大学院入学式 式辞 (2005年4月7日)

尾池 和夫

尾池総長

 京都大学大学院に入学した修士課程2,240名、専門職学位課程230名、博士(後期)課程971名のみなさん、入学おめでとうございます。ご列席の名誉教授、副学長、研究科長、学舎長、教職員とともに、心からお喜び申し上げます。

 皆さんはこれまで積み重ねてきた学問の道をさらに先へと進むために、あるいは方向転換して未知の領域へ一歩踏み出すために、いずれにしても新たな飛躍を求めて、大学院における研究の道を選択されました。その選択が実り多い人生へつながっていくことを祈って、入学をお祝い申し上げます。

 大学院へ入学された今年、どのような年になるか、皆さんは研究や学習の計画を立てて、それぞれに想像しておられることと思います。国連は昨年、2005年を世界物理年として決議しました。日本でもそれを受けて、有馬 朗人さんを委員長とする世界物理年日本委員会が発足しました。それに関連する行事もいろいろと計画されると思います。

 100年前の1905年、3月にアインシュタインが「光量子論」を発表し、光は粒子だと論じました。4月には「ブラウン運動」の論文を発表し、この論文でアインシュタインは博士号を得ました。そして6月には「特殊相対性理論」を発表しました。アインシュタインは光電効果の法則の発見でノーベル賞を受けましたが、この研究は後の量子力学の土台となり、半導体材料での電子と光の振る舞いを制御する技術へと、やがてつながって行きました。このような物理学の100年にわたる歴史が、基礎研究の息の長い重要性を不動のものとして示しています。

 今、日本の科学技術基本計画の第3期に向けての議論が大詰めに来ています。それに向けて多くの人々が意見を述べています。大学院で研究の道を選んだ皆さんも、この問題について考えてみてほしいと思います。

 日本学術会議は、今年2月17日に、科学技術基本計画における重要課題に関する提言を出しました。提言はまず、科学技術基本計画の第3期においても、第1期から第2期に達成された割合で科学技術関係経費総額を増額していくことが必要である、として、また大学、研究機関等はその資金の効率的な運用に努めるべきある、としています。

 また、基礎研究の割合を現状と同等以上に堅持し、科学研究費補助金を増加させることが必要である。研究者は政策に振り回されることなく、基礎研究に取り組む自覚を持つべきである。第2期からの倍増を目標として競争的資金を拡充することが必要である。配分については、小型の研究、若手研究者を重視し、配分の適否を審査する仕組みを導入することが必要である。人文・社会科学領域においても競争的資金が活用できる措置を検討すべきである、というような重要な提言が並び、施設整備、人材育成、ポスドク制度や任期付任用制度の再設計、科学研究費補助金等への人件費組み入れ等について考慮しつつ、科学技術者育成・活用に関するグランドデザインを策定する必要がある、と述べています。これらの提言は、特に博士課程に入学して学問の道で職を得ようとする方々にとりわけ重要なことであります。

 さて、その博士課程での研究課題ですが、京都大学で行われている研究のどの分野を見ても、私たちは実に面白いと感じます。それぞれの研究室で行われている研究の内容を聞くと、皆さんが目を輝かせながらその面白いと思うところを話してくれます。京都大学にいて、そのような研究の現場にいることの幸せを感じずにはいられません。

サロントークの様子

 最近の私の経験ですが、赤松 明彦先生の楼蘭のミイラと古代インドという話を聞きました。これは時計台記念館で開催されたサロントークでのことです。副題に、インド学の最前線、とありました。研究の課題はいろいろありますが、私が興味を持ったのは、楼蘭のミイラは何語を話したか、という問いの設定でした。岩波文庫にあるヘディンの『さまよえる湖』には楼蘭のミイラの表情のことが出てきます。それには「力強い形の鼻で、自信にあふれた穏やかな微笑を浮かべた面差しは、高貴で品位のある印象を与えた」という風に書いてあります。楼蘭の美女と呼ばれるこの女性は、微笑を浮かべながら、どのような言葉を話したのでしょうか。

 赤松先生は、インド古典学研究室の教授で、この研究分野の役割は、「過去のサンスクリット学の研究成果を継承しつつ、古代インドの言語、文学、哲学、宗教、文化史等の研究を行い、その成果を発展させつつ、次世代に引き継ぐことにある」とのことです。

 赤松先生の話にある楼蘭王国は、タクラマカン砂漠の東端に消えた王国です。砂漠には、そこに展開された歴史、古代都市と交易路、諸民族の文化の変容、砂漠の真ん中で今行われている壮大な科学技術実験、あるいは砂漠の生い立ちにかかわる大規模な活断層運動、砂漠の気候と水の収支、炭酸ガスの吸収を目的とする砂漠緑化のプロジェクトなど、実に多様な研究のネットワークが静かに展開されています。

