平成21年度

以下は、先導的留学生交流プログラム「ICI-ECP」により留学された方の体験談です。 本人の了解を得て掲載しています。
※ ( )内は渡航時の所属研究科

ウプサラ大学(農学研究科)

私は2009年8月から2010年1月までの半年間、ICI -ECPを利用してスウェーデンのウプサラ大学へ留学した。ここでは、スウェーデンの大衆文化、「Fika」についてお話しようと思う。

「Fika」とは、英語での「Coffee」にあたる言葉であるが、意味合いが若干異なる。Coffeeは、Coffeeそのもの、すなわちコーヒー豆から作られる飲み物のことを示す。Fikaは、Coffeeそのものを示す名詞であると同時に、Coffeeとお菓子を同時に楽しむ行為のことを意味する。

この行為、Coffeeとお菓子を同時に楽しむFikaは、スウェーデンの日常生活において非常に重要な位置を占めている。私が留学中に研究を行っていた施設では、毎日、朝10時と午後3時に「Fikaの時間」があった。この時間になると、教授も学生も、部屋から休憩室に移動し、コーヒーを飲む。毎週金曜日には、教授あるいは学生によってケーキが準備され、研究室内の連絡事項を伝えながら、Fikaを楽しむ時間があった。私の聞いた話では、スウェーデンの会社でもこの「Fikaの時間」が設けられていて、社員はこのFikaへの参加が義務付けられているという。

私は留学中、研究室の同僚と、指導教官と、また、友人と、数え切れないほどのFikaを楽しんだ。古い家具と巨大な柱時計が演出する落ち着いた雰囲気のカフェで、私が彼らと話した内容は、本当になんでもない、取るに足らない話題だったように思う。しかし、研究、授業等、忙殺される日常の中に、その忙しさが入り込まない、時の流れが遅い瞬間を作る事で初めて生まれる友情やアイデアは、私の留学を有意義なものにした決定的な要素であった。皆さんも、この素朴なスウェーデンの文化、Fikaを、日常に取り入れてみてはいかがだろうか。

私は留学を通じて、実に様々な経験をし、数えきれない程多くのことを学んだ。私の専門である生物学のことはもちろん、歴史、文化、そして人間について、本当に多くの事を見、聞き、感じた。そんな中で、私にとって最も大きな収穫だったのは、今回紹介したFikaのような、異文化を受け入れる寛大さであった。皆さんが今後留学をされて、さまざまな経験をされると思う。それがどんな経験であれ、何かポジティブなものを得るであろうことは間違いないと私は確信している。

平成20年度

以下は、平成20年度の留学報告書より、本人の了解を得て掲載しています。
※ ( )内は渡航時の所属学部・研究科および学年

中国・香港大学(経済学部 4回生)

長年学校で英語を勉強してきたにもかかわらず、外国に旅行などで行くとろくにそれを使えないことへの苛立ちがあった。また、京都大学に来ている交換留学生と関わったとき、彼らが日本という外国で非常に生き生きと生活しているのを目の当たりにし、自分も彼らのように留学してみたいと感じるようになった。今振り返ると、それらが留学に行こうと考えたきっかけだと思う。ただ、実際派遣留学の学内選考に応募することになったのは、そうしたことを思い始めてから約1年後だった。既に3回生になっていたので、卒業や就職を考えると躊躇したが、大学院への進学は考えていなかったので、留学できるのは今しかないと考えて申し込んだ。アジアの国々に興味があったので、アジアで、かつ英語で学習できる香港大学を希望した。最初の学期は英語にも不安があり、多くの授業でグループワークが課され、ケーススタディやディスカッションなどの慣れない授業形態にうまく立ち回れず苦労した。日々の生活で必要になるかと、当初広東語の授業も取っていたが、ほとんど英語だけで生活できた。2学期目は授業の進め方や英語での授業に慣れてきたこともあり、さほど困らなかった。

成果としては、授業内容からより、それに参加する中で得た英語運用能力が大きいと思う。英語力も向上し、加えてミーティングやプレゼンテーションなど、普段の会話と異なる場面での英語の使い方を学べた。また、香港は欧米の学生にとってアジアで最も人気の留学先のひとつのようで、グループワークはまさに世界各国の人たちとの共同作業だった。国が違えば価値観も大きく異なる。このような環境の下では、自分の常識というのはあまりあてにならなかった。困惑することも多々あったが、自分の適応力を磨くことができた、いろいろ学ぶことの多い8ヶ月余りだった。

国立台湾大学(農学部 3回生)

