平成14年4月8日 学部入学式式辞 

平成14年4月8日

 本日京都大学に入学された2,895名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご列席の元総長岡本先生、沢田先生、西島先生、井村先生、名誉教授の方々、各学部長とともに皆さんの京都大学入学を心からお喜びいたします。

 

1. 学問をすること

 皆さん既にご存知の通り、京都大学は日本における最高の学問研究の場であり、数多くの世界的な学者・研究者を擁しております。このような先生方の指導の下に皆さんはこれからの4年間勉強することになるのです。これまで皆さんは、いわば標準的メニューで、栄養たっぷりでほとんど噛まなくても消化する食事といった形の教育を受けて来ました。しかしこれからはそうではありません。皆に一様に与えられる標準的なメニューというものはなく、それぞれが自分で自分のメニューを作り、自分で料理をしたり、噛めないほど固い物を何度も噛んで食べるといったことをしなければなりません。

 「学問に王道なし」であります。人類の英知の結晶である学問が、ぼんやりと聞いていて理解できるものでは到底ありません。京都大学の学問研究は求める者にはあまねく開かれています。学問をしようとする者に対しては先生方は真剣に対応し、そこに先生の全人格が投入されるのであります。「求めよ。さらば開かれん」であります。

 したがって、皆さんは就職するために通過する単なる1つのステップとして京都大学に入学したとするならば、その考え方は今ここで捨てていただかねばなりません。皆さんは知にあこがれ、学問をしようと決心して京都大学に入学して来たのであり、自らすすんで学問を求めてゆかねばなりません。その覚悟をこの入学式においてはっきりと持ち、これを4年間持続していただきたいのであります。

 それでは学問とはいったい何なのでしょうか。これまで皆さんが学んで来た事とどう違っているのでしょうか。その根本的な違いを皆さんは知らねばなりません。これまでは皆さんは標準的な教科書によって知識を学んで来ました。それらは全て正しい事であり、無批判的に安心して学習して来たわけであります。これに対して、大学で学ぶ学問は、知識がどのような体系をなしているかを学ぶとともに、何が正しいことであるか、こういった事が起るのはなぜなのか、といった疑問を発することによって、物事の根本にある事柄を明らかにし、複雑な事象をこのようなより基本的な事柄の相互関係によって説明します。学問は知識を体系化し物事を論理的に推論する方法を教えてくれるのであり、未知の事柄に対しても学問的知識と推論の力で深く考えることによって、その事柄の成り立ち、原因などを明らかにすることが出来るのであります。

 皆さんは、大学を出て社会に入って行けば、種々の難しい解決困難な問題に遭遇しますが、そういった問題に解決を与えてくれるのは皆さんが大学生の間に学んだ学問であり、そこで鍛えた思考力であり、またそこで形成した皆さんの教養と人柄であります。皆さんの長い人生の基礎は、この学生時代に築かれるということをよく自覚していただきたいのであります。

 

2. 迷いを克服すること

 皆さんの中には、将来何をしたいとか何になりたいといった明確な目標を持って入学した人達がいるでしょう。そういう人たちが多くいる事を望みますが、皆さんの中には、ある学部へ入ったけれども、将来こういう仕事をしたい、こういう人になりたいといったことを明確に意識していない人も多いのではないかと思います。大学を卒業したらどのような職業につくのか、あるいは大学院へ進学してさらに勉強しようとするのかといったことは、これから3年先には決めなければなりません。しかしそれは簡単ではありません。自分が何に適しているか、将来何をするのがよいかを自分自身で判断するのは非常に難しいことであります。しかし結局は自分が決めねばならないわけであり、自分の人生は自分しか責任を取れないのであります。

 皆さんはこういった状況の中で大いに迷うでしょう。将来何になるか分らねば何を勉強したらよいかが分らないということにもなりかねません。しかし、迷うのは自分だけではありません。ほとんどの人が迷うのですし、迷わない方がおかしいと言ってよいかもしれません。大いに迷えばよいのです。ただ、迷って何もしないというのがいけないのです。自分の迷いを解決するためになすべきことがあるはずです。自分の置かれている状況をよく考え、いろんな可能性を検討することが必要です。そうすれば自然に自分のとるべき方向が見えてくるでしょう。その検討のためにも社会を知り、自分を知ることが必要で、そのためには勉強をしなければなりません。

 皆さんの前途にはあまりにも多くの可能性が開かれていますから、自分の将来にとって何が良いか、それを判断するための材料とそのをどこに求めるかといったことについて迷うのです。自分は絶対にこれだという確信に到る人は稀であり、そういう人は幸運であります。世の中が自分の予想通り、また思い通りにならないのは当然であり、多くの人は偶然や運に左右されながら人生を過してゆくのです。しかし一方では、憧れや理想を持ち、努力をしつづければ、長い人生の間にはその目標を達成できるということも多くの場合事実なのであります。その時々には運命に左右されるように見えても、自分の目的や憧れを放棄せず、常に努力をすることによって、それを実現したという人達は沢山おられます。“Boys be ambitious”であります。憧れを抱くだけではなく、それを実現するにはどうすればよいかを考え、常に着実に努力することが必要であります。

