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私を変えた あの人・あの言葉

2017年秋号

追憶の京大逍遥

私の血に流れる自由な批判精神

山口 繁
第14代最高裁判所長官

私が京都大学に在学したのは昭和26年(1951)年から同30(1955)年までの間、60数年前の昔のことになる。

敗戦からまもない喧々たる京都大学にて

敗戦後なお日浅く、昭和26年の日本はまだアメリカ軍占領下にあった。サンフランシスコ講和条約や賃上げの問題などをめぐって労働運動・学生運動が激しい動きを見せ、物情騒然としていた。京都大学でも、11月の昭和天皇視察の際に多数の学生が正門付近に押し掛けて「天皇帰れ」などとシュプレヒコールをあげ、学生自治会の同学会が「公開質問状」を提出しようとするなどして警備の警察官との間で小競り合いが生じる事件があった。私もその場に居合わせた。

その後、学生運動は沈静化していき、学業にいそしめるようになったが、空襲で神戸の自宅や工場を焼かれ、焼け跡のバラック住まいで、神戸から電車通学を余儀なくされる状態ではアルバイトに精を出さざるを得ない。いきおい講義は欠席しがち、熱心に受講した勉強家のノートのガリ版刷りが売りに出されたのを買って必死に勉強したものだ。そうした学生が多かったのだろう、先生方はそれらの事情を勘案して採点され、皆に相応の評価を与えて下さったように思う。


京都大学入学早々の初々しいころ

学問の歴史をつくった先人たちの講義

もっともたまに学校に出ても、文学部の教室に潜り込み、フランス文学の伊吹武彦先生やギリシャ哲学の田中美知太郎先生の講義を聴講するなど、まことに鷹揚で自由な雰囲気があった。それで多方面に関心を抱くようになったと思う。

いちども欠席することなく受講できた中田淳一先生や於保不二雄先生の講義は極めて真摯かつていねいで、時流におもねらず基本に立ち返って物事を考えることを教わった。それが京大の学風であろう。

何かの機会に瀧川幸辰先生が一同に「法学部に入った以上、司法試験を受けろ」と勧められた。それなら司法試験を受けてみるかと、自分の志望もまだ定まっていないのに試験勉強することになる。中田先生の民事訴訟法ゼミは司法試験の受験志望者の集まりで、これには欠かさず参加した。自宅の近くの神戸市立図書館にも通って試験勉強に励む。他の大学の学生が同じように勉強をしていたが、彼らの読む教科書は赤線が何本も引かれて真っ赤になっており、驚かされた。そのうちに自らの志望も裁判官へと固まっていき、それが結局一生の仕事となる。

知らず知らずに受け継いだ京大の精神

司法試験の勉強とアルバイトに明け暮れ、あまり学校にも行かない京大時代だったが、瀧川事件に象徴される自由な批判精神が学園に横溢しており、知らず知らずにそれに感化されていったようだ。それが司法部に入り裁判官を目指す契機となったし、戦前から行政部より司法部に京大出身者が多いと言われていたのもこの自由な批判精神に由来しているように思う。

いま振り返ってみて、自由な批判精神と思考の基礎を教わった貴重な京大時代であった。

司法試験には合格したものの、大学を卒業するにはあと四科目の授業の試験に合格しなければならず、学内の階段の途中でやきもきしているところ


やまぐち・しげる
1932年に兵庫県に生まれる。京都大学法学部を卒業。司法研修所所長、福岡高等裁判所長官、最高裁判所判事などをへて、1997年から定年退官となる2002年まで最高裁判所長官を務めた。桐花大綬章を受章。

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