京都大学附置研究所・センターシンポジウム「京都からの提言」 挨拶 (2008年3月8日)

尾池 和夫

「21世紀の日本を考える」と題して、第3回目のシンポジウムの開催にあたり、少し長めにご挨拶させていただきます。

京都大学は、創立から今年111年目になります。その歴史の中で、着実に研究活動を行って知を蓄積し、知の継承と創造的精神の涵養を旨とする教育を行い、医療や産学連携を通して社会貢献の役割を果たしてきました。

自由の学風を大切にしつつ、哲学や社会科学に、科学の理論に、実験に、またフィールドワークから得た情報の蓄積に、学術の多様な面に渡って広い視野を持つ大学として発展し、世界の人類の福祉に貢献してきました。

例えば、総長としての私の最近の行動を、そういう視点から紹介してみたいと思います。京都大学の特長はいろいろありますが、まず、深い知の蓄積に基づく、広い視野を持っているということが言えます。

2月22日に新潟県の柏崎刈羽原子力発電所で、敷地の状況や、4号炉の底まで入って、原子炉本体やタービンの羽の点検の様子を見てきました。本震の揺れを記録した地震計の設置場所も確認し、あれだけ大揺れになっても原子炉の本体はいかによく耐えているかとういことを目で見ることができました。建屋の中に電力を供給する変圧器が火災を起こした場所でも、今は変圧器が撤去してあって、支持していた台の下の杭を切って、強震動の影響で傷んでいないことが目で確かめられるようになっていました。

そのときに思ったのは、実際の激しい揺れになぜきちんと対応できたのかを明確に説明して、このような日本のすばらしい耐震技術を、世界の原子炉に活かすことが大切だと思いました。柏崎刈羽原子力発電所の向かいに、現実に日本海の西の岸に沿って、韓国の原子力発電所があり、その近くには活断層があることが確認されています。

柏崎刈羽原子力発電所から帰る途中、23日には、歌舞伎座に行き、途中の休憩で竹葉亭の鰻を食べに行きました。1934年11月17日に、数学物理学会で湯川秀樹さんが「核力の中間子論」を発表したのですが、湯川博士はその前日、歌舞伎座に行き、鰻を食べたと日記にあるので、自分でその行動を体験してみたかったからであります。湯川博士の日記の一部が公表されて、その行動がたどれるようになったのを機会に、研究者が精神的に豊かな生活を送ることの重要性を、学生たちにも伝えたかったのです。

先週、私は屋久島に行きました。屋久島に川村俊蔵さんと伊谷純一郎さんが上陸したのは、1952年6月22日でした。そのときから京都大学の屋久島での調査研究が始まりました。屋久島で私も自然を守ることの重要性を考えました。訪れたある場所で、世界自然遺産の分布を表す世界地図が大きく描かれていましたが、その地図には、なぜか南極大陸がありませんでした。南極大陸はこれからの地球を考えるときに、決して忘れてはならない大陸です。地球全体のことを見ながら、地球の将来を考えることが大切だと、そのときあらためて考えました。京都大学の資料の世界地図には南極大陸を忘れないようにと、機会をとらえては話しています。

京都大学のフィールドワークの拠点は、日本列島の各所に、あるいは世界の各地に置かれていて、毎日たくさんの学生や研究者が活動しています。屋久島に私が行ったとき、屋久島の、小さいですが充実した研究の拠点には全国から来た8人の研究者と学生が滞在して活動していました。

一昨日の朝食会で、地球を考える有識者の会に出席しました。私たちは太陽起源のエネルギーと地球起源のエネルギーを使っています。その会議で、日本には資源が乏しいという発言があり、私は意見を述べました。地球はさまざまの仕組みでエネルギーを放出しています。地震として放出するエネルギーの1割は日本列島から出ています。火山の噴火でも日本列島では大きなエネルギーを放出しています。常時の熱流もあります。その上に人が掘り出して使うエネルギーがあり、そのどれもを日本列島は豊富に持っています。ただ、人が制御できる技術を身につけて実用化して、経済活動に乗ったものだけで地球の未来を考えてはいけないという、私の意見を述べました。

そもそもこの第四紀後期には、プレート運動によってたまたま大陸が北半球の中緯度に集まったために、氷期と間氷期が生じて、海面が100m以上の上下変動をしています。京都大学のある京都の盆地まで、海がやってきたこともあり、紀伊水道の沖まで海岸が遠のいたこともあります。そういう変動の中で、この100年に20センチほど海面が上がってきたのです。

一昨日の夜は、ある会合で、総合大学の元総長とお話ししました。その方は狭心症で冠動脈のバイパス手術を受けられたことがあります。私は急性心筋梗塞で入院して一命をなんとか取り留めましたが、心筋が30パーセントほど壊死しています。それから何年になるかとその方が聞かれたので、もうすぐ10年になりますと答えたら、その方が、「そんなに生きられるのならいいねえ」と言われました。「私はやはり質の高い生活を送るためには、自分の皮膚から育てた心筋を補ってもらう方がいい」というような会話をするほど、再生医療が身近なものになってきたと思いました。

そして今日のシンポジウムです。ここにご紹介するような研究が、京都大学で行われている研究活動のほんの一部です。もう一つたいへん重要なことは、このような研究が私利私欲と無縁の、利権と無縁の研究者たちの高貴な精神の基で行われているということであります。

本日は、たいへん多数の方に参加していただきました。お申し込みをいただきながら、会場の都合でお断りした多数の方々にお詫びして私の開会の挨拶といたします。
ありがとうございました。

(当日の挨拶を少し補ってまとめました。)

トピックス 第3回 京都大学附置研究所・センター主催シンポジウムを開催