日独文化研究所創立50周年記念 祝辞 (2006年11月24日)

尾池 和夫

尾池総長

日独文化研究所の創立50周年、まことにおめでとうございます。

川端通りを歩くと、年に3回のドイツ語、ドイツ文学講座が開かれている様子が毎年目に入ります。今年の秋のドイツ語初級コースは、ヨリッセン・エンゲルベルト京都大学教授と石川 光庸(いしかわ みつのぶ)京都大学名誉教授の講座です。

また、毎年秋の「公開シンポジウム」では、13年にわたって連続テーマ「自然」「生命」「歴史」を取り上げてこられましたが、今年は連続テーマ「時間」の第1回です。

1933年、文相 鳩山  一郎氏によって京都にドイツ文化研究所を設立してからの歴史を、岡本 道雄先生から以前うかがって、その長い歴史の重みを胸に刻み込んだのですが、1945年、第二次大戦の日独敗戦と共にドイツ文化研究所が消滅し、1955年9月に、京都大学医学部より第14回日本医学会総会の余剰金の寄付を受けて、財団法人日独文化研究所設立準備が行われ、1956年3月に、財団法人日独文化研究所が設立され、関西財界とくに山岡 孫吉(やまおか まごきち)氏の援助で、京都市左京区吉田牛ノ宮四番地に研究所設立という歴史を、感銘深くうかがいました。

人文科学研究所所報「人文」第四六号(1999年11月18日発行)に、「日独文化会館のころ」という題で、加藤 秀俊教授が思い出を書いておられます。「わたしが人文の助手として採用されたのは一九五三年のことだったが、当時、日本部と西洋部は東一条の旧日独文化会館のなかに所在していた。木造二階建てで設計はなかなかしゃれていたけれども、造作がわるくて床はギシギシしていた。そのうえ、終戦直後からしばらくアメリカ占領軍に接収されていたものだから、二階の会議室の壁面には、なにやら派手なペンキぬりの絵がのこっていたように記憶する」また、「大部屋あり、小部屋あり、そしてちいさなくせに廊下などが入りくんでいたから、まことに複雑でおもしろかった」とあり、その頃の建物の様子がよくわかります。私もそのころ、よく前を通って、その外観を記憶しています。

 岡本道雄 先生

昨年から今年は、「日本におけるドイツ年」でした。1年以上にわたり日本でドイツの紹介が行われました。最終的には1600件以上の行事が行われたそうで、「ドイツへの日本の関心がこれほど高いとは、だれも予測していませんでした。」という率直な感想が、ドイツ国の担当者から述べられたのが印象的でした。

私自身が関心を持ったいくつかの行事がありました。まず、「ドイツ写真の現在―かわりゆく『現実』と向かいあうために」という展覧会が京都国立近代美術館で1月に開催されました。

また、1月には、反ナチスを掲げたグループの一つ「白バラ」の活動が、「白バラ―ヒトラーに抗した学生たち―1942/43」というタイトルで紹介される行事が、奈良女子大学でありました。

欧州宇宙機関の惑星探査機マーズ・エクスプレスから撮影した火星の写真を展示する特別展「火星の素顔―Mars Expressがとらえた3次元画像」が、ドイツ航空宇宙研究所主催で、京都大学総合博物館で開催されました。そのときの写真が一枚今でも京都大学の役員会議室に飾ってあります。

水の痕跡、火山、氷の痕跡、高さ2万4千メートルの火山「オリンポス山」、長さ1500キロにわたって流れていた川の跡が残る「レウル谷」などが、巨大なパネルで展示されました。

私はこの展覧会開催の挨拶の中でも、日独文化研究所と京都大学の深いご縁の歴史を話しました。京都大学は、1984年のベルリン自由大学との学術交流協定締結以来、ミュンヘン大学、ボン大学、ハイデルベルク大学、フンボルト大学の各大学と大学間交流協定に基づいて、活発な教育と研究の交流を行っております。

会場の様子

また、ドイツは環境問題に関する先進国だと私は思っています。特別企画「ドイツ環境保全展-持続可能な暮らしと社会」(企画・ドイツ連邦環境省など)など、さまざまの行事がありました。

2006年7月のサッカーワールドカップドイツ大会では、世界中の人々が大会の公式スローガン「世界よ来たれ、友のもとへ」を実践する大会となったと言われますが、日本が2006年ドイツ大会で残した成績は、残念ながら得点1、勝ち点1で、グループ最下位で大会を終えました。

このように今年もさまざまのことがありました。川端通りを通るたびに、日本とドイツの友好交流の歴史、現在、未来を考えることができます。

最後になりましたが、岡本 道雄先生は、80歳代で哲学を学び、90歳で、Carl Friedrich von Weizsaecker著の"Wohin gehen wir?"(われわれはどこへ行くのか?)を読むと言っておられます。私たち後輩は先生のその知的活動を大いに見習わなければと思います。岡本先生のご健勝と日独文化研究所の今後のますまずのご発展をお祈りしつつ、私のお祝いの言葉とさせていただきます。

ありがとうございました。