京都大学の新輝点

ヒャダイン

08 小さな世界にいることに気づくこと。世界はそこから変わる(音楽クリエイター ヒャダイン)08 小さな世界にいることに気づくこと。世界はそこから変わる(音楽クリエイター ヒャダイン)

 動画投稿サイトから人気に火がつきメディアに登場したヒャダインさん。この約10年は多数の様々な楽曲提供だけでなく自身の歌手やタレントとしての活動まで、息つく暇のない活躍で駆け抜けてきました。ファンが強い共感を覚える音楽を生み出す能力はどのように育まれたのか。幼少期から今に至るまでの道のりを赤裸々に語っていただきます。

ヒャダイン

1980年生まれ、大阪府出身。本名は前山田健一。京都大学総合人間学部卒業後、2007年より本格的な音楽活動を開始。動画投稿サイトにヒャダインとして公開した作品がミリオン再生を記録し話題を集める。2009年には前山田健一として提供した楽曲がオリコンチャートで連続1位を獲得。2010年にヒャダイン=前山田健一であることをカミングアウトし作家とアーティストをクロスオーバーさせた活動を開始。アイドルやアーティストへの楽曲提供、アニソン・CM音楽・映画劇伴の制作など幅広いジャンルで活躍。 また音楽番組のMC、サウナを巡るバラエティ番組からドラマ出演までタレント活動も含め多方面で躍進を続ける音楽クリエイター。

ピアノが得意で運動は苦手
そんな自分に劣等感があった

 ピアノは3歳から習い始めてほぼ毎日弾いていました。運動は苦手なんだけどピアノが上手な男の子。それが幼少期の僕です。今は違うかもしれませんが僕が子どもの頃には「男の子はスポーツができたほうがいい」という通念があり、だからこそ逆にピアノでアイデンティティーを保っていたのかもしれませんね。ピアニストになるほどの能力はなかったけれど、耳コピで歌謡曲やゲーム音楽を再現するのが得意で、高校受験の頃まで続けていました。

 小学生になると勉強が趣味になりました。ゲームのレベルを上げるのと同じ感覚で、算数の問題を片っぱしから解いていくのが快感だったんです。小学4年生の時にはドリルを解きまくるのが楽しくて、「新しいのを買って!」と親にしょっちゅう言うものだから、それに辟易した親に進学塾に入れられてしまいました。

やりたいことを見出せぬまま京大へ
インカレサークルでキャラ変をめざす

 京都大学に進学したのは、通っていた中高一貫校が医学部や東大・京大に進学する生徒が多い環境だったのが影響しています。周りがそうだから特に疑問もなく「僕は京大かな」と。総合人間学部を選択したのも、文系ではあったんですが、本は読まないし先生になりたいわけでも法律に興味があるわけでもないという消去法の結果でした。入ってからやりたいことを決めたらいいと、目的や目標をペンディングさせたまま進学してしまったんですね。中高生の悩み相談を受ける連載を持っているのですが、自分自身の大きな反省も込めて「自分のやりたいことを確定させましょう」と言ったりしています。

 やりたいことを見出せない一方で、大学へいくことへの期待や興奮はありました。高校までは吹奏楽部でピアノを弾いていた「陰キャ」な生徒だったので、いわゆる大学デビューをしようとピアスをつけて髪は緑色にしたり、がんばって敬語を使わないようにしたり。また、アカペラのインカレサークルに入り、「陽キャ」たちの仲間入りをめざしました。

 でも目論見は半分失敗。1年半ぐらい頑張ったんですが、結局、自分の本質とは違うキャラになることに嫌気が差して、陽キャ寄りの陰キャに着地。同じようなタイプの仲間とつるんで、彼らと音楽をしたり、たわいもないおしゃべりをしたりして楽しく過ごしていました。大学からの紹介で祇園祭のちまきの売り子などのアルバイトをしたのもすごく楽しかったな。時給もいいので、お金がない学生にとってはすごくありがたいバイトだったんですよ。

ヒャダイン

京大2年生のころの一枚。「陽キャ」の仲間入りをめざした。

ニューヨークで同時多発テロに遭遇
人生を変える転機となった

 京大で楽しく大学生活を過ごしていた僕ですが、2年生からは地元でのアルバイトに夢中になって、あまり大学にいかなくなりました。アカペラサークル以外にも軽音をやったり、家庭用コンピュータの黎明期だったのでDTM(作曲ソフト)を使って作曲をしたりと音楽の幅を広げてはいたのですが、学業はおろそかになっていきました。そんな状態で3年生になり、久しぶりに大学に行ったら同級生が就職活動を始めていたんです。正直すごく焦りました。

ヒャダイン

アカペラサークルでの活動風景。真ん中のサンタ衣装がヒャダインさん。

 今思うと本当に視野狭窄なんですけど、そこで僕は「就活のスタートダッシュに失敗した。もうフリーターになるしかない」と思い込んでしまったんですね。ならば今のうちに学生らしいことをやっておこうと、好きだったブロードウェイミュージカルを見るため、2001年の8月後半からニューヨーク・マンハッタンに長期海外旅行に出かけます。帰国予定は9月12日で、この前日にアメリカ同時多発テロが起こりました。

 ニューヨーク滞在中、僕はほぼ毎日ミュージカルの切符を買うためにワールドトレードセンターに通っていたんです。テロには巻き込まれなかったものの、マンハッタン島から1週間出られない状況となりました。ブルックリンブリッジのたもとで途方にくれ、「これから何をしていこうか」とぼんやり考えていくなかで、自分の将来についても思いを巡らせました。そこで胸に浮かんだのは「自分の好きなことで名を馳せたいな」という気持ちです。自分が好きなこと…それはやはり音楽でした。

ヒャダイン

大学3年生のときのニューヨーク旅行が、人生の転機となった。

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