VOL.5 金久 實 教授(化学研究所)

VOL.5 金久 實 教授(化学研究所)

金久 實 教授 反逆児たれ―自分が王道になれるような道を自分で作る

生命科学と情報科学、情報工学を融合させた新たな学問分野である「バイオインフォマティクス」。金久 實(かねひさ みのる)教授はその研究室を運営するにあたり、「それぞれが独自の研究テーマをみつけ、自ら道を切り開いていくこと」が最も大切なことであるといいます。そして金久教授自身、ゲノムのデータベース化においては世界のパイオニアともいえる人物。1995年に独自開発した生命システム情報統合データベース“KEGG”(外部リンク)は、今やゲノム情報の国際的な窓口へと成長しています。

「コンピュータの中に生命を作る」

現在、月間アクセスが1,000万件を越えるゲノムネットだが、金久教授がこのサービスを立ち上げたのは1991年。ヒトゲノム解読の国際プロジェクトは立ち上がったばかりで、まだインターネットも無かった時代だ。

1995年にはその中核となる独自データベース“KEGG”(外部リンク)の運用を開始。その後KEGGは非常にユニークなデータベースに成長し、国際的な知名度と利用の広がりを獲得する。「今、世界中のゲノムデータベースを見ると、一つ一つの遺伝子がどのような性質を持っているかという情報を蓄積したデータベースが主流で、KEGGのように遺伝子のネットワークがどのような働きを見せるのか、という情報を蓄積しているデータベースは非常に稀なんです。」

例えば“代謝”にはどんな分子が関わっているのか、また“アルツハイマー”はどのようなネットワークで形成されているのか、コンピュータの中に配線図を作成することで、生命のシステムをよりクリアにしていく。「コンピュータの中で命の理を調べているんですよ。」普通の研究室であれば実際の細胞を分離して実験するところ、ここでは生命の解析をコンピュータの中で行っている、というわけである。

「異なるカルチャーの融合から生まれる新たな発想」

もともと物理学専攻で、学生時代から生物物理に興味があった。タンパク質の研究などに携わるものの、「ぼくは実験が下手でね、最初から実験の研究室だけはいやだなと思っていたんです(笑)」と金久教授。そこで実験の研究室に所属しながら東大の大型計算機センターに入り浸り、コンピュータを相手に仕事をし始めた。そんな中、大きなターニングポイントとなったのは、留学先であるアメリカロスアラモス研究所での研究生活であった。当時世界でも画期的だったDNAデータベースGenBankの創設に関わったこと。そして、自分とは異なるバックグラウンドを持った多くの人々との出会いが、それまでの世界の見方を一変させることとなったのである。「モデルを通して世界を見る物理的なアプローチから、データを通して世界を探るアプローチへと、ものの見方が180度変わりましたね。」異なるカルチャーをもった人々との関わり合いが、多角的なアプローチを生み、結果「バイオインフォマティクス」という生命科学と情報科学、情報工学を融合させた新しい学問分野を生むことになったのだという。

「バイオインフォマティクスという学問は、まだ教科書がない分野」

KEGG運用の根幹を支えるデータベースサーバー群。

海外では、“Dr.KEGG”という名前で広く知られているという金久教授は、日本におけるバイオインフォマティクスの草分け的存在である。

「バイオインフォマティクスという分野は、まだまだ学問体系の出来上がっていない非常に新しい学問です。物理学とか化学のように教科書も存在していない。そのため、研究者もまだあまりいないというのが現状なんです。」様々なプロジェクトを通じて人材を育成していくことが大きな課題であるという教授。その一つの試みとして、1999年“日本バイオインフォマティクス学会”を設立した。全国統一の教育カリキュラムを作り、それをベースに文部科学省からの資金を得て人材養成プログラムを組んでいる。まだ単位認定がされていない協力講座だけに、本当に興味をもっている学生が集まっているという。また、京都市とのコラボレーションでは、日本酒の酒造を改造した「酒蔵VIL」を立ち上げて、バイオベンチャー企業の育成支援を行った。データベースを作るだけではなく、それを使って何かをするということ。より実用的な部分に踏み込んだプロジェクトであった。このように、どんどん新しいことを取り入れ実践していくのが金久流である。

