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萌芽のきらめき・結実のとき

2019年秋号

萌芽のきらめき・結実のとき

100年後の人類に役立つ可能性を秘めた、厖大な標本を次世代へ

西川完途 (地球環境学堂/人間・環境学研究科 准教授)

生物図鑑に載っているヤモリ、カエルをはじめとする爬虫両生類。生態や習性の詳細が載ってはいるが、一つひとつの種に目を向けると、実はわかっていることはほんのわずか。「フィールドに出てみると、図鑑の情報とは違う時期に卵を産んでいたり、これまで同種と思われていたものが実は違う種だったり、いろいろな新情報に遭遇します」。3年前に研究室の先代・松井正文名誉教授から厖大な数の標本を継承した西川完途准教授。次の世代にバトンを渡す重責を感じつつも、フィールドワークに喜々として取り組む。

「さあ、どうぞ」。地下標本室の電灯が点いた途端、棚にずらりと並ぶ爬虫両生類の標本にくぎづけに。標本の総数は6万5000点。一見すると雑然と標本瓶が置かれているようだが、一つひとつが〈目・科・属〉、〈採集場所〉、〈採集日〉に分けてラベリングされ、〈あるべき場所〉に整理されている。「あまり知られていませんが、爬虫両生類の系統分類学において、京都大学は日本一の研究実績を誇ります。その裏付けとなるのは先代の松井正文先生から40年以上続く研究室の歴史と、アジアでも有数の標本の数です」。

標本を根拠に、より妥当な分類体型を構築

厖大な数の標本を集める目的は、爬虫両生類の種を分類・整理することにある。日本に棲むカエルなどの爬虫両生類の多くは、実はまだ名前が付けられていない種を含む。一方で、過去の研究者がそれぞれに異なる名前をつけたことで、同種に二つの名前がついてしまっていることも。「私の研究は『野外にいる生物を見つけ、その種を分類したり、新たに名前をつけたりして、爬虫両生類の種を体系的にまとめる』ことです。一言でいえば簡単ですが、成長した姿のカエルでも見分けるのは難しいし、卵の状態だとなおさら。爬虫両生類の分類や種の名前は、研究者によっても意見が異なります」。そこで、標本を細かく観察したり、種のDNAを調べたりするなど、あらゆる角度から観察することで、〈これ〉と〈あれ〉とは違う、あるいは同じであることを証明しなければならない。その証拠資料として標本が必要となる。「同種であっても、保存の対象となります。〈その時〉に、〈その場所〉で、〈その生物〉が生きていたことは標本でしか証明できません」。

標本を保存し続けるには、研究室の労力と維持費が不可欠。例えば、標本の腐敗を防ぐアルコールは経年劣化するため、定期的に一つひとつの状態を点検しつつ、必要があれば液を入れ替えなければならない

標本を半永久的に残すことの意味

「標本を保存する」という考えは、ヨーロッパ諸国に深く浸透している。日本固有の爬虫両生類の古い標本の多くは、オランダ、イギリス、ドイツなど、ヨーロッパ諸国の博物館に保存されている。江戸時代に来日したヨーロッパ人の学者たちは、さまざまな生きものを標本にして母国に持ち帰り、次世代の研究のために保存し続けたという。

日本の固有種の古い標本を観察するために、海外の博物館を訪問することも西川准教授の研究の一環だ。「系統分類学の研究は、短期的には成果を出しにくい分野ですが、全ての生物学分野の基礎となる研究であり、将来には〈何かの役に立つ可能性〉も秘めています。例えば、『バイオミミクリー』という生物のかたちを模倣して、工業製品を創造する学問がありますが、古い標本からイノベーションが生じた例もあります。各地の博物館を訪問するたびに、『標本を残し続けること』の重要性を再確認します」。

サンショウウオとの、偶然で〈必然〉の出会い

2万種におよぶといわれる爬虫両生類の中で、小型サンショウウオを専門とする西川准教授。研究対象に決めたきっかけは、渓流に入って魚釣りをしたときのこと。「上流から、ヒダサンショウウオの卵が流れてきたのです。光に反射して虹色に輝く、その美しさに感動しました。後でわかったのですが、私のいた渓流は偶然にもサンショウウオの卵を見つけやすい地形だったのです」。

