平成13年9月25日 博士学位授与式式辞

 本日、京都大学博士の学位を得られました課程博士75名、論文博士65名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご列席の各研究科長とともに、皆さんの京都大学博士の取得に対し心からおよろこび致します。

 さて皆さんもご存知の通り、京都大学総合博物館が去る6月1日に開館され、広く市民に公開されました。このような博物館が学生研究者だけでなく、社会人から子供たちまで、一般市民に利用され、気軽に貴重な資料を閲覧し、科学技術の楽しさに触れる場ができましたことは、学外学習、生涯学習が盛んになりつつある今日、非常に意義のあるものであります。

 この博物館は文部省学術審議会が1996年1月に出した答申、「ユニバーシティ・ミュージアムの設置について-学術標本の収集、保存・活用の在り方について-」に基づいて、1997年4月に教官9名(教授、助教授、助手各3名)と事務官5名で発足したもので、旧文学部博物館の建物のほかに、1999年に自然史系の建物部分の予算が認められてようやく全体の開館にこぎつけたものであります。

 この総合博物館の前身はかなり昔まで遡ることができます、京都帝国大学が創設されたのは1897年(明治30年)でありますが、その9年後の1906年に開設された文学部の前身である文科大学が美術品や考古学資料の収集を始め、その保管の必要から1914年には文科大学に陳列館が設けられました。これが戦後1955年に文学部博物館となり、1987年には東大路通りに面して建物が新築され、一般に公開されることになりました。これが現在の総合博物館の本館であります。

 一方、自然史資料についても、その整理・保存の必要性が出て来て、1986年から、主として理学部、農学部、当時の教養部が中心となって検討を始めました。そして1988年には自然史博物館基本計画を作りましたが、その後文学部博物館と統合した京都大学総合博物館構想となり、技術史分野も入れて今日の組織と建物が実現したのであります。

 大学博物館の第一義的な目的・使命は、その大学において行われて来た研究の過程で収集された標本・資料を保管・管理し、活用をはかると同時に、研究成果を展示公開することにあります。したがってその展示のあり方にその大学の性格が色濃く反映されるのは当然のことであります。京都大学総合博物館の常設展示の主テーマはフィールド・サイエンス、つまり野外研究でありますが、これは京都大学が探検大学といわれるほど野外研究がいろんな学問分野で行われ、大きな成果をあげているからであります。この博物館展示を見れば、京都大学が初期の頃から今日まで、種々の学問分野でフィールドワークを行い、いかに多くの輝かしい学問成果をあげ、世界をリードして来たかがよく分かります。京都大学総合博物館は、このように学問的に非常に充実した内容をもっており、全国初の本格的なユニバーシティ・ミュージアムと言ってよいでしょう。

 この博物館には、文化史系、自然史系および技術史系の3つの分野がもうけられており、資料の整理や展示についてもこのような立場から行われております。文化史系には、国宝1件、重要文化財4件を含み、旧石器時代からの出土品などの実物の考古資料だけでも30万点を越す厖大なコレクションをもっておりますし、古文書、古地図などの文献資料も多数もち、日本の考古学を常にリードして来ました。日本の歴史に影響を与えた中国や朝鮮半島についてもさまざまな時期の資料を菟集し、多くの研究成果をあげております。

 自然史系、技術史系にも多くの貴重な資料があります。特に自然史系の動物標本、植物標本、菌類標本は約200万点にものぼるもので、世界的にも有数の標本をもつ博物館と位置づけられます。この中には栽培小麦の起源を明らかにした木原均博士の収集した小麦関係の標本など、多くの輝かしい研究成果の基礎となった標本が含まれております。

 最近は世の中のスピードがあがり、博士課程学生の研究においても3年間に論文を何編発表しなければならないとか、一方教官の研究指導においても、博士課程3年を終わったら学位を与えられるようにしなければならないといった雰囲気がますます顕著であります。また教官の研究活動についても、過去5年間に何編の論文を国際的に評価のある雑誌に掲載したかを調べるといった業績評価が行われようとしており、全てにおいてあわただしい時代となって来ております。

 しかし、このようなスピードとは全く違った時間概念を持つ学問分野もいろいろとあるのであります。博物館の資料の収集と保存の仕事などは長年月をかけねばならない仕事であり、通常の研究とは違うものですが、なくてはならない活動であり、貴重なものであります。現在総合博物館には100万点をこえる植物標本がありますが、今日も新しい品種を発見するなどのことがあり、毎年数千点から一万点の植物標本をこつこつと作っているのであります。1点毎の資料の収集と保存は実に地味で、すぐには論文につながりませんが、こういった地味な仕事が長年にわたって積み重ねられてこそ学問の進歩があるのであります。これは総合博物館の地階収蔵庫の250万点の標本を前にすれば誰もがひしひしと感じることで、これこそ百年にわたる研究の歴史をもつ大学でなければ成しえないことであり、誇りとすべきことであります。

 標本資料の活用の仕方にもいろいろな場合があります。たとえば、戦前からの琵琶湖の魚の標本も沢山もっていますが、こんなものを沢山もっていてどうするのだろうかと思うかもしれません。しかし地球環境問題がクローズアップされて来ている今日、琵琶湖の水に含まれる微量有害物質がどのような経年変化で増加して来ているかを調べることは非常に大切なことであり、これは長年にわたって採集されて来た琵琶湖の魚の体内に含まれる微量物質を調べることによってかなり明らかになってくるわけであります。また、動物・植物・化石標本など、かつては形態の比較のために収集された標本も、含有するDNAの分析が可能となるに伴い、分類体系の再構築のため、またバイオテクノロジーの分野の研究のため、などの研究素材として、新しい存在価値が認識されはじめているのであります。

 このように学術標本は、図書館の図書資料と同じく、将来どのような目的に利用されるか全く予測ができないわけで、そうであるからこそ、価値判断を入れずに全てを網羅的に収集するということが必要となるのであります。今日ややもすると、その研究の目的は何かといったことを性急に求めがちでありますが、大いに反省すべきことと考えます。

 京都大学はこれまで百年の間に多くの研究成果をあげるとともに、こういった厖大な知的な財産を蓄積して来ました。このような学問研究の環境は一朝一夕で作れるものではなく、我々は先人の努力に感謝するとともに、またこれからの人達に対してよりよい知的資産、学問的環境を残してゆかねばなりません。今日博士の学位を得られた皆さんの業績も、これからの京都大学の学問的環境の一部を形成することになるわけであります。どうか京都大学博士であることに誇りを持ち、これからも学問世界や社会に対して貢献して行って下さるようお願いし、お祝いの詞といたします。