発掘、京大

京大医学を掘り起こす 最先端の「知の創造」が医学・医療の未来を切り拓く[後編]京大医学を掘り起こす 最先端の「知の創造」が医学・医療の未来を切り拓く[後編]

 京都大学の医学は、長い歴史の中で、世界に存在感を示してきた。数々の業績が生まれる根っこにあるものは何か、研究科長をはじめ研究者に話を聞きながら探ると、京大医学に受け継がれてきた「知の創造」のあり方を紐解く2つの視点が見えてきた。研究マインドを取り上げた前編に続き、後編では多分野との協働にフォーカスする。

多分野と融合する医学最先端を学ぶ、創る

 科学技術の進展や高齢化など社会の変化は、従来の枠組みではとらえきれない医学分野の学際化を大きく進展させている。個々の研究にも専門領域を超えた高度な実験技術を用いた解析が求められるようになってきているのに応え、医学研究科医学専攻の教育を改革した。所属する研究室での密なコミュニケーションを通して研究力向上につなげる教育に加えて、2005年からは複数の研究室がタイアップして指導する大学院教育コースを設置。がん、神経、免疫、再生医療、臨床研究、医工情報学連携などテーマに従って基礎医学系、臨床医学系、社会医学系を横断させ、最新医学に関する幅広い知識を体系的・集中的に学べる仕組みを整えた。また、2017年には、医学部人間健康科学科、医学研究科人間健康科学系専攻の大幅な改組を実施。人間健康科学科に総合医療科学コースを設けて遺伝子解析、画像解析、ビッグデータ解析、臨床研究開発管理など高度医療や医学研究に欠かせない専門家の養成を図っている。2021年からは大学院教育コースに人間健康系のコースを増設している。

 もちろん、研究においても学際的な取り組みが盛んである。中でも、2018年に世界トップレベル研究拠点(WPI)に採択されたヒト生物学高等研究拠点(ASHBi)は、学際的な方法論を駆使して、人の特性が獲得される機構を解明し、その破綻によって病態が発症する原理を探るという、研究領域をつくりだそうとするユニークな研究組織である。拠点長で生殖細胞に関する最先端研究で世界的な成果をあげている斎藤通紀教授は、ASHBiにおける学際研究の取り組みについて次のように話す。「医学・生物学の先端研究、特にヒト生物学を発展させるためには、これまで考えも及ばなかったような倫理的な問題の解決が非常に重要です。拠点のスタッフには倫理学の研究者もいますから、一緒にやろうとしている研究の意味、将来の展望、さらに社会の中でそれがどう使われるべきなのかをディスカッションし考察を深めています。また、膨大なゲノム情報をどう解析し理解していくか、システマティックに解析していくための数学的な知見のほか、工学、物理学などまだまだ多様な分野での協働を進めていくつもりです」

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多様な分野と協働してヒト生物学を探究する斎藤通紀教授

斎藤通紀教授の研究
生殖細胞の形成機構を解明する世界的偉業

 斎藤教授は、生殖細胞のメカニズムを解明している。生殖細胞は、始原生殖細胞から精子・卵子に分化し、受精によって新しい個体をつくりだす細胞である。生殖細胞自身の遺伝子制御情報が一旦リセットされて組み直されるエピゲノムリプログラミングや、どんな細胞にも分化して個体を形成できる「全能性」の獲得など、他の体細胞にはない性質を持っている。斎藤教授はマウスを使った研究で、始原生殖細胞以外の体細胞への分化を止める働きをする、始原生殖細胞の形成に欠かせない遺伝子を発見した。生殖細胞の形成機構を突き止め、エピゲノムリプログラミングの機構の解明に迫る成果だった。
 得られた知見に基づいて次に着手したのが、実際に生殖細胞を作製する研究である。マウスの胚から生殖細胞を採取して研究を行っていたが、胚が小さく生殖細胞をとり出すのが難しいため効率よく研究が進まない。研究を進展させるために、生殖細胞を培養皿の上でたくさんつくろうと考えたという。マウスのES細胞や当時できたばかりのiPS細胞を用いて、始原生殖細胞に似た細胞をつくることに成功。マウスに移植して精子や卵子、さらに健常なマウスの子を誕生させることにも成功するという世界的偉業を達成した。
 その後、ヒトに近いカニクイザルを用いた発生機構の研究を進める一方、ヒトiPS細胞を用いたヒト始原生殖細胞様細胞の作製にも着手し、試行錯誤の末に、見事成功している。試験管内で精子や卵子をつくりだす技術が確立すれば、不妊の原因解明から新しい不妊治療法の可能性にもつながると期待され、斎藤教授の研究は世界から注視されている。
 これまでの成果を生かし、全能性を獲得するプログラムや遺伝子の多様性を決めるプログラムの、種による違いを明らかにしようとしている斎藤教授。「マウス、サル、ヒトの生殖細胞を総合的に研究し、細胞が制御される仕組みとその進化を探りたい。ヒトとは何かを理解する、新しい時代の基礎医学研究を進めていきたいと思っています」と話す。

