平成13年3月23日修士学位授与式

修士学位授与式における総長のことば

平成13年3月23日
総長 長尾 真

 21世紀最初の春に、修士の学位を得て社会に出ていく1,866人の皆さん、おめでとうございます。ご列席の名誉教授をはじめ、各研究科長、教職員とともに、皆さんの前途を祝福いたしたいと存じます。

 さて、皆さんは修士課程2年間の研究と論文の作成によって、学問とはどういうものであるかが、よく分かって来たと思います。学問には大きく分けて、対象を記述的に説明し明確化することを中心とした学問と、できるだけ一般的な法則をたてて、対象に対して論理的な説明を行い、さらにそこから新しい物事を推論することに中心をおいた学問とがあります。人文社会系の多くの学問は前者に属しております。これに対して、後者の代表的なものは理学・工学であり、これらにおいては、確立した一般的な法則を用いて、既存の物事や現象を説明するだけでなく、いまだ存在しない新しい物を創造し、未来に起こりうる現象を予測します。そしてその予測が当たることによって、予測に用いた法則がさらに確実なものとして信頼を獲得するということになります。

 たとえば生物学は、これまでは記述的学問の典型でありました。その中心は、生物の分類に関する学問であったと言ってよいでしょう。しかし、DNA、遺伝子が明確になってからは、明らかに推論的な学問に変わりつつあります。生命の基本的な原理が分かって、その原理にのっとって地球上に存在する生命の説明を行うことのほかに、遺伝子組み替え技術を使って新しい生命を作り出しつつあります。

 経済学も、徐々に記述的学問から推論的学問の方向へ向かっているといってよいでしょう。種々の経済指標をもとにして、社会経済の状況をできるだけ良い方向に持っていくべく操作・舵とりが行われ、それが近年かなり確かなものとなって来ているように見えます。

 このように学問の発展は、存在するものの理解と説明、すなわち過去への視線から、将来ありうべき物事の予測、未来への眼差しという方向へ進みつつあります。知識や経験がぼう大に蓄積されて来た今日、こういったことは、学問の世界だけでなくあらゆるところでの現象であるようにみえます。たとえば我々一般庶民の生活においても、人生設計という言葉が作られ、人間の一生が設計的な観点から考えられるようになりました。すなわち、人は生れてから、どのようなルートで教育を受け、大学を卒業したら、どんな企業に入って活躍し、老後はどのように過ごすかといったことが、いろいろと考えられ、親は子供をそのように育てるために懸命になり、子供もそのルートに乗らねば敗者であるかのように思ってしまうような雰囲気の社会を作り出して来ました。

 ところが昨今の日本や世界の経済・社会状況をみますと、こういった予測的なことが恐らくもう成り立たないのではないかと思われる状況となりつつあります。大企業が倒産し、銀行も整理統合されるという時代となり、日本経済の先行きには不安材料が山積するようになりました。政府のかかえる負債はぼう大であり、人々は萎縮し、経済は縮小再生産という悪循環に陥りつつあるようにも見えますし、また極端なインフレの生じる危険性も否定することができません。また一方では、長寿高齢社会となり、年金の問題、医療保険の問題など、次々に庶民社会の根幹にかかわる問題がつきつけられるという状況であります。しかし一方では、ベンチャービジネスや新しいネット産業がどんどんと出てくるなど、これまでになかった事態も生じています。つまり何が起こるか分からない時代が来ようとしているのであります。

 こういった未来予測の困難性は、社会現象だけでなく学問の世界でも明らかになっているのであります。既に知っている人も多いでしょうが、カオスと呼ばれる現象がそれであります。力学は確立された学問であり、数式を用いて明確に規定されるものであります。数式で記述されるシステムは過去から未来にわたって時間軸上で確定した動きをするから、この数式をたよりにすれば未来は予測できると一般には考えられます。すなわち、このようなシステムでは、入力に与える値や状況がほとんど同じなら結果もほとんど同じになると常識的には考えられます。しかし、カオス現象を持つシステムの場合は、それが成り立たないということが明らかとなっております。どれだけ類似した状況に対しても、結果は全くちがうものになるということがあり、結果は出て来るまで予想がつかないのであります。したがってあることの結果を予測しようとするとき、それに似た過去の経験から同じような結果を推定することは不可能なのであります。

