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研究室でねほりはほり

2022年春号

研究室でねほりはほり

記念品とあなどるなかれ。歴史家の眼で編む大学沿革史

西山 伸
大学文書館 教授

大学創設からの通史や各学部の沿革、果ては学生の生活まで、大学の歴史を余すことなく綴った書物、大学沿革史。その背幅の厚さは沿革史研究の蓄積を物語る。『京都大学百年史』に続き、2022年6月に発行予定の『京都大学百二十五年史』を手掛ける西山伸教授は、「ある人物について調べる時はまず経歴を確認するように、京都大学のことを知りたいなら沿革史が一番の近道です」と語る。紆余曲折の125年を浮き彫りにすべく、西山教授は沿革史のさらなる深化に挑む。

西山 伸 教授

大学の周年記念事業の一環として刊行される大学沿革史。2022年に創立125周年を迎える京都大学では、目下『京都大学百二十五年史』(以下、『百二十五年史』)の制作が進行中。古くは1943年に『京都帝国大学史』が編纂されて以来、これが四つ目の沿革史となる。京都大学大学文書館の西山伸教授は、そのうちの『京都大学百年史』(以下、『百年史』)と『百二十五年史』に深く関わる。「沿革史と言えば周年事業の記念品のような印象が強いのではないでしょうか。ですが、『京都大学とは何なのか』を求めて紐解くならば、驚くほど多くのヒントがあると自負しています」。

大学沿革史を方向づけた1980年代

日本の多くの大学がその歴史を沿革史として残しており、古今東西の大学・短大の沿革史を集めると、その数は4000冊以上に上る。複数巻にわたり書棚にどっしりと鎮座する書物。そんな印象のある沿革史だが、時代ごとにその在り方は変化してきた。

記念事業としての沿革史編纂は戦前に始まるが、編纂事業が本格化したのは1960年代のこと。戦後の教育改革で新制発足となった国立大学が軒並み10周年を迎えたことで刊行数が増加した。1970年代には写真集形式の沿革史が登場。形態も多様化した。「そんな中、飛躍的に刊行数が増えたのが1980年代。明治期創立の私立大学が100周年を迎えるなど、多くの大学が自らを振り返る時期でした。複数巻から構成される沿革史も増えるなど、大規模化が進んだことも特徴です」。

この時期に西山教授が「圧倒的な成果」と語る沿革史が誕生する。1986年から1987年に刊行された『東京大学百年史』だ。当時としては珍しい高等教育史の研究者が編集委員長を務めた『東京大学百年史』は、通史・部局史・資料からなる全10巻の本格的な歴史資料として刊行された。「これまでの沿革史編纂では誰も見向きもしなかった大学内部の公文書類を活用し、沿革史の実証性を一気に引き上げました。それまでの沿革史とは一線を画す成果です」。これ以降、各大学は『東京大学百年史』を手本にしてこぞって本格的な沿革史編纂に乗り出し、実証的なスタイルが定着することになる。

30代を捧げた『京都大学百年史』

西山教授が編纂に携わった『京都大学百年史』(京都大学大学文書館所蔵)

本格的な沿革史の編纂を目指して専門の編集室を設ける大学が増える中、京都大学も1990年に百年史編集史料室を開室。『京都大学百年史』の編纂に向けて動き始めた。

1980年代に京大生として学生生活を過ごした西山教授は、1993年に京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。就職先を探す中で、編集委員長を務めていた指導教官に「助手をしてみないか」と声をかけられた。「大学院では日本の近代史が専門でした。沿革史の編纂は全くの門外漢なので最初は悩みながら仕事と研究の二足のわらじを履いている状態でした。しかし、当時は大学の沿革を研究しようなんていう人はほとんどいなかったので、仕事に携わるうちに『それなら私が』と火がつき、沿革史に専念しようと決めました」。指導教官に決意を伝えたところ、「よく決めてくれた」と研究室に招かれた。「コーヒーを出していただき、『良い仕事をすれば必ず見てくれる人がいる』と激励されたのを覚えています。雲の上の存在だった教授の言葉に感激しました」。ここから、西山教授と沿革史の長きにわたる研鑽の歩みが始まった。

『百年史』の企画は100周年事業では最も早い時期に始まり、西山教授が参加した頃には、全体の構成や目次、執筆者は既に決定していた。西山教授は通史の校正や資料編の執筆などの担当となり、意気揚々と編集室の置かれた附属図書館の4階に足を運んだ。「ところが肝心の資料が入るはずの書棚は空っぽ。どのような資料が必要か、学内にどんな資料があるのかを一から調べる必要がありました。しかも編集委員長は典型的な放任主義(笑)。あれこれと自主的に考えながら、手探りで作業を進めました」。

