博士学位授与式 式辞 (2004年5月24日)

尾池 和夫

 本日は、課程博士43名、論文博士18名、合計61名の方に博士学位を授与いたしました。ご列席の副学長、各研究科長とともに、心からおよろこび申し上げます。
 みなさんが、京都大学の学位を得られたことは、みなさんにとって大きな喜びであり誇りであるとともに、京都大学にとっても大変な栄誉であり誇りであります。また、今日の博士学位授与式を迎えるまで、みなさんを支えてこられたご家族の方々、そして指導教員の方々に、みなさんとともに私も心から感謝いたします。

 みなさんが学位審査のために提出された論文はどうなるのか、その一例をご紹介しましょう。みなさんの論文は、審査を受けた研究科に一部、京都大学附属図書館に一部、そして国立国会図書館に一部が、それぞれ永久に保存され、世界の人々に公開されて、利用されることになります。
 それぞれの研究科では、その分野の特性に応じて、保存のしかたと利用者への情報提供のしかたに、さまざまの工夫をしています。例えば、京都大学大学院文学研究科では、コンテンツワークス株式会社の提供する「BookParkサービス」というのを利用して、博士論文の情報公開を目的とした「博士論文ライブラリー」を展開しています。課程博士の論文のリストの中から、希望の論文をオンデマンド出版方式によって購入することができるシステムです。
 そのことの意味を文学研究科の前研究科長、紀平 英作先生は、「若い研究者は大学院博士課程を終えて博士学位請求論文をまとめる。研究者としての生涯の方向を定める重要な論文に違いない。京都大学文学研究科において審査・合格となった課程博士学位論文を広く公開・討議の場にふし、諸学の研究教育に供すると共に批判を仰ごうと思う。論文が実りある批判を通して学界の豊かな共有財産となることを願う」と、2002年2月27日に書いておられます。
 また、京都大学附属図書館には、京都大学博士学位論文論題一覧というデータがあって、附属図書館が作成した学位論文目録カードをもとに、また1998年以降は学位授与報告書をもとに、そのデータを作成しています。現在は2003年11月25日授与分まで収録されています。

 本日学位を受けたみなさんの論文も、このように、やがて何らかの方法で公表されることになります。もちろんすでに印刷されているものもあるでしょう。私は学位授与式の前に、授与される論文の審査報告に目を通すことにしておりますが、それによって、みなさんの知恵と努力と熱意と幸運の成果としての学位論文から、実に多くのことを学ぶことができて、大学に籍を置くことのよろこびを実感するのであります。
 今回の学位となった論文の中から、とくに私が興味を持ったいくつかを紹介してみたいと思います。まず、文学研究科の審査報告からです。

 山城盆地に栄えたこの京都には、さまざまな形で文化が育ってきました。その中に、古典文学があります。平安中期、西暦でちょうど1000年の前後には、平安王朝が栄えました。その繁栄の中で、後世に名を残す女性が登場します。
 ユネスコの「世界の偉人」の一人として選ばれた紫式部。そのライバルといわれる清少納言。そして情熱の歌人といわれる和泉式部がいます。和泉式部が今頃の季節を読んだ歌には、
 ながめには袖さへぬれぬ五月雨におりたつ田子の裳裾(もすそ)ならねど
というのがあります。「ながめ」は長雨です。
 先ほど述べた附属図書館の博士学位論文論題一覧データベースで、「紫式部」と「源氏物語」というキーワードを入れて検索すると、それぞれ1件と4件の論文がありますが、「清少納言」というキーワードでも、「枕草子」でも、「和泉式部」でも、一件もヒットしませんでした。つまりこれらのキーワードのある学位論文が、旧制の博士も含めて、まだ京都大学からは生まれていないということを意味します。
 『和泉式部日記』は、長保5年(1003年)4月から翌年の正月までの、和泉式部の日記です。敦道(あつみち)親王との恋を中心に、式部が親王の邸に入るまでの経緯を綴った日記です。

