平成12年3月23日修士学位授与式

修士学位授与式における総長のことば

平成12年3月23日
総長 長尾 真

 皆さん、京都大学大学院修士課程の修了まことにおめでとうございます。列席の各研究科長、その他教職員とともに心からお喜び申し上げます。今年は1,870名の方々が修士の学位を取得されました。そのうち外国からの人は 113名であります。

 皆さんの中にはひきつづいて博士後期課程に進む人もあるでしょうが、大多数の皆さんは社会に出ていくわけであります。小学校以来、実に18年間にわたって教育期間をすごして来たわけですが、この修士修了という時点で、皆さんはそれぞれ自分の受けて来た教育、自分の行って来た勉強・努力ということについて振り返ってみてはいかがでしょうか。小学校、中学校が皆さんの人格形成にとってどのようなものであったか、高校や大学、大学院が皆さんの物の考え方にとって持った意味、等を問うてみることであります。

 大学では、学生諸君に対して基礎的な知識を与え、物事に対してはいろいろな見方ができることを教え、自分で考え、判断し、責任のある行動ができ、適切に自己を表現できる能力を持った人物、さらには文化に対しても豊かな感受性を持った人物といった人間像を期待して教育を行っているわけであります。皆さんがこれから出ていく21世紀の社会は、国際化がより一層進み、諸外国との関係を考えずには生きていけない社会であり、大学院で研鑽した皆さんはそこで中心的な活躍をする人材でありますから、学問、知識、判断力だけでなく、英語などの外国語でも自分の考え方を明確に伝え、相手を納得させる表現力をもつことが期待されているのであります。皆さんはこのような期待に応えて、京都大学大学院を巣立って行ってくれるものと確信いたします。

 皆さんの修士課程の2年間は学部の4年間とは全く質が違っていたはずであります。学部の間はどちらかというと学問の体系、内容を学ぶということに重点があったのに対し、修士課程では自分が主体的に学問にかかわっていくという立場で研究を行って来たわけであります。自分の設定した課題に関連した学問・知識を積極的な立場で学ぶとともに、様々な物の見方、研究の方法がある中で、ある方法を選択し、困難を克服しながら研究をすすめ、問題の解決に至ったかという得がたい経験をしたにちがいありません。

 そのような経験を通じて諸君は物事を自分で考え、判断し行動することができるという、はっきりとした自信を持ったことと思います。その自信が大切なのであります。

 社会に出ますと、種々の解決困難な課題に遭遇しますが、そういった時にも決してあきらめず、まずは徹底してその課題にかかわる状況を調べるのです。つまり情報収集であります。そして考えるのであります。これは研究において皆さんが取ったのと同じ態度であり、あきらめずに試行錯誤的にいろいろと努力することによって、かならず解決を得ることが出来るのであります。そういった過程において最も大切なことは、やれば出来るという自信を失わずに頑張ることでありましょう。これは諸君の修士課程での研究の経験によって身についたといってよいでしょう。あるいは、そのような自信を持てるようになることが修士課程修了のための最大の要件とさえ言えるのではないでしょうか。正しい考え方をし、正しい信念をもって努力する限り、自分の考えていることはいつかは実現できるのであります。

 さて皆さんも新聞等で既に知っているでしょうが、小渕首相の私的懇談会「21世紀日本の構想」が去る1月に報告書を出しました。そこには種々の大切なことが指摘されております。まず、「戦後に日本は奇跡の復興と驚異の成長を遂げ、瞬く間に経済先進国入りした。日本は平和と安定と繁栄を手に入れ維持してきたが、この成功のモデルが逆にいまでは日本の活力を殺ぎ、その間に生れた既得権益と社会通念の多くが経済社会を硬直化させている。いま日本はこの成功のモデルを超えるモデルを探さねばならないが、世界のどこにも出来合いのモデルはない。日本の中から解決策を見出していかなければならない。日本の中に潜む優れた資質、才能、可能性を開花させることが成功の鍵である。その意味で日本のフロンティアは日本の中にある」といっております。

 そして「21世紀の世界の主な潮流は、グローバル化、国際対話能力、情報技術革命、科学技術の進化、少子高齢化である。経済・科学・学術・教育などのさまざまな面で、制度や基準の汎用性と有用性が世界標準に照らされ、問われ、評価される大競争時代が到来する。説明責任を負い、意志決定過程を透明にしてスピードを速め、個人の知恵やアイディアをもっと大切にし、個人の権限と責任を明確にすることが必要であり、先駆的な発想や活動に対して、先例、規制、既得権などの邪魔を許さない。そして失敗した時にはやり直しや再挑戦ができる社会を育てることである」とし、さらに「グローバル・リテラシーとして国際共通語としての英語による国際対話能力の重要性、情報技術によって情報活用の十分に出来る国と出来ない国とに分かれていくことの危険性とその予防、何のための科学技術開発かという根源的な問いが発せられねばならない今日の状況への警鐘、少子高齢化への対応として日本の社会に眠っている潜在力を最大限引き出すために、例えば女性の社会と労働への参画の機会を制度的に促すべきこと」などの指摘をしております。

 そして、「上からの命令によって動く『統治』ではなく、上も下も共に共同して働く『協治』の時代になっていくべきであり、そのためにも個の確立と新しい公の創出が大切である」と主張しております。特に「新たな『協治』という概念を築き、個を確立し、公を創出するには、これまでの日本の社会では十分に実現の場を与えられてこなかった自立と寛容という 2つの精神を育てなければならない。自立した個人の、その一人一人の才能とやる気と決断と倫理観と美意識と知恵が国の骨格と品格、未来を作るのであり、寛容の気持ちと包容力を社会が持つことによって、個々人の特質と才能の違いを認め、それを伸ばし、社会全体としての適材適所をもっともよく実現することができるのである」としております。そして日本の努力すべき方向として、「先駆性、多様性、協治の実現のための具体的方策の提言、世界に開かれた活動を通じて国益を求めていくという立場の大切さ」を述べております。

 この報告書はきれいごとを並べた、いささか空虚な内容のものであるという批判もありますが、大変大胆で革新的なものであることは間違いありません。「日本はこうあってほしい、日本をこうしなければならないという希望、覚悟を表明し、日本の志を論ずることによって、これまでの、国のあり方や国家像といったことを語るのが何か気恥ずかしいことであるかのような、時代遅れであるかのような気分が蔓延している日本の惰性をうち破ろう」とし、国民各層の多様な議論をまき起そうというところに、その真の意図があるものと考えてよいでしょう。この報告書に対しては既にいろいろな意見が出されておりますが、21世紀の社会で中心的な活躍をする皆さんも、ぜひともこの報告書を読みなおし、それぞれによく考え、批判的な意見を出すとともに、将来に対する糧としていただきたく存じます。

 皆さんの前途は無限に開かれています。無限であるということはあらゆる可能性があるということでありますが、それは逆にいえば何が起るか分らない全くの未知の世界が広がっているということでもあります。これまでの皆さんの 20数年間の人生は、いわばきっちりと敷かれたレールの上をほとんど何の抵抗も受けずに走って来たようなものでありますが、これからはどこにもレールの敷かれていないところを歩んでいく人生であり、自分がこの方向だと確信する方向に向ってレールを敷いていくことが求められている時代であります。

 京都大学の修士課程を立派に修了することが出来たという自信をいつまでも持ち、自分の未知の人生を切り開いていって下さることを期待し、皆さんの門出に対する餞の言葉といたします。