VOL.6 子安 増生 教授(大学院教育学研究科)

VOL.6 子安 増生 教授(大学院教育学研究科)

子安 増生 教授 蝶々がかつて青虫であったことを忘れた顔をして飛び舞っているように、昔は子どもであったことを大人はすっかり忘れている。

わが国で最初に“心の理論”の発達的研究を京都大学で始めた教育学研究科の子安 増生(こやす ますお)教授。高校時代に北 杜夫の『夜と霧の隅で』という、ナチズムが支配する時代に生きたドイツの精神医学者の苦悩をテーマにした小説に感銘を受け、心理学の道に進みたいと思われたとのこと。大学4年のとき、著名な臨床心理学者の河合 隼雄 先生が京都大学教育学部に赴任されたが、関心は認知発達研究に移っていたので、認知心理学と音楽心理学の大家である梅本 堯夫 教授(故人)に師事されました。

1977年に大学院教育学研究科博士課程3年の途中で退学し、愛知教育大学心理学教室助手に就任。同助教授を経て、1988年に母校に戻り、教育学部助教授。1997年に教授に昇任。現在は、教育学研究科教授で副研究科長を兼任されています。子安教授は現在、心が単一のものでなく相対的に独立して機能する幾つかの単位に分かれるとする「心のモジュール説」の立場に立ち、他者の言葉や行為の背後にある意図等の理解が、幼児期から児童期に発達する過程を実証的に検討する研究を行っておられます。

子安 増生 教授の研究紹介(外部リンク)

子安教授の豊富な実証的研究の核心について、お話を伺いました。

「“心のプログラム”はどう発達するか。」

まず、子安教授のご専門の認知発達とは、どんなことを研究するものかを尋ねてみた。

「認知発達研究は、フランスのアルフレッド・ビネー(1857-1911)、アンリ・ワロン(1879-1962)、ロシア・ソ連のレフ・ヴイゴツキー(1896-1934)、スイスのジャン・ピアジェ(1896-1980)、アメリカのジェローム・ブルーナー(1915-)といった研究者が切り開いてきた分野で、子どもの知覚、言語、思考、知能などが年齢とともにどのように発達していくかを、心理学の観察や実験を通じて明らかにしていくものです。心理学には100年以上の歴史がありますが、そのうちのかなり長い期間、アメリカの“行動主義”と呼ばれる心理学が主流となってきました。行動主義とは、生体に与えられた刺激とそれに対応する反応との関数関係の記述を中心とする考え方です。行動主義では、刺激-反応の関係づけが重要であり、その間にある“心”の内容は、いわばブラックボックスのまま放置されました。その後、1950年代に、コンピュータ科学隆盛の影響が心理学にもありました。コンピュータでさえ、プログラムとデータという2つの要素があるのだから、“心のプログラム”というものを真正面から考えようとする認知革命が起こったのです。“人工知能”のシンポジウムがアメリカのダートマス大学で開催された1956年がその出発点とされます。現在、認知発達研究の主な目標は、“心のプログラム”がどのように発達していくかを調べることにあります。」

「子どもは“省略の天才”である。」

図1 頭足人

次に、“心のプログラム”の発達研究の具体的な内容を、子安教授からわかりやすく解説してもらった。最初に、子どもの絵の研究もされているということなので、小さい子どもに絵を描かせることで何がわかるかについて、子安教授に尋ねてみた。

「幼児にとって絵は、ことばの代わり、あるいは、ことばの補いとなる重要な表現のメディアです。子どもの絵を見ると、子ども自身がたとえば人の形をどう認識しているかがよく分かります。丸い顔の輪郭の中に目、鼻、口がついて、そこから直接手や足が出ているような“オタマジャクシ人間”、あるいは、専門用語で“頭足人(とうそくじん)”と呼ばれる人物画を描くことは、世界中の幼児が行ってきました。」(図1参照)

では、図1のような“頭足人”を描いた子どもは、なぜ胴体を描かないのだろうか。子安教授は、大人が「胴体を描いていない」と決めつけるのは誤りだと解説する。実は、図1のような絵でも、胴体を描いていない場合と、頭と胴体を一体化して描いている場合の両方の可能性があるのだそうである。そのことを調べるのは意外に簡単であり、「おへそはどこにあるかな?描いてみて」と言えばよいのだという。そして、おへそが図のXの位置に置かれれば、頭と胴体を一体化して描いているのであり、Yの位置に置かれれば確かに胴体は省略されていると解釈できる。しかし、どちらの場合も人間に胴体があることを知らないのではなく、子ども一流の省略なのである。子どもは、何でも必要なものから学習し、それを表現するのであり、その意味で“省略の天才”であると子安教授は言う。

「幼児期から児童期に認知が大きく変わる。」

子どもの認知発達の研究を進めてきた子安教授は、自分と他人の「考えていること」、「感じていること」、「見ていること」の違いへの気づきが幼児期の3歳ころから6歳のころにかけてゆるやかに発達することを、心理学の実験的研究を積み重ねて調べてきた。