実は中国語が全く話せないまま台湾に入った。やはりその国の言葉が話せないということは不安がつきまとうし、正直他の留学先も考えたが、それでも台湾に決めた理由は「アジアを見ておこう」と思ったことだった。将来、開発学を専攻しようと考えている自分にとって、アジアの活気、エネルギーを身をもって体験しておくことは間違いなくプラスになる。実際、台湾の夜市などは日本にない活気に満ちており、学生たちも皆、それぞれの目標のために励んでいた。自分も、目標を定めて国際組織学を受講した。この講義は英語で行われ、生徒の国籍も多様だった。時間の半分は生徒がグループを作ってディスカッションを行い、その内容に関してグループリーダーがプレゼンをするという形だった。最後の講義では、それぞれのグループが国連安保理の理事国の代表としての安保理会議シミュレーションを行った。非常に実りある授業で、国際組織の基本的な知識と共に、さまざまな国が抱える諸問題、それに対するそれぞれの国の人の見識を共有し、理解を深めていった。台湾と知り合った仲間とは今でも頻繁に連絡をとっており、生涯の財産となるだろう。留学当初は中国語に不安があったものの、ほぼ英語で会話していたので交流に問題はなかった。留学の終盤には英語、中国語の上達を感じ、講義にもすんなりついていけることで自信を持った。日本にいても自分を伸ばすことはできるが、台湾でしか得られない経験を積めたことに非常に満足している。この派遣留学で培ったものを将来にうまく生かしたいと考えている。

オーストラリア・メルボルン大学(教育学研究科 修士課程 2回生)

履修した授業はすべて10人以下の少人数の中で行われた。先生も一人一人の学生に気を配ってくださるし、学生も発言する機会が数多くあった。そのため、非常に良い緊張感の中で2学期間学習することができた。授業内容も非常に実践的なものであり、ディスカッションやプレゼンテーションを行う機会も数多くあった。英語で全てをこなすことになるので、最初はかなり緊張もしたし、難しさもあったが、数をこなす中で徐々に慣れていくことができた。世界中から来た学生と話をする中で文化の違い、考え方の違いなどに驚くことも多く、そのような経験を通して自分自身の意見をはっきり持ち、はっきり述べる必要性を強く感じることにもつながった。自身の研究においても、現地でしか手に入らない資料などを数多く集めることができた。現地で行われるセミナーにも参加でき、非常に有意義なものとなった。また、学生寮に入っていたため、同じ専門分野の学生だけでなく、全く異なる専門分野の学生や院生と知り合うことができ、一緒に話をする中で自分自身の知識や興味関心も広がっていった。今回の留学で今後の自分の進路においてある程度明確な方向性が見えて来、かけがえのない経験ができた。

ニュージーランド・オークランド大学(経済学部 3回生)

経済科目、ビジネススクール提供科目、マオリ学を受講した。経済科目では理論と現実の違いを学び、貿易を考える際に他方向からのアプローチが必要であることを学んだ。ビジネススクール提供科目では、シミュレーションゲームで仮想企業のマネージャーをし、また学生同士の議論を通して学習した。マオリ学の講義では先住民族であるマオリ族とイギリスを中心とする西洋との接触の歴史を学習した。これらの学習の成果は、自分の専門である経済学に対する見方に大きく影響した。経済を取り囲む幅広い動きに注意を払い、経済の動向との関連性を分析できるようになりたい。

フランス・グルノーブル大学連合ジョセフ・フーリエ大学(理学部 3回生)

GUESTという第一セメスターはフランス語や文化を学び、第二セメスターで他のフランス人学生と同じ講義を受講する交換留学生用プログラムに参加した。第一セメスター(9月~12月)は、グルノーブル大学連合の文系大学である大学やピエール・マンデス大学などでヨーロッパ経済やフランス文化についての基礎教養の授業とともに、CUFFという大学附属の語学学校でフランス語の集中コースを受講した。第二セメスターから、ジョセフ・フーリエ大学で以下の地球惑星科学の授業を受けた。

  1. Processus et mate'riaux de surface(Process and material of the surface)
    -地球表層の層序学、岩石学、地質学など
  2. Dynamique interne de la Terre(dynamic inside of the Earth
    -地震学、地球熱学、地球電磁気学、測地学の基礎的授業
  3. Atmospe`re, Climat, Ocean(Atmosphere, Climate, Ocean)
    -大気と海洋の力学、気象学と海洋物理学、物理気候学や流体力学の基礎
  4. Application sur le Terrain(Application in the field)
    -アルプスの山小屋に泊まり込んでの野外実習(10日間)
  5. Franc,ais Langue Etrange`re(Foreign language for French)
    -科学英語の読み方、発表の仕方、プレゼンなどの授業
  6. Langue Franc,aise(French as a foreign language)
    -スタンダール大学での留学生向けフランス語補助コース

まず(1)~(4)はすべて講義形式の授業と実習形式の授業が組み合わされたものであり、(1)では河川の生成過程や発達、地滑りの力学などの地表面での物理に関する授業に加えて、電子顕微鏡での薄片観察からコンピュータを使ったシミュレーションや計算までを行った(講義2時間、実習4時間/週)。(2)では第二セメスターを四つの時間区分に区切って、地震学、地球熱学、地球電磁気学、測地学の基礎的な授業と、それらに関する具体的な問題を解く演習に分かれた。地震学では、基礎的な波動方程式からP派・S派の式の導出、それからの展開に加え、野外での地震波観測実験も行い、地球熱学でも、フーリエの法則、熱拡散方式やポアソン方程式、エラー関数などの導出から、地球に対する応用までを勉強し、測地学ではブーゲー異常やフリーエア異常、重力計の測定方法などを勉強した(講義、実習ともに4時間/週)。(3)では、海洋物理学と気象学の基礎を、基礎方程式の導出からコリオリ力や圧力傾度力、地衡風の力学、エクマン輸送や海洋の熱塩循環までを講義に加え演習もした(講義、実習ともに4時間/週)(4)に関しては、第二セメスターの試験が終わった5月に、アルプスにある山小屋に泊まって2回にわたり地質学や岩石学の野外調査を行った。1回目はまず「Deux Alpes」というフレンチ・アルプスに行き、アルプスの成因や地質構造の概略を4日間にわたって観た後、2回目では「Haunt Alpes」という地域で1週間ほど、実際に少人数(2~3人)のグループに分かれ、自分たちの割り振られた地域を各グループごとに実地調査した。ただし、これは第5セメスターからの通年の授業となるため、途中参加という形で参加させてもらった。