 このように数学的に明確なシステムでも未来予測は出来ないわけでありますから、状況のはっきりしない経済現象などで、将来何が起こるかを予想することは至難の技であるのは当然であります。今日、日本経済の先行きについての不安材料はこと欠かず、暗い将来を予測する人達が急速に増えて来ております。そういった時に頼りにできるものは何なのでしょうか。お金でしょうか、財産でしょうか。そうではないでしょう。そういったものがほとんど頼りにならないことは、50年前の敗戦を経験した我々の世代の人達には当然のこととして分かることであります。

 このような不確実な時代に社会に出ていく皆さんが頼りに出来るのは、自分の就職する企業でもなく、国でもなく、自分だけであるという状況になるかもしれないのであります。したがって、ここで皆さんはあらためて自分の持つ実力というものを、よく考えてみる必要があるでしょう。専門的知識や広い教養、物事を的確に判断できる能力など、実力にはいろいろな面があるでしょう。しかしここで最も大切なものは、どのような波瀾万丈の時代が来ようとも、何とかしてこれを克服していくという知力と気力、精神力、忍耐力をもつことでありましょう。大学で、単なる知識としてのみ学問を学んだというのでは、あまりにも寂しい事であります。学問は実践に結びつけられねばなりませんし、また学問をすることによって、自分を精神的に鍛え、どんなことが起こっても的確な判断を下して行動に移していけるという自信を持つことが必要であります。

 皆さんは大学を卒業し、また京都大学大学院修士課程を修了するという、二つの大きな関門を通過した人達でありますから、学問に裏打ちされた自信を十分にもち、これからの困難な時代にもしっかりと生きていくことができるでしょう。もしそのような自信を持てない人がこの中にいるとすれば、それは残念なことですが、しかし決して遅くはありません。卒業後こそ、自分にあった学問を自分流に学び、そういった自信と精神力を持てるように引きつづいて努力することができるのです。チャンスはいくらでもあります。またそういった自信を持っている人の場合も、学問は急激に進歩発展し、また変化して行っておりますから、絶えず学ぶ努力を惜しんではなりません。

 皆さんがこれから社会に出て、長い人生を生きていく目標は何でしょうか。経済的に成功することでしょうか。そのために経済学や経営学、あるいは技術を学び、金もうけのために知識を使うといった考え方をするとすれば、あまりにも浅はかな人生であり、人生に値しない人生であると言わざるをえないのではないでしょうか。今日新聞紙上などで、やれベンチャーだの、新しいビジネスモデルだのといったブームに便乗して、金もうけ主義、拝金主義の風潮が取り出されていますが、それは人を誤まらせるものではないでしょうか。

 こういった風潮に対する反省が、今日徐々に出て来ていることは確かであります。今日政治学の世界でも、ジョン・ロールズの提唱した「正義論」がますます注目を集めるようになって来ていますし、経済学の分野でも1998年ノーベル経済学賞を受けたアマーティア・セン氏の経済学における庶民への視線、経済活動における行動規範、倫理、文化の重要性といったことが、これからますます大切になっていくと考えます。

 皆さんは、どのような困難に出合っても、学問的に、また社会の道徳規範にてらして、自分が正しいと思うところを実行すること、これが最も大切なことであります。自分が正しいと思うことが、広く社会的に見ても正しく、妥当なことであるべきことは当然必要ですが、これは皆さんが大学で蓄積した教養にもとづく人格によって導かれるものであります。

 混乱の時代はまたチャンスの時代であります。皆さんの前途には、予定されない、また予測できない、いろいろなチャンスが待っているのであります。そのチャンスは人によって訪れ方が違うでしょう。それぞれがそれぞれのチャンスをつかみ、それを最大限に活用するのは、皆さんの実力によるわけであります。そういった限りないチャンスを秘めたこれからの時代に出て行く皆さんに、激励の言葉を贈り、皆さんの修士修了をお祝いいたします。