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世界で初めてチンパンジーの大脳の成長様式の解明に成功 -チンパンジーの脳成長からヒト知性の誕生の秘密に迫る-

2012年12月21日

 ヒトとチンパンジーのDNA塩基配列は約98%同じであるにも関わらず、ヒトは他の霊長類と比較して、かけ離れて大きい脳やヒト固有の知性を持ち合わせています。

 酒井朋子 霊長類研究所研究員(最先端戦略強化)、三上章允 名誉教授(現中部学院大学教授)、松井三枝 富山大学准教授、Ludise Malkova ジョージタウン大学准教授、松沢哲郎 霊長類研究所教授らの研究グループは、チンパンジーの大脳の成長様式を通して、なぜこのようなヒトで顕著な脳の巨大化やヒト知性が誕生したのかということを明らかにしました。

 本研究はヒトの赤ちゃんではチンパンジーと異なり、出生後2年のあいだに白質体積の急速な増加に伴い大脳の灰白質白質比が動的に変化することを明らかにしました。すなわち、ヒトにおいてのみ、発達初期に大脳全体の神経連絡の強化により動的な大脳内部構造の再構築が生じ、ヒトの脳の巨大化やヒト知性の誕生に寄与することが考えられます。

 この研究成果は、2012年12月18日(グリニッジ標準時)に、英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)のオンライン出版(紙媒体での出版は、2013年2月22日の予定)の中で報告されました。また、記載号の表紙として霊長類研究所のチンパンジーの写真が記載されました。

背景

 人間の本性としての社会的知性・行動を理解するうえで、その基盤となる脳の進化過程をたどることは欠かせません。

 近年、医用画像法の発展により、ヒトを含めた霊長類の脳サイズを生体で容易に計測できるようになりました。同時に、脳の内部構造にまで踏み込み、ヒトの特異的な脳構造を明らかにすることにも関心が集まっています。しかしながら、ヒトの脳の進化的基盤を本質的に理解するためには、成体における脳構造の特徴に注目するだけでなく、ヒト固有の脳構造の特徴が、どのような発達過程を経て現れるのかを明らかにすることが必要不可欠です。しかしながら、ヒトと最も近縁な現生種であるチンパンジーの脳発達に関する情報が、現在に至るまでたいへん乏しいものでした。

 また、近年アメリカでは、医学研究として新しいチンパンジーを確保することが禁止されています。よって、チンパンジーの脳の発達様式を明らかにしようとする研究者は、獣医学部の病理学研究室などで保管されている何十年前の古い脳標本を用いて研究するしか手段がない状況です。

研究手法・成果

 霊長類研究所の研究グループは、3次元の磁気共画像(MRI)法により、世界で初めてチンパンジーの大脳体積の成長変化を分析することに成功しました(図1)。さらに、ヒトおよびアカゲザルザルとの比較を通して、ヒト特異的な脳構造の発達機構を明らかにしました。


図1 チンパンジーの前期乳児期から子ども期における大脳の発達過程

(a)出生後6か月のチンパンジー乳児のMRI撮像(2000年撮影 ©京都大学霊長類研究所)。(b)子どもチンパンジー(パル)の1年ごとの脳MRI画像と成体チンパンジー(レオ)の脳MRI画像。(i)T1強調画像。(ii)T1強調画像をもとに灰白質、白質、脳脊髄液に区分した画像。(iii)3次元再構築画像。脳画像の左側にある色つきのバーは発達段階を示す。前期乳児期(マジェンダ色)、後期乳児期(黄色)、子ども期(緑色)、成体期(紫色)。

 

 まず、霊長類研究所で出生した3個体の子どもチンパンジーを対象に、出生後6か月~6歳(乳児期~思春期前)の3次元の脳MRIを縦断的に撮像しました(図1)。次に、撮像した脳画像を用いて、大脳の灰白質体積および白質体積の成長変化を年齢ごとに分析し、これらの結果をヒトおよびアカゲザルの成長変化と比較しました。

 その結果、チンパンジーとヒトの大脳の成長期間は子ども期まで及ぶことが明らかとなりました。チンパンジーの前期乳児期(出生後6か月)における大脳の全体体積は、成体に対して約73.8%でした(図3a)。ヒトでは、同じ発達期(出生後1年)において74.2%でした(図3b)。一方、アカゲザルでは、前期乳児期の時点での大脳の全体体積は、すでに成体の大きさに達していました(図3c)。

