京都大学の新輝点

高橋 智隆

01 好きなものを追い求めて挑んだロボットクリエイターへの道(株式会社ロボ・ガレージ代表取締役社長 高橋 智隆)01 好きなものを追い求めて挑んだロボットクリエイターへの道(株式会社ロボ・ガレージ代表取締役社長 高橋 智隆)

 スマホとロボットが融合した「ロボホン」や、世界で初めて宇宙に滞在したロボット宇宙飛行士「キロボ」、大ヒットとなった組み立て式コミュニケーションロボット「ロビ」、乾電池のコマーシャルで数々のギネス記録を獲得した「エボルタ」。先進性とかわいさを兼ね備えた独自のロボットを生み出してきた、ロボットクリエイターの高橋智隆さん。私立大文系学部を卒業後、再受験して京都大学工学部に入学。独学でつくりはじめた自作ロボットを足がかりに、起業し、学内入居ベンチャー第1号となった高橋さんに、活動の原点をたっぷり語っていただきました。

高橋 智隆 Tomotaka Takahashi

1975年京都府生まれ。滋賀県大津市出身。ロボットクリエイター。2003年、京都大学工学部物理工学科卒業と同時に(株)ロボ・ガレージを起業し、京都大学の学内入居ベンチャー第1号となる。ロボカップ世界大会5年連続優勝。米TIME誌「Coolest Inventions 2004」、ポピュラーサイエンス誌「未来を変える33人」に選定。開発したロボットによる4つのギネス世界記録を保持。東京大学先端研特任准教授、大阪電気通信大学客員教授、グローブライド(株)社外取締役、(株)MarineX取締役、ヒューマンアカデミーロボット教室顧問等も務める。

アトムより
カッコいい脇役ロボットたちが好き

 京都大学には、結局、足かけ10年ほどいました。東京に来たのが2010年で、今はこちらがベースになっていますが、それまでは大津の実家と吉田キャンパスのベンチャー・ビジネス・ラボラトリー(VBL)が私の拠点でした。
 実は私、生まれたのも京都大学医学部附属病院なんです。学生時代に知り合ったという両親は、父が医学部で母は薬学部でともに京都大学出身。だから、京都大学との縁は相当深いんです(笑)。

 子どもの頃は、いろんなことをして遊んでいました。琵琶湖の目の前に住んでいたので釣りに熱中したり、虫獲り、野球やサッカー、工作も好きでした。ロボットに興味を持つようになったのは、家の押し入れにあった『手塚治虫漫画全集』がきっかけです。特に私は、『鉄腕アトム』に出てくるプルートゥや青騎士など、カッコいい敵役が好きでした。古い写真を整理してたら、4歳のときには、石鹸箱をテープで貼りあわせ、マジックで色を塗ってロボット(?)をつくっていた。物心がつく頃にはもう、アトムを読んで、天馬博士のようなロボットをつくる科学者になりたいと思っていたんでしょうね。

趣味でもスポーツでもディテールが気になる
モノフェチのクールなこだわり

 その後の中学、高校時代は釣りばかりしていて、エスカレーター式に進んだ私立の大学では、車、スキーに夢中になりました。勉強そっちのけで車をいじったり、スキーのトレーニング装置を自作していましたね。もともと私はモノフェチで、用具とか装置とかが好きなんです。だから、プロダクトのディテールがすごく気になる。どんな趣味でもスポーツでも、用具が気に入らないと心底楽しめないので、徹底的に調べてから買うし、無いなら改造したり自作したり。その過程で、美しさと醜さとか、モダンさと古臭さとか、使いやすさとか、みんなが漠然と感じ取っているものを掘り下げて、その原因を突き止めたいと思うようになりました。

 プロダクトの研究は熱心だったものの、自分自身の人生設計には無頓着で、自堕落に暮らしていました。ようやく将来について考えるようになったのは、私立大で就職活動をはじめたときです。高校からの内部進学の頃はちょうどバブルで、理系の卒業生も文系就職していた。それなら文系で構わないと、文系学部に入学しました。ところが就職活動目前に、バブルが崩壊して就職氷河期に突入。「楽して儲かる」仕事など無いならば好きな事を仕事にしたいと、釣り具とスキー用品両方をつくる、まるで「私の為にある会社」の入社試験を受けることにしました。自作したリールを持参して面接に臨み、最終面接まで進んだものの結果は不合格でした。ちなみに、今になってその企業の社外取締役をしているので、人生何があるか分からないものです。

高橋 智隆
夢だったロボットの道へ
工学部を目指し再受験

 私立大にいた頃の私は、目標もなくだらだらと過ごしていました。自分のやりたいこと、適性は何だろうと初めて真面目に考えたとき、ちゃんと工学部に行っておくべきだったと後悔をしたんです。それで、第一志望の不採用を機に、子どもの頃の夢だったロボットをつくるため、京都大学合格を目指して受験勉強をはじめました。

 京都大学を選んだのは、どうせならやるなら頂点を目指そうと思ったからです。実家から近いというのも理由のひとつではありましたが。両親は自分たちの母校への挑戦ということもあり、渋々承諾してくれました。おかげで1年間予備校に通い、1999年に、無事、京都大学工学部物理工学科に入学することができました。

ひらめきをコツコツ形にする
独自のモノづくりで、学内入居ベンチャー第1号に

 2度目の学生生活は、最初から目的があったので、入学してすぐにロボットづくりに取りかかりました。まだ専門的な授業が始まる前、研究室にも所属してないので独学でのスタートでした。

 小学生時代、プラモデルのロボットを動かす漫画がありました。そんな風にとりあえずロボットを歩かせてみたいと受験勉強中に思い付いたのが、ロボットの足裏に電磁石を取り付け、鉄板の床に足を貼りつかせながら歩かせる仕組みです。ガンダムのプラモデルを大改造して、リモコン操縦で前後進・左右旋回歩行出来るロボットが1年生の冬休みに完成しました。全く趣味的な活動なので、1人でニヤニヤと操縦を楽しんでいましたが、想定以上に上手く出来たので、学内の特許相談窓口を訪ねました。そしてTLOを通じて特許を出願することになり、最終的に玩具メーカーから製品化されました。

※関西TLO株式会社。京都大学など複数の大学の知的財産を、技術移転などを通じて社会へ還元することを目的に設立された。

©創通・サンライズ

ガンダムのプラモデルをベースにつくった、京都大学での最初の作品。ロボットを歩かせることをテーマに開発し、このときに考えた仕組みは特許出願され、仕組みを組み込んだ玩具が製品化された。

 その後在学中に何体かのロボットをつくって発表していたところ、いくつか商品化や共同開発のお話をいただきました。やがて4年生になり進路を選択する際、このまま新卒で会社に就職しても、再入学している分、人より出遅れてしまっている。なら、ダメもとで起業し、上手くいかなければその時就職しようと考えました。すると、当時の副学長の松重先生が学内にベンチャーインキュベーションを開設して下さり、卒業時に、学内入居ベンチャー企業第1号としてロボット開発会社「ロボ・ガレージ」を起業することになりました。

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