える役割を果たさなければなりません。

 次に注目したのは、1月18日に社団法人日本経済団体連合会が出した「これからの教育の方向性に関する提言」であります。この報告では、教育への期待として、社会で必要とされる知識や判断能力を身につけること、自国の伝統・文化・歴史に関する教育を充実させること、リーダーの養成、家庭や地域での基本的道徳教育の徹底というような、4つの項目が挙げられています。

 そのための教育の今後の方向性としては、高等教育での予算配分のあり方について、GDPに占める高等教育予算の割合を、今の0.5%から欧米並に1%まで上げるという趣旨の提言が行われています。

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 科学技術の基盤においては、アメリカの大学が今は圧倒的に強い力を持っています。いろいろな議論はありますが、やはり大学の研究のために使う資金が圧倒的にちがっていることが、何と言ってもその原動力です。学問においては、国は資金を出すが口は出さないという仕組みが基本でありますが、その基本を守り通すためには、国に資金は出させるが口は出させないようにするだけの技量を、大学が持つという努力をすべきなのであります。

 日本経済団体連合会の考えにある、高等教育予算を欧米並みに1%まで上げるという方針には私も賛同します。そして、その資金を国公私立大学を通して、日本の大学が連帯して国際競争力を持つために使えるようにしたいと思います。国の将来のために、また地球社会の調和ある共存に向かって、日本が優れた人材を確保していくためには、今、何よりも教育費の個人負担を軽減することが必要であると思っています。今日修了する皆さんも、高等教育の将来のために、大学を支援する世論として大いに声をあげて、そして京都大学修士として、今後とも、出身のこの大学を支援してほしいと思います。

 本日学位を得られた方々の論文の課題を見渡していて、21世紀の地球社会のために設定された研究課題が、京都大学の修士論文の課題の中に、たいへん多くなってきたと感じることができました。私は今回そのことをうれしく思いました。それらの題目を少し列挙してみたいと思います。さまざまな形で多様な社会の中での共存が考察されているということを感じ取ることができます。

 経済学研究科の徐 春燕(ジョ シュウエン)さんの論文題目は「異文化環境における日本企業の経営理念-京セラフィロソフィの事例を中心に-」です。日本の企業の、人の心を大切にする理念が思い浮かびます。

 理学研究科のMANAHAN JANETTE JOSON(マナハン ジャネット ホーソン)さんの論文題目は「1994年11月15日フィリピン・ミンドロ地震(Mw7.1)の震源過程」で、日本と同じプレート収束帯の自然災害の多い変動帯における自然現象の理解を深めるものであります。

 同じく、理学研究科のLUIZA MAJUAKIM(ルイザ マジュアキム)さんの論文題目は「キナバル山山地熱帯降雨林における樹木葉ポリフェノール物質が土壌水の溶存有機態窒素に与える影響」です。京都大学が得意とするフィールドワークによる地道な基礎研究が、地球の将来を支えることにつながっていきます。

 医学研究科の多田 理恵(タダ リエ)さんの論文題目は「「持続的植物状態にある寝たきり高齢者」の延命治療について -事前指示書「命の遺言書」作成の意義」です。豊かな暮らしを大切にする、これからの医療の課題は、さまざまな観点から進めていかなければなりません。

 工学研究科の韓 勝旭(ハン スンウク)さんの論文題目は「在日コリアン集住地区の形成過程と居住空間の変容に関する研究-京都市東九条地区を中心として」で、日本と隣国の歴史に深く関わる重要な課題を研究テーマとしています。

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 工学研究科の松本 真俊(マツモト マサトシ)さんの論文題目は「宇宙太陽発電所のための自動較正機能を有する到来方向推定法に関する研究」です。21世紀のエネルギー資源を求めて、将来の技術につながっていく研究であります。

 農学研究科の菅野 美緒(スガノ ミオ)さんの論文題目は「都市近郊における持続可能な農地保全活動の要件に関する研究」です。昨年、国立シンガポール大学を訪問して学長さんと話したとき気づいたことがあります。国立シンガポール大学は、たいへんな勢いで先端科学技術の研究を進めていますが、その大学には農学の分野がありません。このような傾向の中で、京都大学の農学分野の役割がますます重要になってくると思います。

 アジア・アフリカ地域研究研究科の周 密(シュウ ミキ)さんの論文題目は「1960年代におけるタンザニア:中国関係とタンザニアのウジャマー開発政策の成立」です。中国から京都大学に留学して、そこを足場にしてアフリカの国の研究をするという国際的な展開ができるのも、京都大学の重要な役割を示すもので、このような研究が大いに進んでほしいと思っています。

 地球環境学舎の坪内 久弥(ツボウチ ヒサヤ)さんの論文題目は「より安全で持続的に利用可能な飲料水のあり方-水質の向上と水源保全-」です。水を確保するのは調和ある共存のための基本であります。例えば、水を日本は大量に輸入しています。間接水などの呼び方がありますが、食料や木材の形で輸入される水が多いのです。中でもアメリカからは、427億立方メートルの水を毎年輸入していて、大変目立っています。その次がオーストラリアの、105億立方メートルで、今は少し減ってはいますが、いずれも牛肉を生産するための小麦の栽培に使う大量の水であります。他の国からの分も入れて、総計744億立方メートルの水を1年間に輸入していることになります。日本人は、生活用水の直接の給水量も多く、毎日1人あたり322リットルの水を使います。アメリカの425 リットルに次いで多い国です。ちなみに、エチオピアでは、たった9リットルです。例えば、このような水の問題だけをとり上げてみても、考えることはいくらでも出てくるのです。

 本日、修士の学位を得られた皆さんは、これからさらに進学して学問の世界に深く入っていこうという方も、また明日から社会人として新たな場所で活躍を始めようという方も、いずれにしても、修士課程で得た知識と知の創造へのアプローチの能力と身につけた方法を生かして、それを広く京都大学から世界へ伝え、広めていく役割を果たしていただきたいと思います。

 同時に、人類の福祉のために貢献するということを基本として、それぞれの道を進んでくださることを願って、私のお祝いの言葉といたします。

 おめでとうございます。