(5)は英語で科学ジャーナルや論文を読み書きできるようになるための英語の授業で、基礎的な単位や数式の読み方・書き方から英語のプレゼンの仕方までを学習し、最終的には個々でひとつの科学的なトピックについてプレゼンできるようになることを想定しており、授業の後半ではNASAについて英語でのプレゼンを行った。(6)はジョセフ・フーリエ大学に在籍する外国人留学生のためのフランス語補助コースであり、週2時間、科学分野に重点を置いたフランス語を勉強するとともに、パソコン教室での定期的な実習とレポートが課された。レポートに関しては核エネルギー開発に関する考察を書いた。

(1)~(3)、(5)~(6)に関しては、セメスターの最後に学期末試験があり、結果として(1)、(3)(それぞれ6単位)、(5)(2単位)、(6)(3単位)の授業で合格点を取った。(2)に関しては期末試験が落第点で単位を落としてしまい、(4)は通年授業の途中参加のため欠席扱いとなった。(1)~(3)に関しては、ひとつの科目に対するそれぞれのコマ数が多いためそれぞれ6単位となっている、全体として非常に統制のとれたカリキュラムで、さまざまな分野を連携的に学習することにより、地球惑星科学の基礎的教養が身につくよう授業が組まれている、と感じた。

フランス・グルノーブル大学連合ピエール・マンデス大学(法学部 2回生)

日本にいると、自分の触れている情報や知識が知らぬ間に「日本化」されている。言語においても、着眼においても、どうしても「日本的な」色彩が強くならざるを得ない。国際化の要請が高まる現代において、日本的な知識や理解を鵜呑みしてしまうような学究に疑問を感じたことが、留学を希望した根底にあった。留学先としてフランスを選んだのも、この疑問に最も直結しうる地だと考えていたからだ。すなわち、アメリカやイギリスには一定の距離を保ちつつ、国連やEUなどで中心的な役割を担ってきた歴史をもつフランスは、日本とは全く異なる政治風土や国民性を持つと考えたのだ。この相違を、フランスで、フランスの教育を通して学ぶことに大きな意義を感じ、留学中は常にそのことに関して意識的でいようと心がけた。ある国に滞在するというのは、その国という一冊の本を読むようなことだと思う。その点でフランスと言う国はあまりに茫漠・多様であり、理解に近づくには10ヶ月という期間は無論、あまりに短い。じっさい、ヨーロッパの一国としてのフランス、旧宗主国としてのフランス、移民国家としてのフランス、などなどフランスを簡潔に規定できない多様性が次々と発見され、僕のフランスという「本」の理解は進むどころか、むしろ途方にくれてばかりであった。しかし、複雑に絡み合うそれらの多様性が、直接身近に生活に結びついていることを毎日肌で感じながら生活できることこそが、留学を通して得られた貴重な経験であるのだと思う。そして、このような経験を通してのみ培うことの出来る、フランスやヨーロッパなどといった「本」そのもののイメージや直観を少しでも具体化することこそが派遣留学制度の重要な意義だと思う。これらの具体化されたイメージによって、国際社会で生きていく上で求められる洞察や嗅覚を勝ち得、先に述べた「日本化」された知にとどまらない、開かれた知へと導いてくれると信じている。

この他にも、留学生活を通してしか触れ合うことのない貴重な世界各国からの学友と過ごした時間は、かけがえのない財産となったことも留学の成果として挙げなければならない。世界から集まる友人に囲まれてなお、自分が「日本社会における自分」としての規定にともすると頼ってしまっていたことを思い知った。その点で、再び自己を見つめ直し、人間的な成長を図るまたとない機会となったと言える。

フランス・グルノーブル大学連合ピエール・マンデス大学(法学部 2回生)