「答えを見つけることよりも、問題を見つけることが大事」

東京にある研究室とも遠隔授業で繋がっている金久研究室。

新しい学問分野だけに、様々なバックグラウンドを持った学生が集まってくるという金久研究所だが、生物系、化学系、薬学部出身者に限らず、最近では数学やコンピュータ関係者にまでおよぶのだという。ますます広がりを見せつつあるこの研究所の雰囲気はとてもなごやかで活気があり、和気藹々といった様子だ。研究室運営におけるモットーは何かと質問すると、「各個人が研究テーマを見つけることが最も大切なんです。実験系の研究室であれば、代々やっているテーマがあり、研究のラインがあるからそれを受け継いでいけばいい。しかし、バイオインフォマティクスは新しい分野ですし、論文をいかに書くかということにこだわって細かい部分を掘り下げていくよりも、新たに問題を見つけていかに一人でやっていけるかが大事なんです。」との答え。これには学生同士のバックグラウンドの違いが非常に有効に働いているのだという。それぞれのカルチャーが違うために、同じ現象に対しても違ったものの見方ができる。「ここには、音楽をやる人もいれば、デザインをやる人もいるという感じで、本当に様々なカルチャーが混在していますからね(笑)」違いを楽しみ、尊重し合うことで全く違った発想を生み出していくという考え方は、教授自身が研究生時代に培ってきた精神そのものだ。

「最終的に自分を王道にすればいい」

金久教授自身、「みんながやっていることはやりたくない」という精神の持ち主。常に他人とちょっと違う側面を見てみようという気持ちが働くのだという。KEGGを始めたのは1995年、まだその頃ゲノム情報は決まっておらず、周りは解読競走の真っ只中だった。そんな中で“ゲノム情報を利用すること”にいち早く着目した金久教授。「少し視点を変えてみただけ。現時点にこだわらずに、過去からの流れを見ていくと必然的な流れだったと思います。」そう言う教授から、若い世代の研究者へメッセージをいただいた。「反逆者たれ」一見乱暴な言葉に聞こえるが、その意味を聞けば奥が深い。

宇治総合研究実験棟

「言葉の意味を少し誤解されるかもしれませんが、こっちの分野では認められても、こっちの分野では認められないとか、結局どっちつかずになってしまってはいけないんです。宇治総合研究実験棟それぞれの分野で第一人者とならなくてはいけない。そこに到達する道筋が『反逆者たれ』ということ。つまり王道を狙うんだけれど、最終的に自分を王道にすればいいわけですから。自分が王道になれるような道を自分で作れということです。」

ゲノムにおけるネットワークのデータベース化に関して言えばここは世界の一大中心地。そう言い切る金久教授はとても頼もしい。今後展開される研究活動の広がりにも、ますますの期待がもたれる。

 

取材日:2005/6/27

Profile

日本におけるバイオインフォマティクスの草分け的存在ともいえる金久 實(かねひさ みのる)教授。1991年ゲノムネットのサービスを立ち上げ、その後1995年には独自データベースである“KEGG”の運用を開始しました。現在では国内・国外を問わず多くの研究者からアクセスを集める生命システム情報統合データベースへと成長を遂げています。1975年東京大学大学院理学系研究科を終了し、同大学理学博士として研究を続けた後、76年から10年間研究員として渡米。ジョンズホプキンス大学研究員、ロスアラモス国立研究所研究員、国立衛生研究所(NIH)主任研究員を経て、85年京都大学化学研究所の助教授となられました。その後87年には同大学化学研究所教授に就任、現在では東京大学医科学研究所教授も兼任されています。また、バイオインフォマティクスの知識を持つ人材育成プロジェクトの立ち上げや、ベンチャー企業の育成支援など、バイオインフォマティクスに関する学問分野の発展と教育基盤の確立に力を注がれています。