平成14年4月8日 大学院入学式式辞

平成14年4月8日

 本日、京都大学大学院に入学された2,445名の皆さん、おめでとうございます。ご列席の各研究科長とともに皆さんの入学を心からお喜びいたします。これから皆さんは修士課程2年間、あるいは博士課程5年間を京都大学で過ごすことになりますが、それが充実したものとなるよう期待しております。

  京都大学には約3,000人の教官がいて、それぞれの分野で世界的なレベルでの研究をしています。京都大学はそういった意味で研究中心の大学、大学院重点化大学であります。大学院でも教室での講義はいろいろとあり、学問の最先端を教えますが、さらに大切なのはセミナーや実験室において教官とともに研究をし、議論を深める事であり、これによって学問における最も大切なことを学びます。それは、どういったことに対して疑問を持ち問題設定をするか、どういった観点からそれを分析し解決にもってゆくか、といった学問の仕方であります。

  そこでは皆さんも教官と対等の立場に立って物事を考え、アイディアを戦わせることが必要であります。教官あるいは先輩に対する礼儀を守るという事は当然ですが、それと自分の意見を述べ、相手に理解してもらうこととは全く別のことであります。一般的にいって京都大学の学生はおとなしく、遠慮がちで、自分の意見を明確に表現するということにおいては、東京や大阪の学生に比べてかなりの差があります。自分の考えている事をいかにうまく表現し、相手に理解してもらうかということは、皆さんのこれからの人生において非常に大切なことであります。

  皆さんが京都大学大学院に入学したということは、他から与えられた研究テーマを義務的にするのでなく、自分が興味をもち解明したいという研究課題を持っているはずであります。その課題はどういった内容のものであり、その課題の解決がどのような学問的寄与をする可能性があるか、それをどのように解決しようと考えているかといったことを、他の人達に分かりやすく説明することが出来ねばなりません。物事を分かりやすく説明するためには、それをいろんな角度からながめて、なすべきこと、取るべき方法などを考え、自分としてその課題に取り組む確信を得ることが前提となります。そのためには出来るだけ多くの人に説明し、理解してもらい、また批判してもらうことによって、自分の考え方が客観的に耐えうるものであること、そして自分の課題の解決が他の人達の研究に対しても貢献するものとなることを確信できるのであります。

   いずれにしても、大学院に入れば自分の専門分野の学問の最先端がどこまで行っていて、どのようなことが研究の課題となっているかを国内だけでなく世界のレベルで知らねばなりません。特に世界の最先端の研究グループがどこにあって、どのような考え方で研究を推進しているかを知ることが必要で、そのためにはそのグループのところに出かけて行って、その中心人物に会って議論することが必要です。そうすればその人の人柄、物の考え方が分り、研究をどのような方向に展開してゆこうとしているかが分り、自分の考え方がどのように違っていて独創的であるかといったことも分ってくるのであります。したがって皆さんはあらゆる機会をとらえて外部、特に外国に出かけて行って研究者に会い、相手を理解すると共に、自分の研究を知らせ、また議論をする必要があります。

   新しい文明は異なった文明間の衝突によって作られて来ていることは歴史を見れば明らかでありますが、同様なことは創造についても言えるでしょう。異なった考え方のぶつかり合い、異なった学問分野の考え方や手法の導入、異なった学問分野の統合などによって革新的な考え方が生まれ、新しい学問分野が展開されてゆきます。人類学、言語学、心理学などの統合的立場からのC.レヴィ.ストロースの構造主義は有名ですが、近代経済学は高度な数学的手法の導入によって発展して来ていますし、最近では地球温暖化現象と国際経済の関係や、生命科学と情報科学との結合による生命情報学という分野が発展しつつあるなど、枚挙にいとまがありません。

  実務に近い分野ではそういったことがもっと激しく生じております。今日、情報・ソフトウェア技術や生命原理などが分からずに特許紛争や医療関係の訴訟は扱えないようになって来ております。したがってこれからの裁判官、弁護士などは自然科学や医学、その他多くの学問が分からねば仕事ができないようになるでしょう。

   こういったことからも分かるように、これからの学問研究をしてゆこうとする皆さん、あるいはまた高度専門職業人として社会に出て活躍しようとしている皆さんは、自分の狭い専門分野にとじこもっていてはだめなのであり、広く関連分野の勉強をしながら、自分の専門分野に新しい角度から鋭いメスを入れるということが出来ねばならないのであります。そしてグローバル化された世界に出て行って自分の研究成果を説明し、相手に対してチャレンジすることが大切であります。いわゆる他流試合をする勇気を持つことであります。

 新しい知識を作り出してゆくには、広くいろんな知識を動員して種々の組み合わせを考え、推論をすることが必要になるのですが、現在分かっている知識から演繹的に推論できる範囲の新しい知識はいわば常識的な進歩の部類に入るものであり、それを越える全く新しい物事、ブレークスルーをもたらす真の創造的なアイディア・研究は偶然生み出されることが多いのであります。学問芸術の女神ミューズの微笑みが必要というわけであります。

  しかし、それは全くの偶然、何もなしの偶然ではありません。あらゆる知識を動員し、推論しつくした先で、なおかつ現実や実験結果との差異を直視し、深く考えるという行為がまず必要であるわけであります。ほとんどの人はそのあたりであきらめてしまうのですが、そうでなく壁にぶつかっても考え続けていると、ある時偶然にミューズが微笑んでくれ、大発見や予見されなかった新しいものの創造につながるということがあるのであります。ノーベル賞をはじめ偉大な賞をもらった多くの人は何年、何十年にわたるねばり強い努力によってミューズの微笑みを呼び込んだのであります。そういう人の場合は、研究を義務としてやるとか、自分の生計をたてる手段としてやっているといったことでなく、自分の人生をかけているのであります。皆さんも大学院でそういった自分の人生をかけられる研究テーマを発見していただきたく思います。

   もう一つは、皆が常識だと思っていること、分かっていることから演繹される当然の結論といったことにも疑いを抱くということです。そこから全く新しい世界が開けてくる場合もあるからであります。ある結論も少し違った条件や環境におけば反対の結論になることがあるからであります。特に人文社会系の多くの問題はそういった性質をもっている可能性があるのであります。

   さらに、ある目的に向って研究を進めている中で、脇道に面白い副次的な課題が見つかって、そちらにのめり込んで行って大きな成果をあげたりすることがあります。serendipityと呼ばれていることで、そのような副次的課題にのめり込んで行く人はよいのですが、自分の最終目的とは違っているのでしばしば見過ごしてしまいがちです。しかし、実は最終目的はいつまでも到達できずに、serendipityによる幾つもの成果が社会で高く評価されるということもあるのです。これもミューズの微笑みの一種でしょう。そこが研究の面白いところでもあります。

   いずれにしても、学問研究は客観的で多くの人が理解できる普遍性を持つことが必要でありますが、研究そのものは研究者の主観、直感と学問芸術の女神ミューズの微笑みの助けによるといった、ある意味で矛盾した要素をもっている、非常に奥の深いものであります。

   皆さんの努力と成功を期待いたします。