学業だけでなく、他のさまざまなことにも刺激を受けた貴重な10ヶ月だった。前期は留学生向けのGuest Programmeに沿って語学研修を受けつつフランスの文化・政治・社会の授業を受け、後期には学部生むけの民法の講義に参加した。自分はクラスの中でも最もフランス語ができなかったので、最初は授業についていけないことと劣等感で非常に苦しんだが、逆にその劣等感をバネに他の留学生に早く追いつこう、と夢中で勉強したためか、フランス語をかなり伸ばすことができた。それでも、フランス語でのプレゼンテーションや資料読解は難しく、根気の要る作業が続いたが、そのことが語学力、そして研究において必要な粘り強さを高めてくれたと思う。授業で心に残ったのは、フランスの現代社会の講義だった。特に第二次世界大戦における対独協力に関する見解はフランスでないとなかなか知ることのできないものだったし、労働運動に関する授業では日本との違いが顕著で、比較していてとても面白いテーマだった。また、授業で学んだことについてフランス人の友人についてどう思っているのかきいてみたり、ディスカッションできたこともいい経験になった。このように、留学の最大の利点は現地の人と交流できることにあると思う。後期から受けた民法については、一回生のとき京都大学で既に受講していた親族法を選択したが、フランスという国の特徴がはっきりと法律に現れていて非常に興味深かった。法律が国民の考え方、生き方を反映することに改めて気づくことができた。ただ、留学生はゼミに参加できなかったので、講義形式の授業のみ受講ということになり、すべてを理解できなかったことが残念だった。困っている留学生を見かねたのか、ノートを貸してくれたり、分かりにくいところを説明してくれたりと、友人が助けてくれ、学業だけでなく、このような温かい人たちに出会えたのも自分にとって一生の宝となった。みんな驚くほど親切で、数々の楽しい思い出を作ることができた。言葉と習慣の違う国で戸惑いながらも、楽しみ、そして無事に留学を終えられたことを、支えてくれた多くのひとに感謝したい。

フランス・グルノーブル大学連合ピエール・マンデス大学(経済学部 3回生)

「君が常識だと思っていることは、海外に行くと非常識である場合がある」外国人研究者である知人からそう言われてフランスへ渡航したが、実際、フランスに着くや否やカルチャーショックだらけ。そんな日々がほぼ毎日続き、非日常的な日常の中で留学生活を送った。以下、そんな留学生活を3つの観点、すなわち(1)大学生活(2)日常生活(3)交友関係の観点から述べる。

  1. 前期にフランス語やフランス文化理解のための、後期では経済学の講義やゼミを受講した。前期で特に関心を引かれたのは国際関係という講義だった。フランスの大学のゼミはグループワークが中心で、それをうまく行うには互いの文化を理解する必要がある。まず文化の理解とは何か、具体的にどのようなものがあるのかについて理解を深めた上で、実際に行われたグループワークのビデオを観、フランスにおけるグループワークで必要なこと、様々な文化を背景とする人々が参加するグループワークで必要なことを議論し、理解を深めた。後期ではそれを踏まえて、自分の専門である経済学の講義やゼミを受講した。ミクロ経済学の講義で先生が生徒と熱心に様々な経済問題について議論しあっている光景は、日本の大学ではなかなか見ることのできないものであった。
  2. 日常生活では、トイレの便器も自分で購入し、取り付けなければならないという揃いの悪さだった。しかし、近所のスーパーや量販店に必要なものが揃っている。ほとんどのことを自分でしてしまう、というのがフランスの日常生活に対する自分のイメージだ。面倒ではあるが、自分でやる分だけ自分の好みに合った生活ができる。とはいえ、便利さから考えると一長一短があるが。また、顧客志向の強い日本に比べて、フランスでは「お客さん」と「働く人」がより対等な関係であるように感じた。ストライキやデモも活発で、公共の交通機関が止まったり、大学が3ヶ月ちかくも正常に機能していなかったりした。こうしたことが頻繁に起こっているにもかかわらず、経済先進国として存在するフランスの労働者たちの底知れぬ力を感じた。これは、経済学を専攻する者としては非常に興味深い感覚であり、経験であった。
  3. 交友関係では、多彩な国籍、年代の方と知り合うことができた。日本でいう居酒屋によく友達と足を運び、多様な人々と知り合って色々な話をし、大学の授業では聞くことのできない話を聞くこともできた。また、さまざまな経験を通じて「相手を思いやる」という点では日本と欧米、とくにフランスではやり方が違うのだなということを感じた。

オランダ・ユトレヒト大学(教育学研究科 修士課程 2回生)

大学と提携している語学学校でのオランダ語学習

約3ヶ月間、オランダ語のコースを受講していた。週に3日各3時間という非常に集中的なコースだった。先生も非常によく、特に授業中先生がオランダ語しか使わなかった点、生徒側からの質問も出来る限りオランダ語を使うことが求められた点は非常に良かった。先生は休み時間でさえ出来る限り英語は使わないというスタンスで、受講当初は先生が何を言っているかちんぷんかんぷんだったが、コースを終える頃には大分上達できたと思う。コース受講者もアフリカ出身者からアジア出身者まで多岐に渡っており、大変面白いときを過ごすことができた。

大学での授業

オランダ語の言語学の授業が大変面白かった。週に2回、セミナーとチュートリアルが1回ずつあった。授業を受ける前はオランダ語もよくわからなかった上、言語学という学問分野自体も私にとっては未知の分野だった。しかし、先生が英語や時には日本語(私のために)など他の国の言語と比べながら丁寧に授業を進めてくれたことで、初心者の私でも理解することができた。また、チュートリアルの時間に調べたことを発表したり、クラスメイトと課題に取り組んだり、自主的に学ぶ場が与えられたことも、よりしっかりと楽しく理解することにつながっていったと思う。

