2026年春号
萌芽のきらめき・結実のとき
山田千佳
東南アジア地域研究研究所 准教授
日本では、ドラッグといえば「ダメ。ゼッタイ」。使用者の心身を害するだけでなく、社会に悪影響を与えることから、重大な犯罪として一切許容しない厳格な政策が採用されている。他方で、同じくドラッグの有害性への対処として、禁止よりも害を抑えることに主眼を置いた「ハーム・リダクション」を基盤とする政策や当事者による社会運動が世界的に広まりつつある。インドネシアにおける運動に熱い視線を注ぐのが、山田千佳准教授。いったいどういう運動なのか。どんな人々が運動を担っているのか。当事者が発する「生の声」に耳を傾け、その背景に迫る。
「ドラッグを使用する人たちによる社会運動」。そう聞くと、思わず耳を疑うが、それは山田千佳准教授も同じだった。大学院で東南アジア地域におけるメンタルヘルス調査に取り組み、依存症からの回復支援施設で実務経験も積むなか、インドネシアでハーム・リダクション運動に出会った。「ドラッグを使わない生き方が〈よい〉という前提があり、その前提への疑問は口にしにくい環境にいたので、元使用者ではなく、現使用者が堂々と活動していることに驚きました。『いったいどういう運動なんだ?』という戸惑いが研究の出発点です」。
使用当事者の支援活動に取り組むヤナ氏(左)、ハニパ氏(中央)と北ジャカルタの海岸にて。右端が山田准教授
ハーム・リダクションとは、「害を減らす」こと。感染症予防のために清潔な注射器を配布したり、副作用や依存性の低い代替薬物を提供したりすることで、ドラッグが健康や社会に与える害の低減をめざす。政策や国際的な保健事業に採用される一方で、使用当事者による社会運動として、より安全に使用するための場所の確保や情報発信などの草の根の活動が広まっている。
「なぜ禁止しないのか?」と疑念を抱くが、その背景はとても複雑だ。いま「インドネシア」と呼ばれる地域では、今日「ドラッグ」とされるものが日常生活のなかで用いられ、その使用自体は必ずしも社会問題と見なされていなかった時代があった。「ところが1960年代以降の世界的な厳罰化の流れのなかで、インドネシアでも冷戦期の1970年代に麻薬法が整備されていきます」。
ハーム・リダクションが広まったのは、1990年代終盤。HIV感染拡大への対処や民主化の進行に伴い、刑務所やリハビリ施設に強制的に送られることに「おかしくないか?」と訴える当事者の運動が展開した。「『犯罪者』というラベルを貼られてしまった人たちが連帯して声をあげるのは、とても勇気がいること。自らの尊厳を取り戻そうとする重要な社会運動として広がりを見せました」。
「話を聞くのがなによりの勉強」と山田准教授。メタル音楽やバイク・ツーリングの愛好者、信仰心に篤い人など、さまざまな背景をもつ当事者にインタビューを重ねる。ときには自宅にお邪魔して泊まり込みで話を聞くことも。「当事者がどう生きてきたかを知りたくて、『高校時代はなにをしてた?』、『好きなバンドは?』と、関係のない話もたくさんします。周縁に追いやられた人々をとおしてこそ、見える社会の姿があります」。
調査協力者の一人、エド・ワラドさんは、自作の楽曲や詩、雑誌編集をとおして、ドラッグ使用者の感情や経験を発信している。そんなエドさんの祖父は、権威主義体制時代に共産主義に共鳴する芸術活動を理由に島流しになった芸術家。一方で、両親は国家公務員として政権の恩恵を受けるエリート層の一員だった。「エドさんは身近な家族を通して、人々を振り回す権力への反発心を感じていたようです。当事者の人生に耳を傾けながら、運動とインドネシアの歴史とがどう重なるかに着目しています」。

90年代に音楽好きが集まってヘロインを使ったという薬局の跡地を訪問

クラブシーンを支えるエド氏(右)の仕事場を訪問
調査はさぞたいへんかと思いきや、記録された写真に写る柔和な表情からは、調査協力者との人間的な交流のひとときが垣間見える。「現場での出会いと対話になによりの意義を感じている。『この人はなんでこんな活動をしているんやろ?』という好奇心が原動力です」。ドラッグ使用者のなかでも、女性のための運動に取り組む活動家にきっかけを尋ねた際、「漫画『はいからさんが通る』を読んだよ」と、思いがけない日本とのつながりにも出会った。
現在は、聞き取りの記録や写真、現地で配布されているパンフレット類のデジタルアーカイブ化にも挑戦中。「草の根の実践はなかなかかたちに残らない。『こんな人たちがいるんだよ』ということを、その背景も含めて発信したい」。身一つで動けるよう、荷物はいつも最小限。泊まり込みに備えた歯ブラシと、資料をデジタル化するための小型スキャナーを相棒に、山田准教授はこれからも市井の人々のもとへと足を運ぶ。
やまだ・ちか
神戸大学大学院保健学研究科博士課程修了。京都大学東南アジア地域研究研究所助教などを経て、2025年から現職。
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