博士学位授与式 式辞 (2004年9月24日)

尾池 和夫

写真1

 本日、京都大学博士の学位を得られました課程博士78名、論文博士34名の皆さん、おめでとうございます。ご列席の理事、副学長、各研究科長、教職員、ご家族のみなさまとともに、今日誕生した博士のみなさんの学位取得を心からおよろこび申しあげます。

 本日の式辞を準備するにあたって、大学における研究についてよく言われる基礎研究と応用研究、あるいは実学と虚学というようなことについて、また、最近よく聞く、世の中の役に立つ研究ということについて、考えてみたいと思いました。

 大学では、幅広い分野の基礎研究が行われ、それをもとに応用の分野が開かれていきます。ところが最近では、実用化の研究が先にあって、あとから基礎研究がついていくというような分野も見られるようになりました。社会の要請があって、それに合わせた開発という過程の中で、仕組みの解明という要請が出てくるのです。環境保護や安全という観点からも、このような仕組みの解明は大変重要であります。このような場合に関連して、ノンリニアな産学連携という言葉が聞かれるようになりました。

 もちろん、リニアな産学連携であっても、常にフィードバックしてモデルを手直ししていかなければ良い結果は得られません。また、最初に設定した結果とはまったく違う成果が得られる場合もあります。これは研究の世界では大変重要なことであるのは、みなさんがすでによくご存じのことでしょう。

 そのようなことを考えながら、本日の学位授与となった論文の審査報告を読ませて頂きました。その中から、社会に役立つという意味で興味を持ったいくつかを、私の感想を交えて紹介してみたいと思います。

 博士(農学)の河田 幸視(かわた ゆきちか)さんの論文は、「自然資源の管理政策に関する研究」で、主査は武部 隆教授です。

 この論文では、資源経済学の立場から考察し、自然資源は再生可能資源と再生不可能資源に大別できるとして、再生可能資源である自然資源を対象に、同資源の保護ならびに管理の方策を、非消耗的価値にも言及して、理論的、実証的に考察しました。

 設定した経済モデルから、例えば、農林業に被害をもたらしている北海道のエゾシカを対象に、その最適な管理政策について考察しました。エゾシカがもたらす林業被害とエゾシカの獣肉としての価値の両者を考慮し、エゾシカの場合には、被害を受ける材木の価値が高いため、最大持続可能生産量に対応する資源量以下に、エゾシカの資源量水準を設定することが適切であるという結論を得ました。捕食者にツーリズムやハンティングのような非消耗的価値を認めるならば、絶滅させることが最適とはならず、捕食者・被食者ともにある水準の資源量を維持することが最適という結論が出てきます。

 例えば、最近の読売新聞に、日本の各地の山間部で、ニホンジカが増加し、草や木の食害が広がっていることが紹介されました。それによれば、森林被害は36都道府県で報告され、その面積は、概数を把握している23都府県だけで計6642ヘクタールに上るということです。この論文が、このような具体的な日本各地の課題に対して、実践的に役に立つものとなるよう、さらに研究の進むことを期待しています。

 博士(経済学)の学位を得られた小倉 行雄(おぐら ゆきお)さんの論文は、「現代経営学ー構想と展開ー」というもので、主査は赤岡 功教授です。

写真2

 この論文では、21世紀型企業の条件として次の5つがあげられました。1.より高い立場で利益追求を位置づけることができる企業。2.ビジョン構築能力を持つ企業。3.時代を貫く独自な強みを持つ企業。4.情報創造により、現場的、実践的に人間能力を活用できる企業。5.社会的使命感が高く、個人を生かした柔軟な働き方を取り入れてゆく企業、の5つです。この論文は、経営学的な観点から、これまで会計学や財務の問題として別個の扱いをしてきた計数的データにかかわる現場的活動を、経営学の問題として正面から扱ったものです。この意味で、本論文の先駆性と現実への応用を志向した実践性は高く評価されます。

 本論文においては、利益追求を企業目的達成のための手段ととらえています。これは常識的なとらえ方とは逆のとらえ方であります。今日の利益追求は、社会性と関わるものとしてとらえる必要があり、私的領域のみで完結する活動でなくなっており、顧客の満足度や感動、サービス、あるいは時間やスピードの追求といった、質的な要素への配慮が大事になっているという分析です。利益確保は迂回的なプロセスを踏み、複合的な方法もとらないと期待できないという結論です。

 私も大学の経営において、この論文に注目し、たいへん参考にさせて頂きました。

 博士(理学)の、弘瀬 秀樹(ひろせひでき)さんの論文は「定常強磁場の生体影響に関する細胞生物学的研究:磁場配向、細胞増殖、及び、遺伝子発現に対する作用」というもので、主査は米井 脩治(よねい しゅうじ)教授です。

 最近、強磁場発生装置の利用が急激に増加し、磁場の生物に対する影響には社会的にも大きな関心が寄せられています。例えば、医療現場でのMRIの利用、リニアモーターカーの実現などで、人体がテスラ(T)オーダーの定常磁場に曝露される機会があります。これを調べるために、この研究では、超伝導磁石を用いて、細胞の磁場配向ならびに細胞増殖に対する影響を検討し、細胞の増殖方向を制御することに成功しました。また、定常強磁場の細胞がん化作用を知るために、がん遺伝子の発現に及ぼす影響を検討し、ある遺伝子の発現の増加は磁束密度ではなく磁場勾配に依存するという結果を得ました。これらの結果は磁気力の変化が生物に大きな影響を与える可能性を示唆するもので、磁場の生物影響を細胞や分子のレベルで明らかにする研究を大きく発展されることになるであろうと期待されるものです。