完成したのは西山教授が着任して8年後の2001年。西山教授が30代の全てを注いだ『京都大学百年史』は、総説編・部局史編・資料編からなる全7巻に写真集を加えた、堂々たる装いで完成した。その間は研究論文こそ思うように書けなかったが、歴史家の眼は確かに磨かれた。「それまでの私の研究では編纂された刊行物などを利用することがほとんどでしたが、沿革史編纂で使った資料は、研究対象として扱うのは私が初めてであろう資料ばかり。一次資料から考える大切さを身をもって学びました」。

京大の〈いま〉を刻む、大学文書館の誕生

『百年史』の刊行を契機に、歴史資料をめぐる環境は新たな転機を迎える。その象徴が、『百年史』で集められた資料の保管と公開を目的に2000年に誕生した京都大学大学文書館だ。西山教授は大学文書館に配属となり、新しい組織作りに取り組んだ。

当時は情報公開法を受けて、行政機関の文書の公開が課題となっていた時期。京都大学は日本国内では初めて、現用文書だけでなく、歴史文書の公開にまで踏み込んだ。「大学の事務で使用する文書は、一定期間が経った後に、廃棄されるか歴史文書として保管されます。大学文書館はこの保管の役割を担っており、京都大学の〈いま〉が日々記録される、いわば生きている施設。『百年史』以降の沿革史にとっては、欠かすことができない存在です」。

大学文書館での業務の中で、新たな研究テーマとの出会いもあった。2004年から2005年にかけて、大学文書館の取り組みとして総長裁量経費で学徒出陣の調査を実施。学内の公文書も利用し、京都大学での学徒出陣の実態に初めてスポットライトを当てた。「大学と戦争の関係は研究者としての大きなテーマ」と語る西山教授は、以降も学徒出陣に関する論文の発表を続けている。

大学沿革史のさらなる深みへ

2017年、西山教授にとって二度めの沿革史となる『百二十五年史』の編纂がスタート。大学文書館に集まった学内外の資料を基に、西山教授は京都大学の歴史のさらなる深みを目指す。「これまで以上に一次資料の利用を徹底している」と語る成果は、年代順に並ぶ章立てにも反映。「創立期」と「整備期」の間に、新たに「模索期」と題した章を設けた。「創立後すぐには学生が集まらず、大学としてのアイデンティティを模索する京都大学の姿を浮かび上がらせました。迷走する時期も含め、数々の選択の歴史こそが、京都大学の125年。まずはそれを正確に伝えたい。沿革史は『これが京都大学の歴史だ』という歴史像は提示しません。関心に合わせて、様々な角度から読んでもらえたら」。

時代に合わせて沿革史はこれからも変化してゆく。『百二十五年史』の資料編は電子媒体での刊行を予定。通史編も全1巻、450頁ほどの予定で、全7巻ある『百年史』からは大きく様変わりした。「資料のあり方も刊行形態も、この先、25年後の150年史編纂ではどうなるのか、全く想像がつきません。とはいえ、その時には私は80歳を超えていますので、若い世代の活躍に期待しています」。そう微笑む西山教授の表情には、歴史家としての円熟した自信がにじんでいた。

これまでに発刊された京都大学の沿革史

『京都帝国大学史』(1943年)

1943年刊行。京都大学が初めて刊行した沿革史。皇紀2600年の記念事業の一つとして編纂された。主に学術の発達について学生の理解できる程度の文章で編纂すると方針が定められたため、大学全体の沿革についての記述は少ない。戦時中の刊行であったため関係方面ヘの配付量が少なく、現在では手に入りにくくなっている。

『京都大学七十年史』(1967年)

『七十年史』は、創立70周年記念事業の一環で編纂された。なぜ「70年」というタイミングで記念事業が実施されたのか、残された資料からでは不明であるが、結果として大学紛争の時期を避ける形になり、1967年、無事に刊行された。大学全体の沿革について初めて本格的に記述されたほか、各部局の歴史も詳しく書かれている。

『京都大学百年史』(1997~2001年にかけて順次発行)

西山教授が百年史編集史料室の助手として初めて携わった沿革史。これまでの京都大学の沿革史から大幅にボリュームが増し、総説編・部局史編・資料編の全7巻に及んだ。これに付随して、写真集と学生向け冊子も刊行している。

製作中 『京都大学百二十五年史』(2022年)

通史編は『百年史』よりもさらに一次資料の使用を徹底。使用した一次資料を註記で紹介し、読者が本文の内容を検証できるようにした。これは歴史研究書の場合は当然のルールだが、従来の沿革史では必ずしも行われていなかった。電子版の資料編とともに2022年6月に刊行予定。

大学文書館の誇る 歴史を語る貴重資料

記念事業の始まり

京都大学における大規模な周年事業は1922年の25周年記念式典に始まる。大学の周年記念事業は25周年の区切りで行われることが多い。これは、明治時代に海外の大学に留学した人たちが世紀を単位とする記念事業の習慣を持ち帰ったからだと思われる。記念式典やその事業の一環である沿革史は日本の近代化の産物なのだ。

創立25周年(1922年)の記念式(写真・京都大学大学文書館所蔵)

創立50周年(1947年)の式典会場の入り口(京都大学大学文書館所蔵)

