医学部「芝蘭会館」竣工式典 挨拶 (2004年3月27日)

尾池 和夫

 医学部設立100周年記念で完成した芝蘭会館の竣工にあたって、京都大学を代表しまして、お世話になった皆様へのお礼を申し上げ、併せて、芝蘭会、医学研究科、医学部はじめ事業のご関係の皆様のご努力に、敬意を表したいと思います。

 今、45年ほど前の、友人との議論を思い出しています。哲学をやりたいという友人と、夜明けまで激論をしました。テーマは、丸がいいか四角がいいかという議論でした。何の形かというと、正月のお雑煮の餅の形であります。彼の家では、丸餅で、私の家では切り餅で雑煮を祝います。かつてギリシャでは、円形の劇場がというようなことを論じましたが、結論はありませんでした。もちろん、山内ホールか、稲盛ホールか、というように議論の続きをするわけではありません。

 百周年を記念して計画された大事業ですが、まさに輝かしい医学部の歴史にふさわしい会館が出来ました。
 1897年(明治30年)、京都大国大学が設置されたとき、まず理工科大学が開設され、次いで1899年7月4日に法科大学と医科大学が開設されました。続いて12月には医科大学附属医院が設置されました。
 京都帝国大学が出来たその頃、この芝蘭会館が挟んでいる滋賀越道が一本だけ、都から東山の低い尾根へ向かっていて、知恩寺だけがありました。静かな自然の中に大学が生まれました。
 任天堂の創業は1889年(明治22年)でした。平安神宮近くの地で、花札の製造・販売を開始しました。医科大学の学生もきっとその花札を持っていたと思います。 古くからの伝統技法でミツマタから板紙を作り、色彩豊かな日本の季節感を描いた京都の生み出した文化がそこにあります。そして、1907年(明治40年)、日本で初めてトランプの製造を始めました。

 医科大学から医学部の歴史で、中でも私の好きな記録は、野口英世への医学博士の学位授与です。東京で医学の始めたにもかかわらず、野口英世は学位論文を京都帝国大学に提出し、1911年(明治44年)に医学博士が授与されました。 そして、1915年の第1次世界大戦勃発がなければノーベル賞を受けたであろうと言われる野口英世でしたが、その野口をノーベル賞に推薦した推薦者の中にも、独立に京都帝国大学医科大学の3人の教授がいました。

 1959年には、京都市に、ファインセラミックスの専門メーカーとして京都セラミツク株式会社が誕生しました。
 その翌年、医学部の歴史で重要な出来事は、1960年、本庶 佑さん、中西 重忠さん、田中 紘一さんらの京都大学医学部入学であります。
 ファインセラミックスは、今やあらゆるところで使われています。パソコン、携帯電話から、生産設備、化学プラント、通信、情報、新幹線、もちろん医学や医療の分野にも登場します。京都盆地が産んだ、世界に誇る先端産業であります。

 このような京都の文化、京都の産業、京都の先端科学が、この会館で合体して、また新しい予想もしないような世界を展開していく可能性を持ったわけです。今、私は、この会館が、京都大学の情報を発信する重要な拠点となると期待に胸をふくらませています。みなさんのご協力にもう一度深く感謝して、私の挨拶といたします。