 

3. 人間として守るべきこと

 人生には迷うことが多いと言いましたが、誰もが迷わずに実践すべきことがあります。それは人間として間違いのない生き方をするということであります。人としての道徳を守り、正しい生き方をする不断の努力が全ての人に求められているのであります。

 民主主義は、今日これ以上に危険性の少ない制度がないという意味で、世界における普遍的な原理と考えられるようになって来ておりますが、これを自由主義、特に何の制約もない単純な無限の自由という権利を持つこととしばしば誤解されます。今日の社会では権利の主張があまりにも多すぎるきらいがあります。権利には常にそれに伴うものとして義務があります。自分の権利を主張するということは、自分だけでなく全ての他人も主張することですから、自分の権利を守るということは他人の権利をも守るということであることは当然であり、そこに他人に対する義務という考え方が生じるのであります。これは民主主義の一つの大切な概念であります。

 京都大学の我々の先輩であり元日本弁護士連合会会長の中坊公平氏は、権利という語は英語のrightの訳語であり、rightには本来的に正義という意味があるのであるから、権利の利は利益の利という文字でなく、道理の理という文字を用いるべきであると言っておられます。つまり権利は道理や正義につらなってゆくというわけであります。

 ここで、皆さんに特に認識していただきたいことがあります。それは権利の中でも特に大切な人権ということであります。自分の権利を守ることは他人の権利をも守ることであると言いましたが、これが人権の根本的な考え方であります。これは人間である以上だれもが守らねばならないことですが、とりわけ学問をする大学においてはこの人権を尊重し、よく守るべきことは当然であります。ところが京都大学において時々差別落書などの問題が起きているという事実があるのであります。これは許すことのできない事であり、新入生の皆さんにも十分な認識を持っていただく必要があり、人権と差別問題について少しお話をいたします。

 

4.人権(差別)問題の認識と解決に向けて

 今日、民主主義が定着したと考えられている日本においても、人権問題が色々残っています。児童問題、高齢者問題、同和問題、障害者問題、女性問題、人種・民族問題、環境問題などです。このような人権問題の中でも、部落差別、障害者差別、女性差別、人種・民族差別など、いわゆる差別問題と呼ばれている問題の解決には、人間一人ひとりの尊厳と固有の価値をお互いに認め合うことが必要であります。「人は皆同じだから平等」というのではなく、「人は皆違うからこそ平等でなければならない」という根本認識を持たねば、こういった問題はなかなか解決しません。

 京都大学は、昨年12月、創立以来築いてきた自由の学風を継承し、発展させつつ、今日の多元的な課題の解決に挑戦して、地球社会の調和ある共存に貢献するため、「自由と調和」を基礎とする八つの基本理念を制定しました。そしてその中の一つとして「環境に配慮し、人権を尊重した運営を行うとともに、社会的な説明責任に応える」ことをうたっています。

 京都大学は、このような理念に基づき、以前からも真剣に取り組んで来た人権問題に、より積極的に取り組んで行こうと思っています。大学全体として人権尊重の視点に立った施策を策定・推進するために、同和・人権問題委員会と人権問題対策委員会を設けております。同和・人権問題委員会は同和・人権問題についての理解と認識を深めるため、教職員と学生を対象に研修会を開催したり、啓発冊子を作成・配布したりしていますし、人権問題対策委員会は学内における具体的な人権問題、セクシャルハラスメント等に対処するため、行動計画を立てるとともに、相談活動を行っています。また各学部等においても、人権に関する相談窓口を設け、誰でも問題があれば訴え、相談することが出来るようにしております。さらに、将来、社会の第一線で活躍することになるであろう学生諸君に人権尊重の精神を涵養するため、人権に関する講義を全学共通科目や教職科目、専門科目で開講しています。

 政府においても、これまで人権問題について幾つもの法律を作るとともに、国際連合の人権関係条約の締結を行い、この問題の解決に努力してきました。今国会においては、人権救済機関の創設を柱とした「人権擁護法」を成立させ、不当な差別などについては法的措置を取ることが出来るようにしようとしています。

 新入生の皆さんには入学に際して幾つかの学習の手引きの他に、人権問題に関するパンフレット「自由で平等な社会をつくるために」を渡していますから、これをよく読み、人権についての認識を深め、人権意識の向上に努めていただくとともに、差別的言動や落書など、許しがたい人権侵害行為に対しては黙認せず、毅然とした態度で立ち向かっていただきたいと思います。

 

5. 自分の足元を見ること

 学問は抽象的な世界であるとともに、それは現実世界に足をおろしたものでなければなりません。我々は学問の高みを見上げながら努力するとともに、そこに登ってゆくために一歩一歩踏みしめる足元をよく眺めなければなりません。京都大学に入学した皆さんは将来の日本を支えてゆく、いわばエリートの卵であり、上へ上へと登ってゆく意識を持っているでしょう。それは大変よいことでありますが、上昇志向で目線を上に向ければ向けるほど、同時にまた目線を下に向け自分の足元を見なければなりません。学問をする人間は人権問題など社会の基底に沈澱し堆積している多くの人間的・社会的問題に対して、理性による理解はもちろんのこと、それを越えて心の底から理解をするということが大切なのであります。我々が生まれ育って来た社会的な土壌をよく理解するということがなければ、栄養を汲み上げて高く成長することが出来ないのであります。