創立70周年(1967年)の記念式典(京都大学大学文書館所蔵)

大学変革の準備期としての80年代

「紛争の時代」と「改革の時代」に挟まれた1980年代。国際化や情報化が進み、広報誌の刊行や公開講座が開始されるなど、大学が社会に向けてその存在をアピールし始めた時代だった。経済的にも好調だったこの時代に、西山教授は京都大学で学生生活を過ごした。

西山教授の80年代。野球同好会で主将を務めた。(写真提供・西山教授)

1986年、第28回11月祭(学園祭)パンフレット。企画や出し物やから80年代の熱気が伝わる。

恵まれた保存環境

京都大学はこれまでにキャンパスの移動もなく、古い文書が数多く残る。東京大学は関東大震災で多くの文書が焼失してしまったが、京都大学は戦争による被害も少なく、大きな自然災害にも見舞われなかったことから、資料の散逸を免れた。沿革史編纂など、過去の検証作業には恵まれた環境と言える。

大正時代の文部省への報告資料(京都大学大学文書館所蔵)

多様化する沿革史

『京都大学百年史』編纂の際に刊行した写真集と学生向け冊子。執筆は西山教授が担当した。近年は沿革史も電子化が進み、DVDなどのディスクメディアでの刊行など、紙媒体でない沿革史も増えている。

『京都大学百年史』写真集

学生向け冊子。『百年史』の抜粋ではなく、『百年史』を参考にしつつ、一から執筆

日本初の大学文書館

2000年11月に日本初の本格的な大学文書館として開設。京都大学の過去と現在を伝える多数の資料は、大学内の事務本部や各部局からだけでなく、外部の団体や個人から提供されたものも少なくない。大学文書館の活動は、そうした資料の整理・保管を担うほか、調査・研究や歴史展示室での展示まで幅広い。ほかにも、授業をはじめ大学職員への研修やホームカミングデイでの講演を通じて、京都大学の歴史の教育にも取り組んでいる。

文書館は白川道沿いに位置する

揺れ動く総長の心の記録

『京都大学百年史』の刊行後に新たに寄贈された資料の一つ。羽田亨は1939年から1945年まで京都大学総長を務めた人物。総長として学生を戦地に送り出す立場にありながら、同時に息子を送り出す父親でもあった羽田の両義的な立場の心境が赤裸々につづられている。「人に読まれることを想定して書いていたのかは不明ですが、『百二十五年史』にぐっと深みを与えてくれる、欠かせない資料となりました」と西山教授。直筆の日記は翻刻され、京都大学大学文書館資料叢書として刊行されている。

京都大学で出陣学徒の壮行式が開かれた1943年11月20日の日記(京都大学大学文書館所蔵)

白い表紙の冊子は、日記を翻刻し、掲載した「羽田亨日記」(京都大学大学文書館所蔵)

大学文書館発の「学徒出陣」調査

大学文書館では2004年・2005年度に総長裁量経費を獲得し、京都大学における学徒出陣の調査を実施。学内の公文書類をもとに、何人が徴集され、何人が戦死したのかなどの基礎的データを作成したほか、体験者への聞き取りも実施した。これまでにあまり知られていなかった学徒出陣の実態に迫ったその成果は、2006年に刊行物として公表したほか企画展も実施した。

農学部グラウンドで壮行式を終え、行進する出陣学徒(1943年11月20日)(京都大学大学文書館所蔵)

出陣学徒が基地から実家に送った葉書。全てに「検閲済」の朱印がある)(京都大学大学文書館所蔵)

歴史資料の展示にも取り組む

創立からの京都大学の歴史を分かりやすく紹介する場として、2003年に100周年時計台記念館の1階に開室された歴史展示室。西山教授は常設展「京都大学の歴史」の制作を担当。常設展では、「京都大学の創立」や「戦後の学生たち」などに分かれた8つのテーマごとに、文書や写真、実物資料を展示している。「私は学芸員の資格がある訳ではないので、四苦八苦しながら制作したのを覚えています(笑)」。

1939年の本部構内の再現模型

貴重資料を披露する企画展

年に2回開催される企画展では、西山教授自身が学生時代を過ごした1980年代の京都大学を取り上げた企画展「京大の80's」や、戦前の教員たちの色紙の残る屏風を紹介した「屏風に名を残した教員たち」など、京都大学の貴重資料を活かした展示を実施。「文章が中心となる沿革史と異なり、展示はモノがないと成り立たない仕事」と語る西山教授も年に1回は企画の立案に奔走する。

歴史展示室

  • 開室時間:9:30〜17:00
  • 閉室日:毎月第1月曜日
    (祝日の場合は第2月曜日)および年末年始

1930年頃の経済学部学生の下宿の復元


にしやま・しん
1963年、兵庫県に生まれる。1987年に京都大学文学部を卒業。1993年、同大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。京都大学文学部助手、京都大学大学文書館助教授を経て、2012年から現職。

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