最初は、他者が見ているものは自分が見ているものとは異なるという「視点の理解」の研究からスタートしたという。卓上に模型の3つの山を用意し、それをどこから見るかによって見え方が違うことの理解を調べるピアジェの「3つの山問題」は、幼児期にはなかなか理解できない。子安教授は、このことの理解が困難な理由を他視点からの見え方はフィードバックがきかないからと考え、家庭用ビデオカメラが普及し始めたころに、それを使ってフィードバックを与える実験を行った。その結果何が分かったのだろうか。

図2

「子どもが座っているところと真反対の位置にビデオカメラを置き、それに向かって動物人形を整列させる実験を行いました。“写真屋さんごっこ”ということで、見本の写真と同じものが撮れるように、1匹から3匹の動物人形を置いてもらうのです。(図2参照)簡単そうですが、3~4歳児の4割が動物人形の顔を自分の方に向け、カメラに背中を向けてしまいました。5~6歳児でも、こういう子どもが1割くらいいました。しかし、ビデオカメラでフィードバックを与えると、1回で自分の誤りに気づき、正しく置くように修正しました。ところが、反対から見ると左右が入れ違っていることは、3歳~6歳を通じて理解している幼児は皆無と言ってよく、ビデオカメラによるフィードバック効果も大変小さいものでした。」

子どもたちの日常生活で、反対から見ると左右が入れ違っていることは、分からなくてもさほど困ることはない。これもまた、子どもが“省略の天才”であることの証拠だと、子安教授は考えるようになったという。そんなことは、無理やり教え込まなくても、7歳ころまでに自然にわかっていくそうだ。子どもたちは、必要なことがらから学習し、重要でないことがらは省略する。教育とは、学習者が必要なことがらを必要な時期に理解できるよう手助けするものである、と子安教授。

「幼児は“心の理論”が分からない。」

子安教授は、1994~1995年にオックスフォード大学実験心理学部に10カ月間客員研究員として滞在し、イギリスの認知発達研究の最前線に接する機会を得た。帰国後、“心の理論”研究を本格的に始められたとのこと。では、“心の理論”とは何だろうか。

図3

「私が1990年代初めに“心の理論”研究をはじめたころ、わが国では心理学者からさえも理解されず、あやしげな概念だと決めつけられたこともありました。世界全体では1980年代半ばころから研究が発展していたのに、日本ではまだほとんど注目されていなかったのです。“心の理論”研究で最も有名になったのは、オーストリアのジョゼフ・パーナーらがはじめた“誤った信念”課題というものです。“マクシという男の子がお母さんのお手伝いをしてチョコレートを緑の棚にしまいました。マクシが裏庭で遊んでいるとき、お母さんがケーキを作るためにチョコレートを使い、残りを青の棚にしまいました。マクシがチョコレートを食べたいなと思いながら戻ってきました。マクシは、チョコレートはどこにあると思っているでしょうか。”という非常に簡単な問題です。図3しかし、自分の知っていることと、他者(マクシ)が知っていることを区別できないと、この問題に正解することはできません。一般に、3歳児はこの課題に正解できず、4歳から6歳にかけて正解できるようになります。(図3参照)ところが、自閉症児の場合は、かなり高機能の11歳児でも、この課題に正解できない子どもが多いことも示されました。大人にとって全く問題にもならないこの課題に、不思議なことに、多くの幼児は簡単に引っかかってしまうのです。」

「“心の理論”研究は、学問の世界を変えた。」

子安教授は、この10年余り、幼児・児童を対象とする一連の研究を通じて、

  1. “心の理論”の獲得とは、いつ何ができることか?
  2. “心の理論”の獲得には、前提として何が必要か?
  3. “心の理論”が獲得されると、何ができるようになるか?

という3つの問題を解明しようとしてきた。

“心の理論”研究は、最初動物研究、特にチンパンジーの認知の研究からはじまり、健常な子どもの発達プロセスの研究、自閉症のような発達障害の研究へと進み、現在は脳科学者やロボット学者の間でも関心が広がってきたそうだ。子安教授が2000年に著した『心の理論』(岩波書店)という本がその大きなきっかけの一つとなっている。

実験に重きをおく自然科学に近い子安教授の認知発達研究は、本当にわかりやすく、聞く側を引き込ませる説得力が感じられた。

取材日:2006/6/2

Profile

わが国で最初に“心の理論”の発達的研究を京都大学で始めた教育学研究科の子安 増生(こやす ますお)教授。高校時代に北 杜夫の『夜と霧の隅で』という、ナチズムが支配する時代に生きたドイツの精神医学者の苦悩をテーマにした小説に感銘を受け、心理学の道に進みたいと思われたとのこと。大学4年のとき、著名な臨床心理学者の河合隼雄先生が京都大学教育学部に赴任されたが、関心は認知発達研究に移っていたので、認知心理学と音楽心理学の大家である梅本 堯夫 教授(故人)に師事されました。1977年に大学院教育学研究科博士課程3年の途中で退学し、愛知教育大学心理学教室助手に就任。同助教授を経て、1988年に母校に戻り、教育学部助教授。1997年に教授に昇任。現在は、教育学研究科教授で副研究科長を兼任されています。子安教授は現在、心が単一のものでなく相対的に独立して機能する幾つかの単位に分かれるとする「心のモジュール説」の立場に立ち、他者の言葉や行為の背後にある意図等の理解が、幼児期から児童期に発達する過程を実証的に検討する研究を行っておられます。