 文学研究科文献文化学専攻の久堀 領子(くぼり りょうこ)さんの学位論文題目は、「『和泉式部日記』の本文と表現」であります。主査は、大谷 雅夫教授です。
 主に三条西家本によって読まれている『和泉式部日記』について、作品の読みに関わるような他系統本文との異同がみられる場合があるそうです。一例として三条西家本の「故宮(こみや)のはてまでそしられさせ給ひしも、これによりてぞかし」と、応永本の「故宮の御はてまではいたうそしられじ」の異同を取り上げて論じています。いずれの本文でも意味は通じるけれども、どちらが本来的なものと考えられるかを、「はて」と「御はて」の語を手掛かりとして検討しました。「はて」は「人の生涯の最後」、「御はて」は「故宮の御一周忌」という平安時代の用例からは、応永本本文の方が自然であるという判断であります。この異文発生の事情について考察し、栄花物語巻(まき)七「とりべ野」の影響が考えられる、と論じています。和泉式部の恋が世上で非難されたことを具体的に記した「とりべ野」の記載が、三条西家本に影響を与えているのではないかと考えられるというわけです。
 学位論文の第II編第1章では、『和泉式部日記』の散文の部分について論じています。多くの和歌を含む本作品は、贈答歌によって成り立っているのですが、散文の部分は、和歌と和歌を繋ぐためのもので、和歌に対して従属的なものと位置づけられてきました。作品の核となった贈答歌は、概ね二人の間で現実にやり取りされた、動かし難いものとしてあったはずである、という考えに基づいて、この論文では、それならば、作者の執筆時の意識や創意は、散文の部分から汲み取ることができるであろうという視点を置いて論じています。作品の終わりの方に、散文の量が著しく減少する部分がありますが、これは二人の共感がすでに充分なものとなり、ここでは最早、散文による共感の補いは必要なくなっているとみなすことができると結論づけています。また、女が宮の邸に上がってからは、逆に歌は一首も見られなくなり、散文がすべてを述べるとして、そこで描かれるのは、「忍びの恋」の世界の外側の、それまでとは異質な現実であり、作品は程なく終結する、とあります。このように、散文はあくまでも、主人公たちの共感に根差した忍びの恋の進展と成就という主題を十全に描き出すためのものであるという結論であります。
 審査報告では、「散文の部分の重要性を指摘し、それによって作品全体の構造を分析したのは新鮮な議論であった」と述べられています。

 同じ専攻の長谷川 千尋(はせがわ ちひろ)さんの論文は、「室町期連歌の研究」で、主査は同じく大谷 雅夫教授です。室町時代から江戸時代にかけての連歌資料の諸問題について考察するものです。俳句をこころみる私にとっては、とくに興味深いものでした。
 『京都大学蔵貴重連歌資料集』(全六巻・臨川書店)という合計数千ページの出版物がありますが、「平成十三年以降、博士課程大学院生の身でそれをほとんど独力で編纂し、翻刻と解題の執筆に縦横無尽の活躍を見せ、やがて平成十六年の完成までにこぎ着けた立役者が論者であった。本論文は室町時代から江戸時代にかけての数多くの連歌資料についての論考を収める」と審査報告にあり、さらに、「本論文は、室町時代から江戸時代の数多くの連歌資料の中でも最も大切と考えられるもののほぼすべてについて、それぞれまことに綿密な書誌的研究を施し、多くの新たな知見を提示するものである。近代的な研究の対象とされることのたち遅れた連歌が、まずはその資料の研究から始められなければならないことは言うまでもない。本論文の連歌資料研究はその見事な達成であり、今後の連歌研究の基礎を固めるものとして、高く評価できるであろう」と記されています。

 藤原 辰史(ふじはら たつし)さんの、博士(人間・環境学)の学位論文題目は、『ナチス・ドイツの有機農法ー「自然との共生」はなぜ「民族の抹殺」に加担したのかー』であります。主査は池田 浩士教授で、すでにご退官です。
 審査報告には、『本論文のテーマは、ドイツ・ナチズムの有機農法に関する理論と実践を、未公刊資料を含む一次資料、および先行諸研究の調査・検討を通じて究明し、それが「自然との共生」を目標理念としながら現実には「民族の抹殺」に行き着いた経緯と根拠を問うことである』と紹介され、さらに『ナチス・ドイツの有機農法の実態を具体的に解明することを通じて、有機農法の歴史と現在とが提起している諸問題に独自の角度から照明をあて、エコロジー思想およびその実践が孕む今日的諸問題の考究と解明の試みにたいしても一石を投じるもの』と述べられています。
 『論者は、旧・強制収容所を訪れたおり、かつて構内に農園があったという事実を知ったときの衝撃という個人的体験から出発しながら、一貫して農民あるいは農業実践者の土あるいは自然との身体的関係という根底にこだわりつつ有機農法が孕む諸問題に立ち向かおうとして』いると、審査報告には説明されています。
 時間に限りがあって、審査報告からほんの一部を簡単に紹介しましたが、本論文は、2004年秋に、柏書房から単行本として刊行される予定だそうです。

 本日、学位を得られた61名の方々の論文の審査報告を読むだけでも、この京都大学が、いかに豊富な知の蓄積をしていく大学であるかということを実感します。まったく異なる分野の研究成果が、学問の府に蓄積され、やがて融合し、また新しい分野を生み出していくという過程の中で、みなさんの学位論文もまた思わぬ展開を見せることになるでしょう。
 これからみなさんには、大いに異なる分野の研究者と接触して、さらなる展開をはかっていただきたいと思います。自分の専門以外のことにも関心をもって発展していくために、「一つの事柄について全てを知るよりも、全ての事柄について何らかのことを知るほうがずっとよい」というパスカルのことばを引用して、学位のお祝いといたします。
 みなさんのこれからの活動が、人々の福祉に大きく貢献することを祈って、私の式辞といたします。61名の新しい京都大学博士のみなさん、まことにおめでとうございます。