 宇治のキャンパスにある京都大学生存圏研究所は、国立大学法人となって、京都大学が独自に判断して設立した初めての研究所です。木質科学研究所と宙空電波科学研究センターを統合し、再編して発足した研究所です。ここでは、人類の生存に必要な領域と空間を「生存圏」と呼び、その生存圏の診断をして現状と将来を把握し、さらにその治療と修復を行うという壮大な目的を持っています。

 地球大気、木質遺伝子、木材などの研究から、環境を保全しつつ持続的に木質資源を活用するシステムを構築したいという目標があります。

 宇宙太陽発電所、木質バイオマスの研究で、再生産可能なエネルギー変換利用による持続的な社会の構築をめざすという目標があります。生物資源の中でも再生産可能かつ生産量の多い木質資源に関する研究を発展させる研究を行います。また、宇宙空間を人類の新たな生活圏に拡大していく研究があります。

 バイオマスという言葉は、生物資源という意味なのですが、それでもちょっとわかりにくい、聞きなれない言葉かもしれません。例えば、焚き火に使う薪などの木材資源がバイオマスです。天然ゴムやオリーブオイルなどもバイオマスです。要するに昔はエネルギー資源としては、木や草などのバイオマスしかなかったのですが、石炭、石油、天然ガスの発見から文明が発達し、バイオマスエネルギーは利用されなくなってきました。

 地下資源は枯渇しますが、日本は本来、森林という豊かなバイオマス資源を持っています。地球温暖化を防止するためには、炭酸ガスを固定し、砂漠の緑化を進め、海洋技術を進めるなど、幅広い分野での努力が必要であると思います。京都議定書の議論でも、炭酸ガス排出量の削減に重点が置かれる傾向がありますが、その吸収と固定の問題も同時に議論しなければならないでしょう。

 一方で、すでに持っている技術を使って、風力発電、太陽光発電など、自然エネルギーによる電力を電力会社が買い入れる制度のできた国もあります。ドイツでは太陽光発電のブームで、日本のシャープや、京都の京セラなどのメーカーがヨーロッパでの販売に力を入れています。

会場の様子

 京都大学には、生存圏研究所の他にも、研究の目的に環境という言葉を含む多くの組織があります。例えば、研究のための地球環境学堂と教育のための地球環境学舎を置き、研究と教育を支援する三才学林という組織を置いた大学院があります。ここでは、地球環境学の推進のために、厳密に見ると異なる活動であるところの教育と研究を、組織を工夫して効率よく行います。そして「天地人」三才の調和こそが、地球環境を維持する指針になるとの考えから、支援組織が三才学林と名付けられました。

 また、人間・環境学研究科という大学院や生態学研究センターやフィールド科学教育研究センターという研究施設があります。

 京都大学フィールド科学教育研究センターでは、全日空と環境教育で提携して、植林活動やエコツアーを計画しています。センターの持つ研究林などは自主企画で市民にも開放してきましたが、新しい企画では全日空からの支援を得て、海外でのウミガメ保護研究などへの貢献も視野において、京都大学と企業とが組織的に連携した環境保全活動を初めて実現するものです。また、このセンターでは、企業との連携により、耐火性や耐震性に優れた木造建築を都市に導入することを目標とするなど、森里海連環学の創生に取り組んでいます。

 一方で、地球を荒廃させる大きな原因の一つに戦争があります。戦争は地球の荒廃を招くばかりでなく、人の心までも激しく破壊します。大学は、地球環境の問題を単に自然科学の面から考えるのではなく、人類がたどってきた歴史を見つめ、ひとの心の問題を捉えながら、総合的に考えていかなければなりません。これからの世界では、多様に分化してきた学問の諸分野を総合し、融合して次の段階へと進めていくことが期待されています。総合大学の利点を活かして、大いに分野間の連携、大学と社会との連携、大学と市民との情報の共有による連携など、20世紀までにはなかった手法や形態による学問の進め方も考えていただきたいと思います。

 大学院で、みなさんは新しい課題を見つけて学習し、研究成果をあげるということを、当然の目標とします。その中で、広い視野を持ち、社会の現実を見つめながら、国際的に活躍する人材であることを、常に心がけてほしいと思います。京都大学での皆さんの学習と研究が、やがて大きく実り、歴史に残る成果につながることを祈って、あるいは、皆さんが世界を舞台として活躍される人材となることを祈って、私のお祝いの言葉といたします。

 入学おめでとうございます。