ヒトES細胞からALS疾患モデルを作製し、病状再現に成功:病態の解明や治療薬の開発に期待

ヒトES細胞からALS疾患モデルを作製し、病状再現に成功:病態の解明や治療薬の開発に期待

2012年5月9日


左から饗庭講師、ゴパラジュ スラヴァン 研究員、中辻拠点長

 京都大学(総長: 松本 紘)とNPO法人幹細胞創薬研究所(理事長: 横山 周史)は、ヒト胚性幹(ES)細胞に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因遺伝子を過剰発現させた疾患モデル細胞を作成し、ALSの疾患症状の再現に成功しました。この成果は、ALSの病態の解明や治療薬の開発等に役立つことが期待されます。

研究の概要

 中辻憲夫 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス)拠点長、饗庭一博 同講師らのグループは、iPS細胞研究所(CiRA)、医学研究科および幹細胞創薬研究所と共同で、家族性ALS原因遺伝子の一つであるスーパーオキシドディスムターゼ1(SOD1)の変異型遺伝子を過剰に発現しているヒトES細胞を作成しました。これをALS患者で影響の出る運動神経細胞に分化させたところ、そうした細胞に特異的な細胞死が起こることを確認し、また運動神経細胞内に異常な凝集体が形成されることを検出しました。さらに、運動神経細胞死に関わると報告されているグリア細胞(アストロサイト)にも分化させることで、その培養上清にヒトES細胞由来の運動神経細胞の細胞死を引き起こす因子が存在しているなど、これまで報告されているALS症状に関わる現象を培養細胞によって再現できることを確認しました。これまで、iPS細胞やES細胞を用いてALSの病態を再現するための研究が世界中で行われていますが、運動神経細胞とアストロサイト共に同じヒト多能性幹細胞株(万能細胞株)から分化誘導させ、ALSモデル細胞の作成に成功したのは、本研究が世界で初めてです。

 この成果は、これまで動物とヒトという生物種による違いから疾患モデル動物では充分に理解できなかったALSの疾患発症・進行メカニズムのより正確な解明に加え、モデル細胞の細胞死や異常な凝集体形成の抑制などを指標にした効果的な治療薬の探索・開発にも寄与することが期待されます。

 本論文は、米国東部時間5月8日に米科学誌「ステム・セルズ・トランスレーショナル・メディシン」オンライン速報版で公開されました。

1. 背景

 筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis, ALS)は、運動神経細胞が選択的に影響を受け、機能を喪失していく神経変性疾患の一つですが、根本的な治療法、予防薬がないのが現状です。ALS患者の約10%が遺伝する家族性ALSで、そのうちの約20%が、スーパーオキシドディスムターゼ1(SOD1)の変異が原因とされています。

 これまでのモデル動物や動物神経細胞を用いたALS研究は、多くの知見を生み出してきました。しかし、これらの研究材料では動物とヒトという生物種による違いにより、ヒト神経細胞での反応を正確に反映できていない場合があり、モデル動物で効果が見られたとされるALS候補薬の多くが、臨床試験でヒトへの効果が見られないために開発中止になってきています。このようなことから、正常な機能を有した各種の神経系細胞へ分化誘導可能であるヒト多能性幹細胞(ES/iPS細胞等)で作る疾患モデル細胞を用いた新薬開発方法が有望視されています。様々な難病患者の体細胞から樹立するヒトiPS細胞株は疾患モデル細胞として有望であり、注目される研究成果が発表されています。しかしながらALSに関しては、SOD1遺伝子に変異があっても成人になってから発症する典型的なALS患者から樹立されたiPS細胞を運動神経細胞へ分化誘導させても、これまでのところはALS疾患症状を観察することが困難でした。また、SOD1変異ALSの病態を再現できるモデル細胞で、同じヒト多能性幹細胞株だけからモデルに必要な細胞を分化させて作製したモデル細胞はこれまでありませんでした。

2. 研究手法

 今回、本研究グループは、ALSの原因遺伝子の一つであるSOD1の野生型(健常人型)遺伝子と変異型(家族性疾患型)遺伝子(G93A SOD1)を恒常的に発現するプロモーターで過剰に発現しているヒトES細胞株を作製し、既に我々が確立した運動神経細胞への分化誘導法によって、ALSで影響の出る運動神経細胞へ分化誘導させ、ALSでみられるような運動神経細胞特異的な細胞死をTUNELアッセイで調べました。また神経細胞内に異常な凝集体の形成が起きているのかどうかを免疫染色にて調べました。さらに、運動神経細胞への分化誘導に用いたのと同じヒトES細胞株をグリア細胞であるアストロサイトへも分化誘導し、運動神経細胞の細胞死を誘導する毒性因子の分泌存在を、運動神経細胞を培養上清で処理し、細胞死の検定をしました。

3. 研究成果

 最初に、健常人型SOD1または変異疾患型SDO1を過剰に発現しているヒトES細胞株の未分化細胞とそれらから分化させた神経細胞で、同程度のSOD酵素活性および遺伝子発現レベルを示す株を選びました。選ばれた細胞株に神経分化誘導を行ったところ、健常人型、変異疾患型にかかわらず、SOD1過剰発現株で親株同様に強く神経前駆細胞のマーカー分子の発現が確認でき、SOD1の過剰発現が神経前駆細胞形成に影響しないことがわかりました。さらに、健常人型SOD1発現神経前駆細胞と変異疾患型SOD1発現神経前駆細胞の細胞生存率にも違いは見られませんでした。このことはSOD1の過剰発現が神経前駆細胞の生存率にも影響しないことを示しています。