写真3

 博士(工学)の、浅利 美鈴(あさり みすず)さんは工学研究科環境工学専攻で、「廃木材の循環過程におけるリスク及びその制御策」という論文を提出しました。この論文の主査は、高月 紘教授です。

 論文は、まず循環資源について、総合的な対策を配慮した、循環と廃棄処理をデザインするための方法論の全体像を描きました。対象とする資源の多様な特性の整理という段階、研究対象の選択と調査範囲の設定という段階を経て、有害化学物質による人の健康へのリスクの評価を行い、回避すべきか否かの判定を行うという方法論です。その事例として、廃木材を対象とした場合の成果をまとめました。化学物質曝露に伴う人の健康へのリスクの解析を行い、例えば、薬剤処理廃木材の一般消費者による再使用は早急に回避策を検討すべきであること、廃木材からの建築部材であるパーティクルボードの製造に関しては、さまざまな薬剤処理廃木材が原料として流入している可能性を明らかにし、そのレベルはすぐさま人への影響が懸念されるものではなく、製造プロセスにおける労働者のリスク管理及び製品の品質管理を含めた製造システムが構築されれば、促進すべき選択肢の一つになることなどを確認しました。このように、フィールド調査や化学物質曝露に伴う人の健康へのリスクの定量化と評価、リスク制御策の開発を行うことにより、実際に提案した手法の有効性を示したものであります。

 浅利さんは、京大ゴミ部、京都ごみ祭実行委員長、エコ日めくり、臭うところに我らあり、ごみに市民権を、というような言葉とともに、さまざまな場所に登場します。そのような実践とともに仕上げたのが今日の学位となった論文です。直接の関係はありませんが、小さな花を秋に咲かせる掃溜菊(はきだめぎく)という名の植物があります。牧野 富太郎氏が世田谷の経堂の掃きだめで見つけて命名しました。チッ素分の多いごみ捨て場などに生える、熱帯アメリカ原産の帰化植物ですが、浅利さんの論文から私はなんとなくこの花を連想しました。

写真4

 次に、博士(情報学)の学位を得られた、情報学研究科知能情報学専攻の西口 敏司(にしぐちさとし)さんの論文「講義アーカイブシステムの構築」を紹介します。主査は美濃 導彦教授です。
この論文は、教室で行われる一斉講義において、その場にいない学習者が、教示内容を時間的、空間的制約なく獲得できるように、講義における講師と受講者の間のコミュニケーションの過程でやり取りされる情報を、電子的にアーカイブ化する手法を開発したものです。一斉講義型の対面授業では、講師と受講者の間の双方向かつ断続的なコミュニケーションによって教示内容が伝達されます。アーカイブ化に際してもこれらの性質を保存する必要があります。講師と受講者の表情や身振りを、話す人の位置を推定しつつ追いかけて記録し、黒板上に書かれる文字や図形を記録します。このようなシステムを長期間に渡って継続的に利用し、システムが有効であったことを示しました。講師や受講者に与える影響も調査していますが、徐々に撮影されていることを気にしなくなるということです。

 メールの交換が初めて技術的にできるようになった頃には、電気通信法で、メッセージの交換をしてはならないと定められていて、これが技術開発の障害になりました。通信の自由化が決まったのは1985年で、電電公社という国の機関が通信を管理していたのが、この年に民営化されて、禁止されていた電子メールによるメッセージの交換ができるようになりました。その後、インターネットの発達はめざましいものがありますが、ネットワークを通して大学の講義を広く世界に公開する日が間近に迫っていると私は思っています。

 京都大学附属図書館のウェブサイトには、みなさんの博士申請論文の論題一覧が載りますけれども、論文や審査報告の内容もぜひ検索閲覧できるようにして、外部の方たちが早い機会に博士論文の成果を応用できるようなサービスも、大学として用意しなければならないと思っています。

写真5

 京都大学での研究と教育は、107年の歴史の中で蓄積された基礎研究の知をもとに行われます。今日の博士学位となった論文もまた、みなさん一人一人の研究者としての人生の中のマイルストーンとなるとともに、京都大学の知的資源の一部としても蓄積されていくものであります。

 私は常に京都大学の研究と教育は、実学の世界であれ、虚学の世界であれ、どのような意味であるにしろ、人類の福祉に貢献し、社会に役立つものでなければならないと思います。本日ここに居られるみなさんも、そのことをよく理解されていると思います。これからさまざまな場所で仕事を続けて行かれると思いますが、今後社会に出られても、本学において学ばれた自学自習の精神を活かしながら、さまざまな方法で学問を続けて頂きたいと思います。これからの人生でいろいろな悩みや困難にも出会うことがあるでしょうが、みなさんは京都大学で研究成果を得た貴重な経験をもとに、それらを乗り越えて行くことができるでしょう。国際社会の中でのみなさんのご活躍を期待して、私のお祝いの言葉といたします。

 新しい京都大学博士のみなさん、本日はおめでとうございます。