渓流魚とサンショウウオは生息地が近く、いずれも上流に棲む。しかし、イワナやヤマメなどの渓流魚は「魚止めの滝」といわれる落差の高い滝があると、それを越えて遡れない。サンショウウオはその滝を越えた場所で、外敵に食べられないように水中に卵を産みつける。「棲み分けが成り立っていて『おもしろい!』と思ったのです。卵との遭遇でサンショウウオの生態に興味がわき、すぐに虜になりました」。大学入学当初、将来は教師か会社員になると思っていたが、気がつけば研究者しか考えられなかった。

2017年、近畿地方のとある川で調査中に、巨大なオオサンショウウオと遭遇。平均的な体長は1m未満だが、この個体は1.2m

2015年、学生たちにフィールドワークを体験してもらうボルネオスタディーツアーにて。体長3.5mのニシキヘビと記念撮影

フィールドワークと研究室とがつながる瞬間

標本は維持するだけでなく、増やすことも大事。新たな標本を蒐集するために、自らの足で海外を飛びまわる。おもな研究フィールドは、両生類が多く生息する東アジア、東南アジアの国ぐに。調査は長いものだと二か月間にもおよぶ。「広大な土地で目的の生物を見つけるには、事前の情報収集は欠かせません。昔のヨーロッパの探検隊が残した旅行記録には『○○はボルネオの○○川の最上流部で採れた』としか書かれていないことがあります。その情報をたよりに現地に乗り込み、地元の人たちに聞き込みをして、目標の種にせまる。こういう文化人類学的な手法を用いることもフィールドワークの魅力です」。

研究の成果となる〈発見〉は、フィールドワークがベースとなる。しかし、〈予想外の発見〉は、日本に帰った後に研究室で気づくことが多いという。「密林の奥地で、ドラマチックな宝箱を見つけるような発見を想像されるかもしれませんが、意外と研究室でぼんやりと標本を見ているときに『あれとこれとは違う』とわかることがほとんどです。10年前に採った標本でも『はっ!』と気づくこともありました。点と点とが線になる瞬間は、たまらなく興奮します」。

標本維持に差し迫った危機

先代の松井正文名誉教授から、全ての標本を受け継いで3年。その数は今後も増え続け、蓄積される見込みだ。
この厖大な資料を維持するには、相応のスペースと専門知識を備えた人材が不可欠。今は地下標本庫に収蔵している標本を15名の大学院生らと管理しているが、キャパシティは限界を迎えつつある。「ここまで多くの標本を保存するところは、世界でも珍しい。いわば日本の財産です。本来は設備の整った大きな施設で、専門の学芸員が管理することが望ましいのです。社会に結びつく成果がすぐには出ないので、みなさんの理解を得にくいのですが、いつ・どこで・何に役に立つかはわかりません」。

研究で得た見識を社会に還元

生物研究のおもしろさをたくさんの人たちに伝えたいという思いから、小学校の出張授業に出向いてオオサンショウウオの生態を解説したり、フィールドワークの心がけを指導するエコツアーを開催したりするなど、課外活動にも積極的に取り組む。種の保全活動もその一環だ。

保全対象種の一例は、国の特別天然記念物に指定されているオオサンショウウオ。「京都市の鴨川沿いをのそのそと歩く姿は、動画共有サイトで人気を集めていますが、動画に映っている京都のオオサンショウウオのほとんどは、中国から来た個体との交雑個体。全てを捕獲するには限界があるけれど、交雑の拡がりを防ぐために対策を練っています。この活動も、何百年も先の未来に、固有種を残すことにつながるはずですから」。

2017年に創刊された専門誌『Caudata(カウダータ)』の編集にも携わる。アマチュア、プロを問わず爬虫両生類をこよなく愛する研究者たちの記事が満載。ネット通販のサイトで販売されている

にしかわ・かんと
1975年、福岡県に生まれる。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程中退。同研究科助手、助教をへて、2015年から現職。2018年から大学院地球環境学堂准教授を兼任。

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