先端領域融合医学研究機構第2回シンポジウム 挨拶 (2005年3月7日)

尾池 和夫

挨拶の様子

 先端領域融合による開放型医学研究と題して第2回のシンポジウムが開かれるに当たりまして、その開催に向けて大きなご努力を続けてこられた、直接、間接の関係者の皆様に敬意を表し、また今日のこのシンポジウムの開催までに、さまざまな形でご支援いただいております内外の関係者の皆様方に、京都大学を代表してお礼とご挨拶を申し上げます。

 皆様方がよく覚えてくださっているように、中西 重忠先生をリーダーとするこの先端医療融合医学研究機構の発足が宣言されたのは、2002年9月のことでありました。

 若い研究者を公募によって教授や助教授として迎え、講座制の仕組みを基本とする大学のシステムを打ち破る狙いも含めつつ、若手リーダー開放型ラボを作るという構想でした。多くの若手の研究者を公募し、文部科学省の科学技術振興調整費による多大な支援を受けながら、力強くプロジェクトを進めるという構想であり、また、生体遺伝子工学の解析技術の開発などを目的とする「先端技術センター」でも、若手の研究者を集めるという計画でありました。

 スタートにあたって、中西医学研究科長は「若い研究者が独立して独創的な研究に打ち込める場にしたい」と明快に述べられたのが、京都大学の他の多くの部局にも大きな影響を与えたと思います。分野の違う私も、その機構の構想の中に、今までの日本の大学にはない、新しい大学の機能のスタートを感じさせるものがあり、たいへん期待するものがありました。何と言っても、一挙にこれだけ多くの若手研究者を公募することが、日本の大学では初めてと言っていいぐらい珍しいことでした。「柔らかな頭脳」という言葉がしばらく学内でも聞かれました。

 そしていよいよ第1回のシンポジウムが開かれたのが、2003年5月下旬でした。コア研究機構の3つの分野に加えて、理学、工学、文学などの異分野連携も目指してスタートした機構の成果に注目が集まりました。ときの医学研究科長、本庶 佑先生の基調講演は「生命ドラマのアドリブ」というものでした。

 現在、この機構の機構長である上代 淑人先生によると、米国で生命科学とバイオテクノロジーがめざましく発展した要因の一つは、広く世界中から優秀な人材を受け入れて、国籍の差別なしに創造的な活躍をさせる場を提供したこと、もう一つは、医学の教育機関の中に、出身学部にこだわらずに多様な研究者を育成したことであるということです。さらにそのようなことを促進する仕組みと、そこでよき師に出会うことが大切と言われます。このような上代先生や、京都大学元総長の井村 裕夫先生、あるいは元科学技術政策担当大臣の尾身 幸次さんらの熱心な議論を経て、この戦略的研究拠点育成の計画が進められてきたのであります。

 倫敦在住の山田 直さんによると、この2月に2004年度の英国高等教育機関、産学連携調査結果が、イングランド高等教育助成会議から公表されました。前回と違ってタイトルが「Higher education―business and community interaction survey 2002-03」となっていて、新しく題名に「Community」という言葉が入ったということです。産学連携のみならず、地域社会への貢献が入っているのが特徴で、これを私たちも見習う必要があると思います。この報告の中で、英国の大学の企業からの収入のうち、1位が医療、2位が工学、3位が生命科学、4位が化学となっています。今後も税制の改革などでますます重要な収入になっていくであろうと言われます。日本でもこのような傾向を追いかけていく時代であると認識しており、京都大学全体としても、この先端領域融合医学研究機構の成果に期待し、大学における新しい仕組みのモデルの一つと位置づけながら、しっかりと支援体制を構築していく所存であります。

 京都大学を代表して、私からも今後とも引き続き皆様方のご理解とご協力、ご支援をくれぐれもよろしくとお願いします。また、今回のシンポジウムが、機構の皆様の研究の飛躍につながり、産業界との連携につながり、また地域社会との連携につながって発展する、重要なきっかけとなることを祈って、私の挨拶といたします。

 多数の方々にご参加いただき、深く御礼申し上げます。
 ありがとうございました。