修士論文のための調査

私は京都大学では修士課程にあるため修士論文のための研究をしている。テーマは「オランダにおける初等学校の自己評価」である。このため、テーマと関連のある研究者や小学校へインタビューや視察にでかけた。あまりにも日本と対照的で、非常に興味深かった。

半年間という短い期間だったが、以上のような経験から、オランダ語やオランダの教育について多くを学ぶことができ、とても有意義な時間を過ごすことができた。

スウェーデン・ストックホルム大学(農学部 3回生)

今回の留学には良かった点と反省すべき点がある。

良かった点とは、実際に日本とは違う文化圏の国で生活することで出会う人や経験から受ける刺激によって、本来意図していたものとは異なることを学ぶことができた点である。たとえば、非常に親しい韓国人の友人ができ、新たに韓国語の習得を開始したのは日本で勉強しているとあり得ないことだった。また、英語以外に現地の言葉を学んだり、2008年ノーベル賞受賞者講演に参加する、日本語学科で授業にサポーターとして参加し、スウェーデン人学生と交流するといった課外活動を多く持てた点は良かった。

反省すべき点とは、本来の専攻である生物の勉強があまりできなかった点である。これはWebサイト上では事前にわからなかったのだが、ストックホルム大学の生物に関する学科の授業はすべてフルタイムと呼ばれる1日6時間×週5日制なのである。この事実を現地で知り、予習復習を考慮すると、これでは授業以外のことが全くできないと考え、数回参加した後諦めた。授業の内容や難易度は、京都大学の授業のほうが有益であるように感じた。

これからの長い人生を考えると、自身の経験したことのない世界を見て刺激を受けるべきだと考える。例えそれが異国の地で異なるバックグラウンドを持った友達とコーヒーを飲みながら談笑するだけでもいいと思う。これからストックホルム大学に留学を希望する方に恐れながらアドバイスしたいのだが、学業とプライベートのライフワークバランスを考えるべきだ。人文語学系は生物系のように授業スケジュールが1週間に30時間もあるということはないので比較的、学業・プライベートともに充実したものにできると思う。ただ、ストックホルム大学は現地の学生にとって「滑り止め」的ポジションであり、友達から聞く限り自然科学系の授業難易度は高くないように感じた。どうしてもスウェーデンに留学したいなら、スウェーデンにおいてハイレベルなコースもしくはプログラムを提供してくれるのは商科大学・工科大学などの専門大学なので、わたし個人としてはそちらをお勧めする。

スウェーデン・ウプサラ大学(経済学部 4回生)

留学前に立てた目標は1.英語力の向上、2.専門分野の知見の深化、3.国際的人脈の形成だった。1.は、留学した当初は英語力の不足で講義で発言しても意図が伝わらないことが多々あったが、のちには他の学生と活発に意見を交わしたり、データを基にディスカッションできるようになった。2.は、米国の学派とノルディック派の相違(日本で学ぶのは米国の学派)を学び、その理論を用いて国際的な携帯電話事業者であるHutchison 3Gのスウェーデン支社の取り組みについて研究した。実際にマーケティング部門の責任者にインタビューし、どのような取り組みを行っており、それが理論とどの程度乖離しているかを検証した。3.では将来ビジネスで活躍するであろう方々と交流を持て、結果留学前に立てた目標をいずれも達成することができ、大変意義深い留学であった。

スウェーデン・ウプサラ大学(農学部 3回生)

ウプサラでの留学生活は、6月以前(1月~6月)と6月以降(6月~1月)の二つに分かれていた。6月以前はImmunology(免疫学)およびToxicology(毒性学)の授業を受講し、生命科学の基礎、および一般的な毒性学の知識を得るとともに、免疫学、毒性学分野におけるさまざまな実験技術を学んだ。また、授業を通じて、科学論文の探し方、読み方、書き方やプレゼンテーションの技術、問題解決能力といった、実際の研究活動に必要とされる能力を習得した。

6月以降はDepartment of Physiology and Developmental BiologyのEnvironmental Toxiclogyの研究室に所属し、研究活動を行った。世界的に有名なDevelopmental NeurotoxicologistであるPer Eriksson 教授のグループに所属し、「難燃化剤PBDE 99の行動毒性発現メカニズムの解明および毒性バイオマーカーの探索に関する研究」を行った。研究活動を通して、トキシコロジカルな考え方、姿勢を学ぶと共に、毒性学における問題の把握、さらには毒性学と他領域学問(生物学・生化学・薬学等)の関係を理解することができた。毒性学を学ぶ修士学生、博士学生との交流・議論の中で、毒性学の知識・理解を深化させると共に、スウェーデン・ヨーロッパにおける毒性学に対する認識を知った。また、研究活動の傍ら、夜間講義で"Modeling in Biology"を受講し、毒性学への学際的、特に数学的アプローチの手法を学んだ。

1年間の英語による留学生活により、問題なく生活・研究できるだけの英語力が身についた。研究活動の最後には、研究成果のレポート提出および30分の口頭発表を行い、今後海外での学会発表・研究活動ならびに論文作成への自信を得た。夏休みにはノルウェー科学技術大学(NTNU)へ行き、短期の研究活動および国際学会4th Kyoto International Forum for Energy and Environment (KIFEE) Symposiumでの発表を行った。