 その一方で、チンパンジーとヒトの大脳体積の成長様式に大きな違いも発見しました。チンパンジーの前期乳児期における大脳の全体体積の増加率は、ヒトの赤ちゃんの半分でした。つまり、チンパンジーではこの増加率は8.4%(出生後6か月~1歳)(図2a)でしたが、ヒトでは16.4%(出生後1歳~2歳)(図2b)も増加しました。一方、アカゲザルではほぼ同じ時期に、たった1.6%(出生後3か月~4.8か月)(図2c)しか増加していませんでした。


図2 乳児期から子ども期における大脳の全体体積、灰白質体積、白質体積の成長変化

(a)チンパンジー(アユム、クレオ、パル)。(b)ヒト(28人;Matsuzawa et al., 2001)。(c)アカゲザル(6個体;Malkova et al., 2004)。脳画像の左側にある色つきのバーは各霊長類の発達段階を示す。前期乳児期(マジェンダ色)、後期乳児期(黄色)、子ども期(緑色)、思春期(青色)。


図3 乳児期から子ども期における成体の脳体積に対する子どもの大脳の全体体積、灰白質体積、白質体積の成長変化
(a)チンパンジー(アユム、クレオ、パル)。(b)ヒト(28人;Matsuzawa et al., 2001)。(c)アカゲザル(6個体;Malkova et al., 2004)。脳画像の左側にある色つきのバーは各霊長類の発達段階を示す。前期乳児期(マジェンダ色)、後期乳児期(黄色)、子ども期(緑色)、思春期(青色)。

 このチンパンジーとヒトの前期乳児期における大脳の全体体積の増加の大きな違いは、この時期の大脳の内部構造の発達様式の違いに起因するのかもしれません。そこで、この可能性を検証するために、大脳体積の灰白質/白質比の成長変化を分析しました。

 その結果、チンパンジーとヒトはアカゲザルと異なり、前期乳児期の時点で大脳の内部構造の比率が大きくことなることが明らかとなりました。チンパンジーではこの比率は3.51(出生後6か月)(図4a)、ヒトでは3.29(出生後1歳)(図4b)でした。一方、マカクザルではほぼ同じ時期に、たった1.93%(出生後3か月)(図4c)でした。

 しかしながら、ヒトの前期乳児期における大脳体積の灰白質/白質比は急速に変化するのに対して、チンパンジーではヒトほどには変化していませんでした。つまり、チンパンジーではこの時期の大脳体積の灰白質/白質比は3.51から3.18(出生後6か月~1歳)(図4a)に変化するのに対して、ヒトでは3.29から2.05(出生後1歳~2歳)図4b)も変化しました。一方、マカクザルではほぼ同じ時期に、1.93から1.82(出生後3か月~4.8か月)(図4c)しか変化していませんでした。


図4 乳児期から子ども期における成体の灰白質/白質比に対する子どもの灰白質/白質比の成長変化
(a)チンパンジー(アユム、クレオ、パル)。(b)ヒト(28人;Matsuzawa et al., 2001)。(c)アカゲザル(6個体;Malkova et al., 2004)。脳画像の左側にある色つきのバーは各霊長類の発達段階を示す。前期乳児期(マジェンダ色)、後期乳児期(黄色)、子ども期(緑色)、思春期(青色)。

 

 これらの結果から、ヒトの赤ちゃんでは前期乳児期に動的な大脳内部構造の変化が生じていることが実証されました。さらに、この前期乳児期の脳組織の変化は、大脳内部の灰白質の増加というよりはむしろ白質体積の増加に起因することも明らかとなりました。チンパンジーの前期乳児期における灰白質体積と白質体積の増加率は、それぞれ5.2%, 17.2%(出生後6か月~1歳)(図2a)でした。しかしながら、ヒトではそれぞれ8.4%, 42.8%(出生後1歳~2歳)(図2b)でした。一方、マカクザルでは、大脳の灰白質体積には研究期間中(出生後3か月~4年)において有意な成長変化はなく(図2c)、前期乳児期における白質容積の増加率はたった9.4%(出生後3か月~4.8か月)(図2c)でした。

 すなわち、ヒトにおいてのみ、出生後2歳までのあいだに大脳全体の神経連絡の強化に伴う動的な大脳内部構造の再構築が生じ、ヒトの大脳化に寄与することが示唆されました。これにより、なぜ出生後2歳までの発達が、言語・文化的知識の獲得に重要であるのか、またなぜこの時期までの人生経験が、子どもの知能指数(IQ)、社会生活、そしてストレスに対する長期的な反応に大きな影響を及ぼすのかということを生物学的観点から裏付けることができました。

