日時と場所
日時: | 2008年4月25日(金曜日) 18時開場 18時30分開始 |
---|---|
場所: | 京都大学 百周年時計台記念館2階 国際交流ホールI |
会場までの道のりは、以下のアクセス・マップをご覧下さい。
演題
「アイデンティティの政治」と文化人類学―「ポストモダン人類学」と冷戦構造の終焉、両者が残した未解決の課題―
発表者
太田好信氏(九州大学比較社会文化研究院教授)
コメンテータ
- 木村大治氏(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 准教授)
- 佐々木祐氏(法政大学 非常勤講師)
要旨
本講演では、80年代から90年代にかけて文化人類学が大きく揺れ動いた時代に遡り、理論的問題の整理をおこなう。その中心は、「ポストモダン人類学」の意義を再考し、それを批判的に継承すること、ならびに「アイデンティティの政治」の限界と可能性の両方を見据えることになる。
「ポストモダン人類学」には、当初からさまざまな呼称――「実験的民族誌」、「再帰的人類学」、「テクスト至上主義」など――があった。だが、その系譜は 60年代の人類学に対する批判を認識論的問題として再解釈した問題系へと辿りつく。まず、その問題系の代表として、ファビアンの認識論的考察を振り返る。ファビアンが示した関心、そして当時の多くの社会科学における哲学的反省は、客観主義(objectivism)への批判であった。ファビアンは、間主観性が支配していたフィールドでの相互行為が、民族誌に表現されるとき、客観化――記述する者から自立した客体となること――されてしまうことを問題化している。フィールドでの経験と民族誌の記述をめぐる問題は、60年代から80年代へと継承されているのである。したがって、「ライティング・カルチャー・ショック」という語り口が与える印象とは裏腹に、断絶よりも継承を強調したい。サイードが『オリエンタリズム』で示した問題も、この問題系内部にとどまることを示す。
次に、「ポストモダン人類学」が注目を集めていたとき、冷戦構造の崩壊は、また異なった社会変化をグローバルな規模で巻き起こしていた。それは、クラス闘争の終焉――少なくとも、弱体化――であり、代わって「アイデンティティの政治」――ジェンダー、性、人種、エスニシティなどを土台にした政治主張――の隆盛である。それは政治的右派、左派からだけではなく、多くの文化人類学者からも「本質主義」的主張とみなされ、批判の対象となった。当時、文化人類学者たちは、「想像の共同体」論や「伝統の創造」論のようなポスト構造主義的発想に熱狂し、世界各地で起こる先住民運動の動員基盤をなす文化の解釈をめぐり対立し、一部の地域では「部内者(=ネイティヴ)と部外者(=人類学者)」の排他的関係を語る言語が支配するようになった。(この対立の一因は、人類学者たちの理論の不備――伝統と変化を二項対立として捉える視点への反省――にあることも明らかになったが。)
本講演では、上述の反省とは別に、そのような対立の影に隠れ、顕在化しなかったが現在でも重要な問題を導き出したい。もし、「アイデンティティの政治」を政治形態として認めれば、この政治形態が政治の個人化ではなく、国家内部での制度変革へと向かうことがわかる。現在、グローバル化が叫ばれ、個人は市場経済原則に対して無媒介に直面せざるを得ない状況下、これらの社会運動は、制度変革という国家の介入をもとめていることになる。これを「認知をめぐる政治」として矮小化するべきではない。クラス闘争という市場経済が構成するアイデンティティが説得力を失ったとき、本講演では国家との関係において構成されるアイデンティティ――政治的アイデンティティ――として、これを捉えるべきであることを主張したい。
備考
- 事前の参加予約は必要ありません。
- 当日は、資料代として200円をいただきます。
- 京都人類学研究会は、京都を中心とする関西の人類学および関連分野に関心をもつ大学院生・研究者がその研究成果を報告する場です。どなたでも自由に参加いただけます。
お問い合わせ先
inq_kyojinken*yahoo.co.jp(「*」を「@」に変えてください)
- 丸山淳子(4月例会担当)
- 杉島敬志(京都人類学研究会代表)