平成12年3月23日博士学位授与式

博士学位授与式における総長のことば

平成12年3月23日
総長 長尾 真

 博士の学位を受けられた課程博士395 名、論文博士104 名、合計499 名の皆様、まことにおめでとうございます。列席の各研究科長とともに心からお喜び申し上げます。

 京都大学は近年年間に700 ~800 名の博士を出しておりますが、特に課程博士の数が年々増加していることは大変喜ばしいことであります。皆様もご存知の通り、京都大学は大学院重点化大学であり、研究大学として国際的にも大きな存在感を与えている大学であります。毎年多くの外国人留学生を受け入れ、日本人の博士だけでなく外国人の博士を多数送り出して来ました。皆さんはそのような優れた大学で研究を行い、博士号を得られたわけであり、大いに誇りとすべきものと存じます。

 博士号取得は皆さんの長年の努力の結果であります。それはもちろん皆さんの実力によるものでありますが、その間に指導して下さった教官や、いろいろと助言して下さった先輩、友人の方々に感謝しなければなりません。さらには、それぞれの研究分野のこれまでの先達のぼう大な研究成果の上に皆さん方の業績は築かれているわけであり、そういったことにも心を致すべきでありましょう。

 皆さんは、それぞれこれから研究生活を続ける人、社会において活躍する人など様々でしょうが、これまでとは立場が逆になるということをよく自覚する必要があります。すなわちこれまでは指導してもらって来たのに対し、これからは後輩を指導する立場になるということであります。これまでは自分の研究のことだけを考えておればよかったのでしょうが、これからは自分の研究だけでなく、他人の事も考えてあげねばならないのであります。他人を指導したり、他人に適切なアドバイスを与えるということは決して易しいことではありません。中でも最も大切なことは適切な課題を与えること、あるいはもっと正確にいいますと適切な形で問題を設定してあげることであります。

 最近の若い方々はご存知ないかもしれませんが、岡 潔先生という数学者がおられました。奈良女子大学で教授をしておられた方ですが、多変数複素関数論の権威であり、クーザンの問題といわれていた世界的な数学の難問を解かれ、1960年に文化勲章を受章しておられます。この方が文芸評論家で1967 年に文化勲章を受章した小林秀雄氏との対話の中で、ある年代までは数学の主要な問題を解くことに専念したが、それがほとんど出来てしまって、その後の目標として問題を作ることを考えていると話しておられます。「問題を出すということが一番大事なことである。問題をつくることは問題を解くことよりももっと難しい。うまく問題を出すこと、これがこれからの自分の仕事だ。」と言っておられるのであります。つまり、簡単には解けないが解くことに大きな意味がある、その問題に対する解法を考えれば他の領域にも大きな影響をおよぼす、その問題が解けることによって世界がいっきょに広がり、学問が進展する、といった問題を設定することであります。

 皆さんは自分の博士論文のテーマをどのような考え方と経緯で選ばれたのでしょうか。そこでどれだけの事を考え、迷い、どれだけ多くの異った見方からそのテーマの妥当性を検討されたでしょうか。研究の出発時点でのそのような深い検討が、得られた結果の質の高さに大きく影響していることは間違いありませんし、また出発時点でのそのような検討によって研究は半ば進んでしまっていると言ってよいかもしれません。ただ一方では、何んとなしに面白いからどんどんとのめり込んでやっているうちに、すばらしい事が達成されていたという研究歴の方もおられるに違いありません。自分の心をわき立たせ、のめり込んでいける魅力をもった課題が自然に見えてくるということは幸運なことであります。しかしそのような幸運も常に広く深く学問をしていなければやって来ないわけであります。学問の世界においても、また社会においても、皆さんが次に見つけて挑戦しようとする課題、あるいは後輩に与えようとする課題が何であるかは皆さんの将来にとって最も大切なものとなるでしょう。

 これと似たことは産業界において新しい製品を作る場合にも言えることであります。たとえば私の専門分野に近いことで、音声合成装置というのがあります。文字テキストを与えるとこれを音声に変換して自動朗読してくれる装置であります。これはまず米国ですばらしい質の装置が発売されました。そうすると日本の企業は、そんなのは我々も作れるといって、半年か1 年後には同様の質の日本語音声合成装置を発売したのです。こういった事は他にも、枚挙にいとまがないほど多くあります。日本は情報技術で米国に何年も遅れているとよく言われますが、技術に携わっている人々からみると決して遅れているわけではないのです。日本の一流企業は世界一流の技術を持っているのです。それにもかかわらず、その技術を生かして良い独創的な製品につないでいくことが出来ないでいるのであります。

 その根本原因は、企業の製品企画をする人達、あるいは部長、取締役クラスの人達が、新しい製品としてどのようなものが社会から期待されているか、技術的に可能かをよく考えてプロジェクトを起す力がないところにあると思われます。あるいは考えていても上司を説得する力がないからかもしれません。これはまことに残念なことであると言わざるをえません。実力を持つとともに、鋭い直感力によって新しい企画を行い、それを社会に対して問うというチャレンジングな精神を持つことが、これからの我々日本人にとって必要であります。

 こういったことは国の科学技術計画においても言えることであります。たとえば米国の大統領情報技術顧問会議は、近未来の情報技術研究開発について、非常にシャープで具体的な提案をしております。そして研究開発資金を集中的に投入し、また民間活力がそこに集中するような政策を積極的に作っています。これに対して我が国では残念ながら総花的な提案しかできず、研究開発費もなかなか集中できないでおります。さらに問題なのは、プロジェクトをいったんスタートしたら、途中で評価して展望のないものを中止させる決断がほとんどできないことであります。

 いずれにしましても、こういった状況を改善し、日本が学問の世界でも、また産業の世界においても、世界をリードしていくのはこれからの皆さんの力であります。博士号を取得してからの数年間をどのように過ごすか、どのように皆さんの後輩を指導するかは皆さんの将来、日本の将来にとって非常に大切なことであります。博士号は終着点でなく、本格的な世界に入っていく出発点であるという意欲をもって進んでいただくことをお願いいたしまして、私のお祝いの言葉といたします。