波及効果

 本研究は、人類進化学、霊長類学、神経科学に新たな見解を投げかけることになりました。さらに、「生物としてのヒトらしい脳発達とは何か」ということを本質的に迫る本研究の知見は、現代社会の子どもたちの健やかな心や脳の育ちの実現に向けての科学的指針として展開することが可能です。

今後の予定

 本研究によりヒト特異的な大脳の発達メカニズムの特徴を先駆的に解明することができましたが、思春期以降の脳構造の発達様式についてはまだ未解明のままです。しかしながら、本研究グループは現在においても、思春期を迎えたチンパンジーの脳MRIの撮像を続けています。そこで、次の研究として、霊長類3種の思春期における大脳の全体構造および内部構造の発達様式を比較することで、ヒト特異的な大脳構造の発達メカニズムをさらに統合的に解明する予定です。

本研究成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

  1. 日本学術振興会科学研究費補助金 特別推進研究
    研究課題名:「思考と学習の霊長類的基盤」「認知発達の霊長類的基盤」「知識と技術の世代間伝播の霊長類的基盤」(課題番号:16002001, 20002001, 2400001)
    研究代表者:松沢哲郎 (京都大学霊長類研究所 教授)
  2. グローバルCOE (6)
    研究領域名:「生物の多様性と進化研究のための拠点形成-ゲノムから生態系まで」
    研究代表者:阿形清和 (京都大学大学院理学研究科 教授)
  3. 日本学術振興会特別研究員奨励費 (DC2) 
    研究課題名:「ヒトの脳の進化的基盤:胎児期からたどる大脳化の由来」(課題番号: #21-3916)
    研究代表者:酒井朋子 (当時、京都大学大学院理学研究科 大学院生)
  4. 文部科学省最先端研究基盤事業
    研究領域名:「心の先端研究のための連携拠点(WISH)構築」
    研究代表者:松沢哲郎 (京都大学霊長類研究所 教授)
  5. 平成24年度京都大学若手スタートアップ
    研究課題名:「胎児期から思春期の発達機構に基づくヒトの大脳化の進化的基盤の解明」
    研究代表者:酒井朋子 (京都大学霊長類研究所 研究員)

用語解説

大脳の灰白質

大脳皮質内の神経細胞の集団。ヒトでは、大脳の灰白質体積は思春期前後まで増加し続け、その後減少することが報告されている。この大脳皮質内の灰白質体積の減少はシナプスの刈り込みを反映し、経験、学習、コミュニケーションに伴う大脳皮質の可塑性に役立つと考えられている。

大脳の白質

大脳内の神経線維束の集団。ヒトでは、30歳ころまで白質体積が増加すると報告されている。この大脳皮質内の白質体積の増加は神経線維の髄鞘化によるものであると考えられている。髄鞘化は神経線維の周りに絶縁物質である鞘(成分は脂質)を形成し神経細胞間の伝達速度の効率を高めることから、白質体積の増加は大脳皮質内の神経連結の強化と関連すると考えられている。

脳発達の縦断的研究

長年にわたり同じ個体の脳の発達変化を追跡した研究。同じ個体を非侵襲的に繰り返し撮像することができるMRI法を用いることにより、脳発達の縦断的研究が可能となった。霊長類研究所では2000年から現在に至るまで半年~1年の間隔で子どもチンパンジーの脳MRIの撮像を続けている。

書誌情報

[DOI] http://dx.doi.org/10.1098/rspb.2012.2398
[KURENAIアクセスURL] http://hdl.handle.net/2433/167637

"Developmental Patterns of Chimpanzee Cerebral Tissues Provide Important Clues for Understanding the Remarkable Enlargement of the Human Brain"

Tomoko Sakai, Mie Matsui, Akichika Mikami, Ludise Malkova, Yuzuru Hamada, Masaki Tomonaga, Juri Suzuki, Masayuki Tanaka, Takako Miyabe-Nishiwaki, Haruyuki Makishima, Masato Nakatsukasa and Tetsuro Matsuzawa

英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)
http://rspb.royalsocietypublishing.org/


  • 京都新聞(12月22日 24面)および日本経済新聞(12月24日 30面)に掲載されました。