 その後、神経前駆細胞を運動神経細胞(HB9陽性細胞)まで分化させたところ、変異疾患型SOD1発現している神経細胞に、形態的に健康的でない神経細胞が現れてきました(図1)。そこで細胞死の割合を調べたところ、細胞死の割合が親株からの神経細胞や健常人型SOD1発現神経細胞に比べ、2倍ほどに増加しており、運動神経細胞での細胞死を調べてみたところ、変異疾患型SOD1を発現している運動神経細胞特異的な細胞死が20倍くらいに促進されていました。一方、グリア細胞であるアストロサイトの細胞死は、特に変異疾患型SOD1発現によって、増加する現象は見られませんでした。このことは、ALS患者で起きる運動神経細胞の選択的な細胞死が、変異疾患型SOD1の発現によって再現できていることを示しています。


図1. 健常人型SOD1(左)と変異疾患型SOD1(右)を発現させた運動神経細胞の形態

 また、SOD1変異による家族性ALSの特徴の一つとして、ユビキチン陽性の凝集体形成があります。変異疾患型SOD1発現運動神経細胞内にも、そのような凝集体が検出できるのか調べてみました。健常人型SOD1でも変異疾患型SOD1でも、どちらの発現運動神経細胞もユビキチン抗体によって染色されました。しかし、変異疾患型SOD1発現の運動神経細胞の半数に異常なユビキチン染色パターンが見られました。この異常なユビキチン染色パターンは、変異疾患型SDO1発現運動神経細胞のユニークな表現形であり、ALS患者にみられるユビキチン凝集体に相当する可能性があります。

 最近、アストロサイトから分泌される因子の運動神経細胞死への関与が報告されています。以前の報告で用いられたアストロサイトは、ALSモデルマウス脳からのアストロサイト、もしくは変異疾患型SDO1を遺伝子導入したヒトアストロサイトの初代培養を用いており、ヒトES細胞から分化誘導したアストロサイトにも同じような運動神経細胞死に関与する因子を分泌しているのかは明らかにされていませんでした。そこで、SOD1過剰発現ヒトES細胞をアストロサイトへ分化誘導し、その培養上清でヒトES細胞から分化させた運動神経細胞を数日間処理し、その細胞死率を測定しました。その結果、健常人型SOD1発現運動神経細胞において、健常人型SOD1発現アストロサイトの培養上清より、変異疾患型SOD1発現アストロサイトの培養上清で処理された方が、明らかに細胞死が増加していました。このことは、ヒトES細胞から分化させたアストロサイトが運動神経細胞に細胞死を引き起こす因子を分泌していたことを示しています。また、アストロサイトで発現している健常人型や変異疾患型に関わらず、変異疾患型SOD1発現運動神経細胞で、健常人型SOD1発現運動神経細胞より多くの細胞死が検出されています。これらのことは、運動神経細胞死において、今回のALSモデル細胞では細胞自律的効果も、非細胞自律的効果も検出できていることを示しています。

 本研究では、これまで報告されているALS症状に関わる現象を培養細胞によって再現できることを確認しました。また、運動神経細胞とアストロサイトともに同じヒト多能性幹細胞株(万能細胞株)から分化誘導させ、ALSモデル細胞の作製に成功したのは、本研究が世界で初めてです。またこの研究成果は、今後ALS患者由来のiPS細胞株をさらに詳細に研究するための基礎として貢献することが期待されます。

4. 今後の期待

 今回本研究で作製されたALSモデル細胞は、モデル細胞に必要な運動神経細胞とアストロサイトともに同じ細胞株から分化させています。このことは、動物とヒトという生物種による違いから疾患モデル動物では充分に理解できなかったALS患者での疾患発症・進行メカニズム、運動神経細胞死のおこるメカニズム、細胞自律的効果や非細胞自律的効果をより正確に解明し、ALSの根本的な治療法開発に繋がる可能性があります。

 また、ALSモデル細胞で検出された運動神経細胞特異的な細胞死や異常な凝集体形成の抑制などを指標とした新薬候補化合物のスクリーニング、またヒトES細胞から分化誘導させたアストロサイトから分泌される毒性因子の同定、解析などを通して、より効果的な治療薬の探索・開発にも貢献することが期待されます。

論文タイトルと著者

[DOI] http://dx.doi.org/10.5966/sctm.2011-0061

Tamaki Wada, Sravan K. Goparaju, Norie Tooi, Haruhisa Inoue, Ryosuke Takahashi, Norio Nakatsuji, and Kazuhiro Aiba.
Amyotrophic lateral sclerosis model derived from human embryonic stem cells overexpressing mutant superoxide dismutase 1. Stem Cells Translational Medicine, vol. 1, no. 5, 396-402. May 8, 2012.
doi: 10.5966/sctm.2011-0061

本研究は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)プロジェクト「研究用モデル細胞の創製技術開発」(2005~2009年度/プロジェクトリーダー: 中辻憲夫)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業・基盤研究(C)課題「ヒト胚性幹細胞から作製した筋萎縮性側索硬化症モデル細胞を用いた疾患発症機序の研究」(2011~2013年度/代表者: 饗庭一博)の一環として行われました。

 

  • 朝日新聞(5月9日 8面)、京都新聞(5月9日 1面)、産経新聞(5月9日 2面)、中日新聞(5月9日 3面)、日刊工業新聞(5月9日 19面)、日本経済新聞(5月9日 34面)および読売新聞(5月9日 33面)に掲載されました。