 脳科学の研究者で、医学研究科附属脳機能総合研究センター長と ASHBi 副拠点長を兼務する伊佐正教授は、脳研究の動向を「もはや一人でやるようなものではない」と話す。「脳の情報処理プロセスのシミュレーションや、脳の情報処理機能の理解にも情報系の専門家の助けが必要です。高次の認知機能には心理学的なパラダイムを使って調べていくことが必須になるし、近年の神経科学の実験には光遺伝学という、光学系の開発と分子生物学という異分野融合の研究者が欠かせません」と学際研究の重要性を強調。さらに、京都大学では精神科や神経内科、脳外科など臨床系と密に連携しながら研究できるメリットの大きさも感じていると言う。

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伊佐正教授は学際研究の重要性を指摘する

伊佐正教授の研究
運動機能回復から見出す新たな脳機能

 神経生物学を専門とする伊佐教授は、神経回路による行動や認知機能の制御メカニズムを研究している。そのテーマの一つが、人に近いサルを使った、脳・脊髄損傷からの機能回復機構の解明だ。電気生理学や脳血流イメージングやウイルスベクターによる神経回路操作など様々なアプローチで、手指の細かな運動を制御する神経回路にいくつかの間接的な経路があり、それが機能回復に重要な役割を果たしていることを明らかにした。また、モチベーションの中枢である脳の側坐核という部分が、運動機能回復を促進していることも発見している。
 さらに、実際の損傷により近いモデルを使った最近の研究では、脳への電気刺激と訓練を組み合わせることで、切れた神経線維の一部が伸びて新たな回路を形成することを見出している。
 伊佐教授はこの研究について、「訓練と刺激を組み合わせることでこれだけ大きな可塑性を導けたこと、それが大人のサルの脳で起きたことに本当に驚きました」と話す。可塑性とは、外界の刺激などによって神経の機能や構造が変化すること。大人の脳には限られた可塑性しかないと考えられ、それが神経変性疾患や精神疾患の治療のネックになっている。伊佐教授の研究は、新たな治療法の糸口になる可能性を秘めていると言える。
 「神経科学としてどこまで脳に介入してよいのかには倫理的な問題も含めて様々な議論があります。そうした議論や治療を前進させるには、まだまだ謎の多い脳について理解していくことが大切です。脳は非常に複雑なネットワークを持っており真の理解への道は遠いのですが、少しでも脳の機構を明らかにし、疾患に苦しむ人の役に立てる研究ができれば」と、伊佐教授は目標を語る。

発掘先SOURCE of DISCOVERY

 臨床の現場から得たヒントを基礎研究につなげる研究者にとっても、学際的な環境は貴重である。医学研究科消化器内科学・妹尾浩教授は、「医学研究科や学内に多分野の研究者が在籍し、『一緒にやろう』と言ってくれる環境があります。近年はリモートでも共同研究のできる時代ですが、ワンストップで幅広い領域にアクセスできる環境があることでさらに垣根が低くなる魅力はやはり大きいのです」と語る。医学研究科皮膚科学・椛島健治教授も、「医学研究は医学だけでは難しい時代になり、研究所や理学部、工学部と一緒に研究していく機会も増えました。医学部以外もしっかりした研究が進んでいる京都大学の環境は大きなメリットです」と述べている。

「創薬のオープンイノベーション」への挑戦

 一方、基礎研究の成果を広く社会に還元し新たな医療を創造するため、比較的早期から取り組んできたのが産学連携である。2002年には、医学領域産学連携推進機構(現:医学研究科「医学領域」産学連携推進機構)を設立して、基礎研究と臨床研究の研究シーズと市場とのマッチングに基づいた連携研究プロジェクトを推進している。

 中でも特徴的なのは、2008年にアステラス製薬と組んで実施した「次世代免疫制御を目指す創薬医学融合拠点」(AKプロジェクト)をモデルにした、包括的な組織連携プロジェクトである。大学と企業が対等なパートナーシップを結んで一つ屋根の下で共同研究を展開し、研究のみならず教育や人材育成においても幅広く協働する。2010年にはメディカルイノベーションセンター(MIC)を設立し、中枢神経系制御薬、がん創薬、慢性腎臓病、精神疾患治療など、大手製薬企業との連携によって、今まで有効な治療薬のなかった疾病分野(アンメットメディカルニーズ)に対応したプロジェクトを進めている。

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メディカルイノベーションセンターでの共同研究の様子

 企業との共同開発で優れた薬剤を生み出している椛島教授は、AKプロジェクトに参加した経験を持つ。「企業の研究者には、どのターゲットだと薬がつくりやすいかとか、どのくらいの市場があるかなど私たちにない視点がありました。また、新薬候補となる化合物のライブリーも圧倒的に充実しているので、よい薬を開発できる可能性が高まります」と、企業との共同研究の重要性を語る。

