乳がん組織中のがん細胞を脂質の違いで見分けることに成功ー次世代質量分析の乳がん研究への応用に期待ー

乳がん組織中のがん細胞を脂質の違いで見分けることに成功ー次世代質量分析の乳がん研究への応用に期待ー

2013年8月21日

 戸井雅和 医学研究科教授、川島雅央 同博士課程学生らのグループは、田中耕一 島津製作所 田中最先端研究所長、佐藤孝明 同ライフサイエンス研究所長らのグループと共同して、組織切片の中の脂質の分布を高精細に画像化し分析できる質量顕微鏡を用いることで、患者から採取した乳がん組織中の脂質の分布を分析し、がん細胞にだけ偏って分布する脂質を同定することに成功しました。

 本研究成果は、日本癌学会の専門誌「Cancer Science」誌のオンライン速報版(2013年8月7日)に掲載されました。

背景

 質量顕微鏡は、田中耕一らの発明によるMALDIイオン化質量分析法という技術をもとに開発された装置で、組織切片中の脂質の分布密度を10μm以下の高解像度で画像化して分析できる画期的な質量分析技術です(図1)。これまでにも、脂質の分布を画像化できる装置はありましたが、その解像度は100分の1以下であったため、一細胞レベルの詳細な分析は困難でした。

 脂質が生体内で多彩で重要な役割を果たしていることが知られるようになり、脂質分析は乳がん研究の新たな分野として注目を集めています。正常の乳腺組織と比較して、乳がん組織の中では含まれる脂質の組成が変化していることが知られていましたが、組織中での脂質の分布を正確に分析できる技術が確立されていなかったために、それぞれの脂質が組織中のどの場所で、どのように変化するのかはよくわかっていませんでした。

06.jpg
図1:質量顕微鏡の概要

 

研究の内容と成果

 本研究では患者さんから採取した乳がんの組織と、乳腺症(乳腺の良性な変化)の組織の中で、フォスファチジルイノシトール(PI)という種類の脂質がどのような分布を示すかを、質量顕微鏡を用いて分析しました。

脂質の違いでがん細胞を見分けることに成功

 10種類の異なるPIの分布を一斉分析したところ、PIの中でPI(18:0/18:1)とPI(18:0/20:3)という分子種が、がん細胞と一致して分布することがわかりました。これら二つのPIの組成が乳がんの組織中で変動していることはこれまでに知られておらず、今回初めてその変動が明らかになりました。一方で、乳がん組織中で増加していることが知られているPI(18:0/20:4)という分子はがん細胞ではなく、むしろ、がん細胞を取り囲む間質(かんしつ)と呼ばれる部分に目立って分布していることも初めて明らかになりました(図2)。

02.jpg
図2:質量顕微鏡の画像では、PI(18:0/18:1)(緑)が、がん細胞に集積し、PI(18:0/20:4)(赤)が、間質に集積していることがわかります。

PI(18:0/20:3)とがんの浸潤転移能との関係が示唆

 がん細胞に偏って分布するPI(18:0/18:1)とPI(18:0/20:3)の比率を検討すると、この比率が患者さんごとに異なることがわかりました。PI(18:0/20:3)の比率が高いグループの患者さんではリンパ節転移の頻度が高いことがわかりました。また、がん細胞の浸潤(基底膜を破って体の中に移動していくこと)に伴って、PI(18:0/20:3)の比率が上昇していく様子を観察することに成功しました。

 これらの観察結果からPI(18:0/20:3)が乳がん細胞やその浸潤転移能を見分けるのに有用なマーカー(指標)となる可能性が示唆されました(図3)。

03.jpg
図3:この例ではがん細胞の発育、進展に伴って脂質の割合が変化する様子が観察されました。PI(18:0/18:1)の信号(緑)の割合ががんの進展に伴って減り、PI(18:0/20:3)(赤)に置き換わっていく様子がわかります。

今後の展開

 質量顕微鏡という新しい技術を用いることで、脂質の顕微鏡レベルでの分析測定が可能になりました(図4)。近年の乳がんの研究は「核酸」(遺伝子の構成成分)や「タンパク質」を中心に展開されてきました。質量顕微鏡をはじめとする次世代の質量分析技術を乳がん研究に応用することで、これまでに知られていなかった「脂質」を中心とした乳がんの世界が明らかになり、新しい乳がん早期診断マーカーや治療ターゲット(標的)が見つかることが期待されます。

 本研究の成果は、最先端研究開発支援プログラム「次世代質量分析システム開発と創薬・診断への貢献(中心研究者 田中 耕一)」によって得られました。本研究の成果を示した論文は、Cancer Science誌10月号に収載される予定です。

 また、本研究の成果は第72回日本癌学会学術集会総会(会期:2013年10月3日から3日間、会場;パシフィコ横浜)においても発表予定です。

04.jpg
図4:今回の測定に使用した質量顕微鏡(プロトタイプ機)(株式会社島津製作所製)今年4月に、iMScopeという商品名で製品化されています。(出典:佐藤孝明 島津製作所ライフサイエンス研究所長)

書誌情報

[DOI] http://dx.doi.org/10.1111/cas.12229

論文名

Cancer Sci. 2013 Aug 6. doi: 10.1111/cas.12229. [Epub ahead of print]
High-resolution imaging mass spectrometry reveals detailed spatial distribution of phosphatidylinositols in human breast cancer.
Kawashima M, Iwamoto N, Kawaguchi-Sakita N, Sugimoto M, Ueno T, Mikami Y, Terasawa K, Sato TA, Tanaka K, Shimizu K, Toi M.

 

  • 朝日新聞(8月22日 30面)、京都新聞(8月22日 24面)、産経新聞(8月22日 26面)、日刊工業新聞(8月22日 22面)および日本経済新聞(8月22日 34面)に掲載されました。