 現代の我々はあまりにも西欧化された文明世界に住んでいるためか、我々の祖先がどのような精神的伝統をもっていたかとか、もっと目線を下げて昔の人達はどのような生活をしていたのか、といったことをほとんど全くといってよいほど知りません。日本の日常社会、庶民の生活に目線を向け、日本の民俗学を確立したのは柳田国男でありました。しかし日本全国を隈なく旅し、庶民とともに生き、庶民の最も底辺の生活に目線を向けたのは宮本常一でありました。宮本常一の書いたものからは、庶民一人ひとりを大切にし、それらの人達を愛し、友とする気持がよく伝わって来ます。宮本は、たった50年100年前の日本の田舎において、日本人はいかにおおらかな気持を持ち、相互扶助の社会を形成していたかをよく画いておりますし、また一方ではそのような社会に根強く残っている差別問題についても目をそらさない人でありました。

 

6. これからの時代を生きてゆくために

 皆さんもご存知の通り、今日の日本は経済の不況の真っただ中にあり、これからの日本経済を強くしてゆくための、いわゆる構造改革といったメスが鋭く入れられている結果、多くの企業の倒産と大量の失業が生じるなど、日本社会は戦後50年を経て大きな混乱の中にあり、歴史的転換点にあります。

 戦後、日本の産業は急速に発展し、社会は豊かになり、いくつかの企業は世界的な規模のものとなりました。しかし、日本人一人ひとりを見るとけっして国際的に通用する人間とはなっておりません。すなわち、一人ひとりの人がいまだに自立した個人となっていず、色濃い集団主義の中に安住しています。日本人は自分の属す集団の一員としてしか行動しないし、また他人を個人として見るのでなくその背後にある集団の中の人として見る傾向がなくなっておりません。個人が確立していないわけであります。人間は本質的に社会的なものであり、集団に属し、集団の目的に向って努力することは当然ではありますが、それは常に個人としての判断の下にそうすべきであって、集団としての考え方、集団としての行動に単純に追従するということであってはならないでしょう。

 この日本人の個人の持つ性格とほとんど全く同じことが日本の企業の行動についても言えるのであります。企業の責任者がそれぞれ企業倫理を守り、それぞれが企業責任を自覚してまじめに努力することをせず、あまい判断で護送船団方式の中に安住し、国にもたれかかって来た結果が今日の日本経済の混迷を招き、不況からなかなか脱出できないでいる根本的理由ではないでしょうか。これからの厳しい国際的競争世界の中で、日本が、また日本の企業がしっかりと生き活躍してゆけるようにする原動力は、その構成員である個人の人格と識見にあるのであります。したがって大学の役割は、そういった使命感をはっきりと持ち、その活動の中心となり、またこれを先導してゆくことのできる人達を育成するところにあるのであります。

 

7.京都大学で学ぶこと

 京都大学はそういった将来の日本を支える人材を育成しようとしているのであります。京都大学は学問の自由を標榜し、個人を最大限尊重する学風をもった大学であります。皆さんは京都大学において自由に勉強することができます。学生一人ひとりの人格・人権を尊重しております。しかしそれはとりもなおさず、自分の責任は自分がとるという責任感をもった個人を作ることを意味するのであります。皆さんは京都大学における学問の自由を、何でも無際限に許されていることと考えてはなりません。先ほどから言っていますように、人間や社会を抜きにした学問はありえず、人間として守るべき基本的なこと、即ち他人の人権を尊重するということを抜きにした学問ということはありえません。

 これからの難しい国際社会の中で、日本という国家、あるいは皆さんが将来入る企業、また皆さん個人がしっかりとした地位を占めながら、世界の平和的共存に貢献してゆくためには、それぞれが世界的な視野を持ち、世界の誰とでも対等に意見をたたかわせることができるだけの識見とコミュニケーション能力を持つことが必要であります。そのためには十分な教養を積み、外国語能力を高め、さらに皆さんの専門分野の知識を十分に習得し、自分の物の考え方を確立することが必要であります。

 京都は1200年の古都であり、日本の伝統・精神文化の中心であります。皆さんは世界に普遍的な学問を学ぶとともに、日本人としてのアイデンティティを身につけ、これからの多様化し多元的価値の共存する世界において、日本人としての良さを発揮していただくことが大切なことであります。京都大学の卒業生から5人のノーベル賞学者や、借り物でない自分の学問を打ち立てた多くの学者が出たというのも、京都という精神的・文化的土壌からの栄養の汲み上げがあったからに違いありません。京都大学に学ぶということは、そういった点からも皆さんにとって最良の場であり、人生における最も大切な時であるわけであります。皆さんの京都大学での勉強、生活が実り豊かなものであることを期待して、お祝いの言葉といたします。