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椛島健治教授は企業との共同研究の魅力を説く

椛島健治教授の研究
産学連携で生み出す最新の診断・治療技術

 椛島教授は、アトピー性皮膚炎をテーマに研究を行っている。得られた知見を活用して、製薬企業との薬剤の共同開発にも積極的に取り組んでいる。その成果の一つが、2020年に発売された免疫反応の過剰な活性化を抑制する非ステロイド性の薬剤だ。細胞内の免疫活性化に重要な役割を果たす酵素、JAKの働きを阻害するという新しい作用を持った薬剤の登場は、従来のステロイドに加えて治療の選択肢を増やすと歓迎されている。また、2018年文部科学大臣表彰科学技術賞を受賞した「インターロイキン-31阻害によるそう痒抑制の研究」からはアトピーのかゆみによく効く新薬が生まれ、もうすぐ患者さんのもとに届けられる予定だ。
 一方、皮膚の中を見ることのできる特殊な顕微鏡の開発も、企業と共同で推進している。皮膚の細胞組織を取らなくても、がんなどの診断が可能になる高精度な顕微鏡を目標にしており、完成すれば、医療や医学研究への幅広い活用が期待される。
 免疫細胞だけでなく神経や毛、汗などをつくる細胞も含め、皮膚の様々な現象や機能に関わる細胞の機構を包括的に理解したいと言う椛島教授。「アトピーの人は免疫を弱めて炎症を抑えなければならないし、がんなどでは免疫を高めてがんをたたく細胞を活性化しないといけません。そうした機能を自由に操ることができれば、より良い治療につながるはずです」とビジョンを語る。さらには、皮膚の状態をよくすることで全身の状態をうまく制御したい、という夢も抱く。患者さんの病気を治すという臨床医としての究極のゴールに向けて、皮膚で起こっていることを丸ごと理解し、コントロールする、壮大な挑戦を続けている。

 また、研究をサポートする体制の充実も、特に臨床と研究の二足のわらじを履く研究者にとっては、研究の質を左右する重要な条件になる。京都大学の医学では、2000年頃から臨床研究の支援体制の拡充に取り組んできた。附属病院内に治験管理、EBM研究、橋渡し研究に関わる部署を設け、2013年には臨床研究総合センター(iACT)を設立。研究シーズをスピーディに臨床応用に結びつける機能を充実させた。2020年には先端医療研究に関わる組織と合わせて改組し先端医療研究開発機構(iACT)として再出発。臨床研究と基礎研究を進める上で重要になる企業との連携や研究費の獲得なども含め、シーズの発掘や管理、知財マネジメント、治験の管理・コーディネートなどサポートを専門的に行う体制が整備されている。

ハイレベルな解析技術など研究支援を充実

 医学・生命科学分野の最先端を創造していく京都大学の医学。研究に重点を置くその環境を生かした新しい教育が、2019年卓越大学院プログラムに採択された「メディカルイノベーション大学院プログラム」だ。医学研究科、薬学研究科、iPS細胞研究所にASHBiを加えた学内組織のほか、国内外の研究機関や民間企業も連携。技術革新の進む情報技術の活用能力と、次世代の多様な医薬の研究開発力を強化し、基礎研究から成果の社会実装までをカバーする先進的な産学連携の教育拠点となることをめざしている。

 医学・医療は今後、様々な領域の研究者や専門家・実践家が関わりながら動かしていくオープンイノベーションが主流になる。高度化が進む研究には、画像解析、遺伝子解析、患者情報などのビッグデータ解析が不可欠になる。京都大学医学では、そのようなハイレベルな解析技術がいつでも学内で利用できる環境を整備し、万全な研究支援を行っていくという。

 医学研究科長・医学部長の岩井一宏教授は次のように語る。「京都大学の医学には素晴らしい研究者が成し遂げてきたいくつもの偉業がありますが、それらはすべて、個々の現象に『なぜだろう』と好奇心を持ち、明らかにしていくために挑戦を積み重ねていくことから生まれたものです。その一つひとつの研究がベースになってまた新たな研究を育て、その積み重ねが医学を進歩させていきました。研究は一人の力でできるものではありません。好奇心や優れた着想が世の中を変えるような研究成果になるための、広い意味での環境づくりがこれからますます重要になってくるでしょう。優れた研究者が、最先端の解析技術をはじめとする優れた研究環境があることを魅力に感じて京都大学に集まり、優れた業績を発信してさらなる魅力の向上につながっていくという好循環を生み出していきたいと思っています」

 京都大学の医学は、「好きなこと」を追究できる風土から、他では生まれなかった研究成果を生み出してきた。その伝統に根差したイノベーションが創造する、人々の健康と福祉を支え、生活の質を高めていく未来、生命観や人間観に新たな可能性が開かれる未来に、ますます期待がかかる。

京大医学の発掘ポイントPOINT of DISCOVERY
  1. 文系も含めた学際研究でめざす最先端のヒト生物学
  2. 企業との組織連携で進める先進の創薬プロジェクト
  3. 最先端の解析技術など研究を支援する環境の充実
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