ウプサラ大学では、スウェーデン人や、様々な国からの留学生と出会い、彼らとの交流を通して色々な文化を理解すると共に、日本文化の相対化を行うことができた。今回の留学で、国籍の違いを超えて、心から信頼、尊敬できる人々と出会うことができた。今後は主にメール・インターネットを通じて、彼らとの交流を持続し、再会することを楽しみにしている。2010年4月には、京都大学で臭素化難燃化剤に関する国際学会があり、指導教官であるHenrik Viberg 助教授が来日される予定である。来日の手伝い、情報提供および京都の観光案内を行うつもりである。また、今回の留学で得た、人と人との関係「御縁」を大切にし続け、それによって、日本とスウェーデンおよび諸外国との関係の友好化に寄与することができれば、と望む限りである。

連合王国・マンチェスター大学(農学部 3回生)

留学にあたり、学習に関しては、マンチェスター大学で定められている1年100クレジットという規定単位を修得することを最低限の目標とした。結果、ひとつも単位を落とすことなく授業を履修することができた。

授業内容は自身の専攻である農学・分子生物学に関連し、基礎的な生物学の科目を中心とした。英語で講義を受け、課題を提出し、試験を受ける、という一連の経験から学ぶことは多かったが、内容的には京都大学で学んだものと重複しているものも多く、発展的なことを学んだとは言えない。大学ではインターネット上の「ブラックボード」というサービスを使って学生の自学を補助したり、また定期的に課題を提出させたりしている。ブラックボードのようなシステムを利用して勉強するのは初めてだったが、有効に活用できたと思う。また学生実験ではイギリス人学生やチューターと協力して作業したり、英語でレポートを書く練習ができた。

また、自身の専攻とは違うものとして「Leadership Action」という授業を履修した。これは全学期を通じてリーダーシップの在り方について学ぶというもので、マンチェスター大学が提供するユニークな授業のひとつだった。前期では各界で「リーダー」と目される人物の講演を聴き、その後クラスでその内容についてディスカッションするという内容があり、また同時進行で小グループを作ってひとつのテーマについて発表ポスターを作成した。私はイギリス人学生たちとグループを組み、次世代エネルギーについて取り組んだ。さらに後期は個人でリーダーシップに関係したテーマを取り上げ、調査レポートを書いた。私が選んだのは「遺伝子組み換え作物とイギリス」というテーマで、経営コンサルタント会社やイギリスの環境保護団体に注目し、レポートを作成した。インタビューや引用文献の記述の仕方など、新しく学んだことも多くあった。また「Leadership Action」ではボランティア活動を推進しており、授業内容とは別に規定の時間数のボランティアを行った学生を学年末に表彰している。当初これを目標にし、環境保護団体であるTrees for Citesの運動に参加して植林運動や現地小学生への指導を手伝ったり、コミュニティマップの作成を行ったりした。しかし残念ながら規定の時間を満たすことができなかった。他にはマンチェスター大学の植物園でのボランティアに参加したりもしたが、もっと時間をかけて動くべきであったかもしれない。

語学の学習としては、インセッショナルの英語授業に参加した。Pronunciation, Writing, Speaking&Listeningの3授業に参加し、語学留学のような経験もできた。特にSpeaking&Listeningでは簡易ディスカッションやプレゼンテーションの練習もでき、有意義だった。また、学外での学習活動としては、日本語を勉強している欧州人やアジア人に個人的に日本語を教え、代わりに彼らの言語を教えてもらうということも行った。

全体を振り返ると、イギリス人の新入生と同じような感覚で学生生活を送ることができ、初めての海外生活で貴重な生活となったし、学ぶことは多かった。また、いまや研究活動を行う上で英語は避けて通れないものである。今回の留学を通じて身についた、英語で情報を収集して処理する力、これからの学習・研究活動にも活かせるものであると思う。将来的に海外の大学・研究室で学位をとったり、研究に従事することを具体的に考えるよい機会となった。

カナダ・トロント大学(文学部 4回生)

留学生活全体を通して最も得られたものは、基礎語学力の向上だった。日常の英語でのコミュニケーションは、海外で初めて長期間生活する自分にとって困難の多いものだった。皆の会話が全く聞き取れず、また自分から積極的に発話することもためらってしまい、最初は貝のように自分を閉じてしまい、孤独を感じたりもした。が、優しい周りの人たちの助けもあり、だんだんと馴れることができた。とはいっても、留学中はなかなか「英語でスムーズに会話ができない」というコンプレックスから逃れられず、英会話力がついたことを本当に実感したのは帰国後に外国人と英語で話している時だった。ためらうことなく自分から質問したり、会話を発展させたり、無理なく自分らしい話し方が出来ていると感じた。だから、これから留学される方にも焦らずにじっくりと英会話に取り組んで欲しいと思う。授業は専門であるイタリア語関係を受講し、イタリア語で自分から発話をする機会はなかなか得られなかったものの、文法の復習や、先生のイタリア語を聞く訓練によって、やはり以前よりは力がついたと思う。

授業を通して、イタリアの現代文学や文化についての理解がより深まったこと、たくさんの文献を読む訓練をしたことも、大きな糧のひとつだった。卒業論文で20世紀の作家、ギンスブルグを取り上げる私にとって、映画を通じての20世紀史の勉強や、文学の流れを作品とともに把握できたことは、卒論執筆に直接的にも間接的にも役立つ知識となったと感じている。特に20世紀を代表する作家ピランデッロの「故マッティア・パスカル」の原書を読めたことは、現代人の精神状態や抱えるテーマを考える上で大きな参考となった。

研究や学習とは直接関係ないが、心に残った体験としてボランティア活動がある。週に一度、イタリア系移民の老婦人の家に行き、イタリア語や英語で話し相手になる活動をしていた。キャンパスの外の世界でトロントに暮らす街の人の生活に触れられたこと、心を通わせられたことはとても興味深い体験だった。大学の中で生活しているだけでは見えない現実(老人の暮らしや、貧困問題)をすこしでも知ることができてよかったと思う。

カナダ・ウォータールー大学(理学部 4回生)

カナダは留学生が多いため、英会話のサークルがあったり、無料の英語家庭教師をしてくれるボランティア学生をつけてくれたりと、英語のサポートがしっかりしていた。自分の取った講義は日本での分野と全く違ったうえ、最初は英語がよくわからず最初の1、2ヶ月はついていくのに精一杯だった。3ヶ月目くらいに勉強以外のことをする余裕がでてきたが、ちょうど雪のよく降る季節になり、外で遊ぶことが難しくて残念だったが、パーティーが多く開催されて楽しかった。英語については、講義は理系だったということもあり、ホワイトボードや授業ノートがしっかりしていて教授の言う内容も案外理解しやすかったが、日常会話のほうが大変だった。4ヶ月という期間は短いと感じたが、良い経験ができたし、価値観や考え方が大きく変わった。機会があればもう一度、今度は長い期間行きたい。

米国・ハワイ大学マノア校(総合人間学部 3回生)

留学生向けアカデミック・ライティングの授業では英語での論文の書き方を学び、様々なテーマで5回ほどレポートを作成した後、最終的には10枚を越えるレポートを完成させた。準備、情報収集、書く過程、それぞれの段階で指導、評価があり、一番大変な授業だったが力がついた。また、多種多様な人との関わりで価値観が変わり、視野が広がった。

米国・ハワイ大学マノア校(情報学研究科 修士課程 1回生)

ハワイ大学マノア校に2セメスター留学した。自分は海洋生物学専攻なので、ハワイ大学での海洋生物学を中心とした授業を履修したが、さまざまなことに驚かされた。まず、授業の初めには必ず授業で用いるテキストが指定される。学部レベルの授業用テキストは非常に分厚いが、基礎的な知識から、より詳細な知識までを網羅しているので大変わかりやすい。授業はテキストの内容によって組まれ、教科書の内容すべてを説明することはなく、重要な概念のみ説明し、また教科書にカバーされていない知見を論文を引用しながら説明する。宿題として教科書のリーディングが課せられる。授業が教科書の内容に沿っているため、勉強がしやすい。このようにして、授業と宿題で、分野についてひととおりカバーし、すべての授業の後には、その分野の最新の論文を読んでも十分理解できる程度まで知識がつく。以上のことから、アメリカの授業は分野について体系的に勉強することが可能であり、学習しやすいと感じた。授業は週に1回長時間行うのではなく、週に2~3回にわけて毎回短時間で行うため、授業で集中力が保ちやすく、授業間の間隔が短いので前回学習したことも授業間に忘れにくく、学習しやすく良いと感じた。授業は英語で行われるが、科学の公用語が英語である以上、英語で学習を進めていくことには大きなメリットがあると感じた。

ハワイ諸島は長い間、他の陸から大きな海を隔てて隔離されており、また、サンゴ礁の広がる海から標高4000mにも及ぶマナ・ケア山まで様々な環境を有している。このことから、様々な固有種が発達し、多種多様な生物相が発達している。このため、ハワイ諸島は立地上、進化学、生態学や海洋生物学の研究に適した場所であり、ハワイ大学はそれらの研究の中心機関として国内外から多くの優秀な研究者が集まっている。このため、授業の中でさまざまな研究者の話を聞くことができ、研究内容だけでなく、研究に取り組む姿勢や意識などにも非常に刺激された。ハワイ大学は、海や山の研究上フィールドが近く、フィールドに出ることが容易なため、普段の授業で実際にフィールドでの実験が行われている。フィールドでの実際の実験に触れるチャンスが多いことは、その分野に興味が湧くだけでなく、研究上の経験として非常に大切である。私も多くのフィールドでの実験に参加したが、非常に良い経験となった。また、実験の授業では、普通は実験手順のマニュアルが与えられ、そのマニュアルに従って実験を行うだけであるが、履修した生態学の実験の授業では、背景知識の説明はあるものの、マニュアルがなく、フィールドに行き、そこで思いついた生態学上の疑問を解決するため、自分達で実験計画をたて、限られた時間内に終わるよう実験を行うというスタイルだった。このスタイルは、実際に研究を始めると必要になる手法であり、そのトレーニングとして非常に良いと感じた。

実験の授業では、上のレベルのクラスだと実験のレポートは科学論文でのフォーマットの提出が課せられる。これらの実験の授業で、かなりの枚数のレポートを英語の科学論文のフォーマットで何回も何回も書いた。留学前に卒論で書いた内容をもとにして英語での科学論文を執筆したが、この際、英語の表現だけでなく、科学論文のフォーマットを知らず、仕上げるのに非常に苦労した経験があった。このときの経験があったにもかかわらず、留学中に書いたレポートは、初めは仕上げるのに非常に苦労したが、たくさん書いていくうちに英語表現や科学論文のフォーマットに慣れるようになった。研究者として研究を続ける以上、英語で論文を書くことが非常に重要なパートであり、留学中に何枚も英語の科学論文のフォーマットでレポートを書いたことは、非常に良いトレーニングとなった。その他、英語、ハワイの文化、様々なことを含めて学習や研究以外のことでも非常に充実し、よい経験となった留学であった。

米国・ペンシルベニア大学(経済学部 2回生)

Penn大はまさに異なる文化と知性が出会う国際的な意見交換の場であり、非常に充実した、内容の濃い留学生活を送ることができた。以下3点について述べる。

  1. アメリカのビジネス・スクールから学ぶマーケティング
    アメリカでも有数の優れたビジネススクール、Wharton Business Schoolにおいてマーケティングの授業を履修した。授業の内容はとても革新的かつ実践的なカリキュラムで、日本とは一味違ったマーケティングの授業を体験できた。マーケティング戦略の授業では実際にGoogle社から$200もらい、サーチエンジンマーケティングを実践するプロジェクトに取り組んだ。広告戦略においては、四つのベンチャー企業からひとつ選び、その短期・長期的マーケティング・コミュニケーションプランをリサーチをもとに考えるプロジェクトが課題となった。いずれもチームで取り組むプロジェクトだったため、グループワークを通してアメリカならではの積極的な意見交換、ディベートのプロセスを学ぶことができた。
  2. 自己主張と積極性
    先生と生徒の議論で授業が進むなか、授業にどれだけ参加したかが評価の対象となり、どのクラスにおいても積極的に意見を発表し、ディスカションに参加することが求められた。そのため、自分の意見を瞬時にまとめ、発言すること、また、相手の意見を聞き、吟味しながら反論や同意を練り、それをまた発表するというスキルを非常に試された。さらにアメリカでは意見と人格との分離がなされており、相手の意見に対して容赦なくつっこみや反論が飛び交う。その中でいちいち感情的になり消極的になるのではなく、対立を通してしっかりと意見交換ができるようになることが求められた。
  3. 世界各国から集まる優秀な留学生との交流
    1年間の留学生活の中で最も多くのことを学んだのはやはり、世界各国から集まる留学生との交流だった。彼らはみな志が非常に高く、知識豊富で、様々な意見交換を通して今の世界の状況、日本の状況、今後の自分の役割など多くのことを考えさせられた。また、ともに勉強に励むことは刺激的でもあり、切磋琢磨していくことができた。そして留学生との交流はまさに国際交流の原点であり、異文化コミュニケーション能力と国際理解への意識をそこから得られることができた。

メキシコ・グアダラハラ大学(経済学部 3回生)

メキシコ、ハリスコ州のグアダラハラ大学へ約1年行った。開講科目は内容、開講数ともに非常に選択肢が多く、インターネットを利用した授業内容閲覧、登録サイト等設備面でのサポートもしっかりしたものだったので、安心して学習に臨むことができた。また、経済学部では学生による留学生チューターといった制度や、留学生イベントも活発に行われており、学習面だけでなく生活面でも細やかなフォローがあった。

そんな環境の中、スペイン語や授業スタイルへの早期順応を目指して人文社会学科科目に定期的に参加しながら英語で開講されている専門に関連した科目を登録、受講する、という形でメキシコ生活ははじまった。文献理解、リサーチ、意見発表、ディスカッションを含めた「発信型の授業」に求められる語学レベルと当時の自分の語学能力とのギャップに直面し、課題克服のために必要な、多くの地味な作業の連続に大きな焦りを感じた時期もあったが、周りの学生に支えられながらの普段の学習や、大学に併設された短期語学学校の利用の甲斐もあり、2学期目には経済学部において、希望する科目を五つ受講することができた。また、語学面や生活面で自信がついてきた留学期間後半の学内外での生活では、カルチャースクールやボランティア等地域の活動にも積極的に関与することができ、グアダラハラのさまざまな側面を垣間見る機会にも恵まれた。

授業では、各クラスメートの授業内容への関心の高さにも驚かされたが、それにもまして多くの学生が学習することに強い使命感を持っていたことが印象的だった。「メキシコ社会経済分析」という授業では、メキシコ内外の時事社会問題が積極的に盛り込まれており、リーディング教材に基づいたクラスディスカッションやグループ別プレゼンテーションに対する先生による専門的な知識の補足などが聞けたので、毎回の授業がとても楽しみだった。新型インフルエンザの影響で留学期間をまっとうできぬまま、急遽早期帰国をせざるを得なかったことは非常に残念だが、渡航先で過ごした時間はとても充実していたので悔いはない。